当社は地区の町名が八幡であるように、創建が古いと考えられるが、明治時代に書かれた「八幡神社縁起」には、次のように書かれている。
1 聖武天皇の勅命によって造営
2 越前にある八幡宮四社の一つである
3 御神体は泰澄大師の作である
4 勅願の神社であるから、百石の朱印地が奉納された
5 天正3年に織田信長の兵火に焼かれた
6 龍興寺の住職が御神体を背負って諸国行脚し16年  後に復帰し神社を再建した
7 藩祖秀康が来社の由来を聴取した

以上の記録は、史実と伝承の区別し難いものもあるが、住民の信仰の深さを物語るものである


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