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紙芝居「天保のききん」

 1833年から四年間、大ききんが日本をおそいました。
 天保とよばれた、時代のことです。
 東北地方がひどかったそうですが、東藤島もひどかったそうです。
 この年は、雨続きで、秋の取り入れはたいへんで、とれ高も少しでした。 ねんぐの米はおさめないといけないし、その上、次の年は、来る日も来る日もお日様がかんかん照らして、雨がひとつぶもふりませんでした。
 田植えの時にはまだ水があって田植えをしましたが、それからひでりになりました。 雨が降らないから田んぼはからからになりました。
 村のみんなは毎日毎日、川から水をくんでせっせと運びました。
 秋になりましたが、米粒は一つも取れません。 村のみんなも困ってしまいました。 草の根をほるやら木の皮を削るやら、口に入れられるものは何でも食べておなかがへるのをがまんしました。 壁の中のわらまで食べました。
 そんな時のことだからどこの家でも、種もみも麦種もみんな食べてしまって、何もないようになりました。
 ところが、仁平さんの家には麦があるっていう話が伝わり、村中の人がおしかけて行きました。
 仁平さんの家には村中の人が集まって
「麦出せー。麦よこせー」
と、ひどいことになりました。
 そんな中で仁平さんは麦種を一俵、家の中柱にしっかりくくりつけておいて、
「この麦種は誰にもやらんー。誰にもやらんー。この麦種を今まかないと、来年どうなる。来年の食べ物はどうなる。どうでもいいんなら、わしを殺してとれっ。」
仁平さんはすごい顔で言いました。
 村の人はあきらめて帰りました。
 そして、種まきになると、今度は雨が続いたそうです。たいへんな年になりました。
 雨の間に種まきするひょろひょろの仁平さんを村の人は見ました。
 その仁平さんも、まいた麦を食べられずに死んでしまいました。

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