くらしの漢方
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福井自慢集まれ
  投稿者:高岡 宣子
福井県は日本で唯一ハープを生産している県です。
さらにすごいことに、世界で5本の指に入るハープ生産地であり日本の誇りでもあります。
紹介が遅れましたが、その会社は永平寺町にある「青山ハープ」です。
3代目社長の青山憲三さんによると、「楽器製作の仕事をしていた父(政雄さん)が、ヨーロッパを旅行した知人からアイリッシュハープを見せてもらって、その音色のとりこになり、持ち帰って見よう見まねで試行錯誤し作り始めたのがきっかけ」とのことです。
国内ではなかなか売れず、アイリッシュハープのふるさと、アイルランドに出荷していました。
政雄さんは、外国製ハープよりも正確で簡単に半音が出せる装置を発明したり、海外にはない小型のサウルハープも開発、商品化しました。
日本人の器用さと感性で作られた楽器は、世界の多くの音楽家に愛されています。
ドイツ・ベルリンフィルハーモニー管弦楽団などのハープ奏者にも愛用されているそうです。
わが国のハープを演奏者はまだ数千人と言われていますが、この会社ではホールを開放して、地元の中学生向けにハープ教室を開いているほか、東京や大阪、名古屋でも教室を開いているそうです。
おかげで、福井は人口あたりのハープコンサートが一番多い県となっております。

 投稿者:高岡 宣子
福井と言えばやはり「コシヒカリ」の話をしなければいけないでしょう。
生みの親は坂井市丸岡町出身の農学博士 石墨慶一郎氏です。
石墨氏は育成者の代表として、後に日本育種学会賞や農林大臣賞を受賞しました。
誕生したのは今から53年前、昭和31年で、農林品種としては農林100号の番号が付きました。
新潟県から種子が送られ、福井県で育成が行われました。
さおが長く倒れ折れやすく、未熟粒も多くて、病気(いもち病)にも弱く、収穫量も多くないなど多くの欠点を持ったものでしたが、さらに改良を重ねて誕生しました。
福井県側から新潟県側に命名を依頼し、両県がかつて含まれていた「越国」と「越の国に光り輝く米」と言う願いを込めて、「コシヒカリ」と命名しました。
昭和47年当時、良く食されていたホウネンワセが市場で売れ行き不振となっていました。
そこで食味評価の高い「コシヒカリ」が採用され、そこからお米と言えば「コシヒカリ」と全国の食卓に広がっていきました。


 投稿者:高岡 宣子
スウェーデン王立科学アカデミーは10月7日、2008年のノーベル物理学賞を益川敏英氏(68)、小林誠氏(64)、南部陽一郎氏(87)に授与することを発表しました。
南部陽一郎氏のお父様(吉郎様)は福井出身で陽一郎氏も幼少時代を福井で過ごし、1979年には福井初の福井市名誉市民にもなっています。
生まれは東京ですが、2歳のとき関東大震災で壊滅した東京からお父様の故郷である福井に転居しました。
吉郎様は、英語の教師であったが独・仏語や建築学、地震学など幅広い学識を持っていたそうです。
6歳のころ、吉郎様の読んでいた天文学の雑誌に興味を示し、小学校のころに吉郎様が買ってくれた科学雑誌「子供の科学」がきっかけで理科に興味を持ち始めたと言います。
福井中学校(現藤島高校)では「一番チャレンジできる」と苦手だった物理の道を選んだそうです。
とても優秀で4年の時に今の東京大学理学部物理学科に飛び級で合格。
日本人として初めてノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹氏(故人)に刺激を受け、さらなる研究に没頭したそうです。
のちにノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎氏(故人)に、南部氏31歳の時米国への留学を勧められ海を渡ることになるが、そこでも当時75歳になるアインシュタインとも出会って論議を交わしたと言う、過去にさかのぼって見てもこの賞に向かって歩んできている。
米国籍を取得した時ご両親に言えなかったそうですが、のちにお父様は「学問に国境はない、研究のためならどこの国籍でも構わない」と言ったそうだが、その時代でこの考え方のできるお父様、「この父ありてこの子あり」と親子を知る方から言われる所以でしょう。

