数の世界


2002/ 1/14作製
フェルマーの最終定理(2)

Story of math-master


新たなる道のり

代数的整数論の確立

●アーベルの仕事(1824年)

ノルウェー生まれのニールス・H・アーベルは19歳の時、当時有名な未解決の問題の1つである「5次方程式には代数的解法が存在しない」という証明に成功した。一定の評判を得るが、国が貧しく数学で生計をたて得る状況には至らない。
わずかな奨学金を得てドイツ〜フランスを旅行しながら、アーベルは「楕円関数に関する論文(アーベル群)」をフランス数学の大家コーシーに提出。コーシーの評価を求めたが、論文を紛失。後年論文が刊行されるが、この時アーベルは貧困と病魔に犯され、すでに余命わずかになっていた。
1930年、フランス学士院はアーベルに数学部門大賞を授与。しかし、アーベルは前年27歳で死去していた。(参照3:p113)

アーベル群とは数学的演算の順序を変えても結果が変わらない可換な群。

●ガロアの仕事(1831年)

フランス生まれのエヴァリスト・ガロアは10代にして当時の代数と方程式理論をマスターし、独自に理論を完成していたという。論文を数論の大家コーシーに送ったが、コーシーは読みもせずくず箱へ。大学受験に失敗し、革命運動に身を投じるようになる。
18歳の時、数学大賞を狙って論文を学士院に提出。学士院幹事の急死で、またもや論文紛失の事態に至る。さらに19歳になって、ポアソンに励まされて論文「ガロア理論」を学士院に提出。しかし、審査員のポアソンは理解できず、最後の望みは絶たれた。
政治犯として獄中で過ごした後、ある女性と恋に落ちる。しかし、この女の男と称する王政派闘士が現れ、決闘を求められた。死を予感したガロアは、数学的成果を手紙にまとめ、友人に託した。翌日の決闘でガロアは21歳で死去した。(参照4:下巻p56-71)

ガロア理論:「方程式がベキ根によって解かれる諸条件」アーベルの5次関数解法問題を、一般次数の解法にまで拡張。
ガロアが展開しているのは、現代数学の概念上最重要な「群」の理論

●クンマーによる証明(1840〜1860年代)

クンマーは21歳で数学の学位を取得。高校教師、大学教授と順調に数学者の道を歩む。 クンマーは最終定理の証明に取り組み、理想数という新しい方法を導入し、Xn+Yn=Znの複素数を使った素因数分解を有効に働かせた。
nが2でない素数pとすると  ζ(ゼータ)
p=(x+y)(x+ζy)(x+ζ2y)・・・・(x+ζp-1y)
と因数分解します。このζは複素平面の円周上の点ζp=1を満たすもの。
クンマーは「素因数の一意性を満たす素数p」の場合、最終定理が成り立つことを証明した。(参照2:p99-105)

しかし、最終定理の解決のためには多くの素数がすり抜けてしまいます。100以下の素数では、37,59,67が条件から外れることわかった。これらは個別に証明され、n=100以下の場合は解決した。
●モーデル・ファルティングスの定理(1922〜1983年)

1922年、モーデルは「種数が2以上の代数曲線は、有限個の有理点しかもたない」とうい予想を立てた。種数とは3次元空間の中の曲線に開いている穴に数のこと。20世紀中に証明するのは無理と見られていたこの予想を、1983年24歳のドイツの数学者ファルティングスがあっさり証明した。<参照2:p157>

モーデル・ファルティングスの定理は、フェルマー最終定理に応用できる。
フェルマー方程式Xn+Yn=Znは、
n=3のとき 種数g=1
n=>4のとき 種数g=(n-1)(n-2)/2
となることが判っているため、フェルマー曲線は有限個の有理点しか持たないことが自動的に判明する。


▼参考文献
  1. 足立恒雄著「フェルマーの大定理が解けた」1995、講談社
  2. 富永裕久著(山口周監修)「フェルマーの最終定理に挑戦」1996、ナツメ社
  3. A・D・アクゼル著(吉永良正訳)「天才数学者たちが挑んだ最大の難問」1996(1999訳)、早川書房
  4. E・T・ベル著(田中勇・銀林浩訳)「数学をつくった人びと」1937(1997訳)、東京図書


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