直線上に配置

紙芝居「かんすけさん ありがとう」

 今から七百年ほど前のことです。 今の福井市重立町に、伝助・かん助という仲のよい兄弟が暮らしていました。伝助は、兄のほうで、かん助が弟でした。二人は、野菜や果物など、たくさん作っていました。
 ある日、伝助が分家の話を言い出しました。
「おらたち今までの二人の暮らしは楽しいけど、どちらかが分家しなあかんのでないか。」
するとかん助は、
「おらが分家をするから、兄さんは、この家をついでけれや。」
と言って、気持ちよく分家のことを引き受けてくれました。
「おお、ええやろ。」
伝助もそれに賛成しました。
 かん助は分家して間山町へ引っ越してきました。この人は、とっても力が強い大男で、頭もしっかりしていました。かん助は、分家をする時に兄の伝助から山を半分分けてもらっていました。でも、山のさかいの事で人々がよくけんかをすることを知っていたので、伝助とかん助でさかいにとっても大きな溝を作って争い事が一切ないように一生懸命気を配りました。この溝は、今でも残っていて、伝助かん助ぼりと呼ばれています。おかげで、村は平和になりました。
 間山の人々は、かん助に会うと、 「あんちゃんのおかげで、ええくらしができるようになったべや。」 「おおきに、おおきに。これからもがんばってくださいや。」 と、安心した様子で言いました。
かん助は、 「あんがとう。おらはもっとがんばるわ。あんたらも病気をせずに元気でいてくださいや。」 と、大きな声で返事をしました。
 かん助は、農作物を研究して、いい苗を作りました。そのおかげで、米や麦がたくさん育ちました。
 みんなは大喜びでかん助さんがとても好きになりました。
「ありがてええ。ありがてええ。かん助さん、本当にあんがとよ。」
かん助さんは、ちょっと照れてしまいました。
 その頃、勝山から福井へ来るのに、今のような道ではなくて、松岡、重立、間山のふもとから岡保を通る道しかありませんでした。でもこの道はたいへん悪い道で、雨が降ると足がどろどろになり、霧で服がふやけるくらいぬれました。旅人はずいぶん苦労しました。 「他の道があれば、その道を通って行けるのじゃが。」 「ここにしかないのなら、雨がやむのをまたなあかんのか。」 それを聞いてかん助は、 「そんじゃ、おらが直してやるべ。」 と、胸をたたきました。
 かん助は、重立を通るこの道を自分で修理しました。そして、道を通る人から通行料金を取りました。  
 また、かん助は、観音地蔵を作って毎日人々がお参りしやすいようにしました。そして、お賽銭を多くいただきました。かん助さんのおかげで、間山町は今までにない暮らしができるようになりました。
「あんがとうよ。かん助さんは、おらたちの神様みてえだ。」
「かん助さんは、いいことを考えましたね。」
間山の人たちは口々にお礼を言いました。
「あんがとう、みなさん。おら、もっとがんばるから、これからも応援してくださいや。」
間山の村は、この後もっともっとよい村になりました。それは、かん助さんがなんでもやってくれたからです。
かん助さん、ありがとう。

紙芝居一覧ページへもどる

トップページへもどる
直線上に配置