 投稿者:高岡 宣子
福井は有名なコシヒカリの誕生地です。
そのお米で有名な県ですが、じつは大麦の収穫の多い県でもあります。
大麦はビールや焼酎に使用される二条大麦と、麦飯・麦茶に使用する六条大麦の2種類に大きく分けられます。
福井は後者の六条大麦の生産量日本一(10年以上連続更新中)です。
収穫量は全国の約30%を占めており、2位の茨城の2倍以上あります。
そして福井の特徴は品質が良いことです。
一等が全国平均54%に比べて福井は約75%と、とても高いことがわかります。
大麦には食物繊維の含有量がとても多く、コレステロールを下げ、糖尿病の予防になります。


  投稿者:高岡 宣子  
雑誌で、すっごい福井自慢見つけました。
九代目岩野市兵衛さんである。
手漉き和紙の「人間国宝」(重要無形文化財保護者)、国指定無形文化財は全国でも3人だけという。
日本の紙の製造技術は、中国大陸から朝鮮半島を経由して、まずこの越前に伝来したそうだ。
つまり福井(今立町現越前市)が、和紙の発祥の地ということになる。
その後、各地に技法が伝わり各土地土地で、独自の和紙作りが広まった。
その始まりは、1500年前、今立と言う地のそのさらに奥の、宮ヶ谷という地に女神が現れた。
貧しさに苦しむ村人達に、ここは水が清いので紙を漉くのにふさわしいと紙漉きの技法を教えてくれたそうだ。
越前和紙、福井の人間として少し甘く見ていた、これからはもっと誇ろうと思った。 

 投稿者:高岡 宣子
あの元中日ドラゴンズの投手であった星野仙一氏、最近は阪神タイガースの監督を務め見事優勝に導いた事は、皆さんご存知でしょう。
福井では毎年1、2試合(巨人戦絡みは無い)北陸シリーズとしてプロ野球が開催されます。
なんと、その星野仙一氏のプロ初勝利はこの福井でした。
記録によると、1969年5月中日対広島で、22歳であったルーキーの星野仙一氏は、先発し7回を投げて1失点、みごとなピッチング。
通算146勝で引退をしましたが、初勝利は福井であったことにちょっと自慢してみました。  


 投稿者:高岡 宣子
9月12日、2006年9月6日にお生まれになられた秋篠宮ご夫妻の男子のお子様の「命名の儀」が行われました。
お名前は「悠仁(ひさひと)」 お印は「高野槇(こうやまき)」に決まられました。
秋篠宮さまが、毛筆でお名前とお印をしたためられた時に使われた「大高檀紙(おおたかだんし)」と呼ばれる厚手の和紙は、ふるさと福井県の越前和紙でありました。
この大高檀紙をすいたのは、越前市の紙すき職人、山崎 吉左衛門さんとおっしゃる方で、宮内庁御用を長年務め、皇室との縁も深いとのこと。
格式高い和紙として、古くから命名の儀・納采の儀や歌会始めの儀などの慶弔用紙として宮内庁に納められ、宮中行事で使用されています。
代々受け継がれてきた独特の技法は、無数のしわの具合、紙の厚さを同じにするための技術、優美な風合いをかもし出しています。
2001年愛子様の「命名の儀」にも使用されました。

 投稿者:高岡 宣子
私が薬剤師であることにちなんで、「日本初の女性の薬剤師はなんと、福井の人」でした。
明治19年の「大日本薬業新誌」に「女子薬舗免状を賜る」と書かれてあるそうです。
薬舗免状は今の薬剤師免状のことです。
その人の名前は、「岡本直榮さん」
明治3(1870)年、福井県福井市足羽上町(今の左内町)の薬種商「和田や」に生まれ、明治16年頃、東京薬学校(東京薬科大学の前身)に入学。
どうも、東京薬学校の創立者が福井の丸岡出身であったこともあり、入学の後押しがあったのでしょう。
薬舗免状を取り、卒業後は実家に戻り家業を継いだのですが、足羽上町(今の左内町)は私のお店からすぐの所で、ちょっと嬉しい気がしました。
どこなのだろうと思いましたが、お店や遺品は空襲で無くなってしまったそうです。

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