河増自治会 戻る
                

1..生い立ちと変遷
 河増村は遺跡の発掘により,8〜9世紀の集落が始まりであることが分かっている。生活用水,農業用水が豊富で数個の井戸が発見された。現在のJAの「喜ね舎」から東へ200m程までが集落の跡であり,現在,主な部分は県道の下になっている。
 歴史の資料にこの地が見られるのは室町時代中期からである。桶田村という呼称で朝倉氏に関する古文書にこの地が記録されている。 この村は旧荒川に囲まれており,古地図を見ると「桶」のような姿に見えることからこの地名が付いたと思われる。貞享2年(1685年)以降は河増村となっている。
 近隣地区と同じく,この地は農業に適していて農業が生活の基盤である。その農業の近代化・効率化のためのに,昭和48年から土地基盤整備事業(土地改良)が行われ,その成果は目覚しく,今日農作業の効率化は大幅に向上している。

2.独自の活動
 ○青年会
   戦前戦後を通して活動が休止と復活を繰り返したが,昭和53年以降は活動を行い町内の連帯と融和および発展に寄与している。
 ○壮年会
   昭和59年に発足し,青年会と老人会の間の期間をつなぐものである。まだ若いものには負けられないという気概をもって町内の諸活動に参加し町内の発展に貢献している。
 ○老人会
   天寿会という名称で組織されている。天寿会は河増町と河増南町が合同で昭和57年に結成された。
 ○婦人会
   この会は農協との関わりが大きく,農協貯金をはじめ料理,子供の教育,仏事等町内の活性化に大きく貢献していた。しかし諸般の事情により会員数が激減し平成15年その歴史の幕を閉じた。
 ○子ども会
   昭和58年頃からその活動は活発になった。歓送迎会,レクレーション,クリスマス会等の行事を行っている。

3.主な会則
 自治会,農業組合など幾つかの組織があるが,すべて会員相互の親睦と協調および愛郷心の保持高揚を目的とするもので,罰則を意味するような会則はない。


八幡神社 河増遺跡案内板 伊藤三郎右衛門館跡
         八幡神社                 河増遺跡案内板            伊藤三郎右衛門館跡