数の世界


2002/ 1/14作製
フェルマーの最終定理(3)

Story of math-master


谷山・志村予想

1955年9月 東京・日光での数論の国際シンポジュウム

●谷山・志村の予想 1955年
東京大学(旧制)の大学院生の谷山豊は、ヴェイユの「アーベルの多様体」に興味を持ち研究をしていた。谷山は1955年日本で開催された国際シンポジュームで「アーベルの多様体の虚数乗法の研究」を発表し、この方面の第1線の研究者になっていた。ヴェイユと友人の志村五郎も同じテーマの発表を行い、この会議の中心テーマになっていた。

谷山はこの会議で幾つかの未解決の問題を提起し、それを配布した。この中に「谷山・志村予想」の原型があった。
それは一言で言えば

「有理数体上の楕円関数は全てモジュラー楕円関数である。」

この時点では、ここまで洗練された形になってはいなかったが、この予想は谷山の死後、プリンストン大に赴いた志村によって研究され、1965年頃に精密化され、発表された。(参照3:p138-146)


●フライ/セール予想 1984年
ゲアハルト・フライは1981年ハーバード大学で数週間を過ごし、バリー・メイザーと議論した。フライは楕円曲線がらみで関心を持っていた、「フェルマーの問題」と「谷山・志村予想」の漠然としたややこしい関係に気づいていた。
1984年、フライはオーベルバッハでの数論の国際的な会議で奇妙な講演を行った。
それは
「谷山・志村予想が正しければ、フェルマー予想が正しい。」
を意味していた。<参照3:p158>

この命題に興味を抱いたジャン−ピエル・セールは、フライの命題を厳密に分析し論文にまとめたのである。セール予想と言われている。<参考2:p160>
●リベットがフライ/セール予想の証明 1986年
カリフォルニア大学のケン・リベットは、1984年フライの予想を聞いたとき、冗談だと思った。しかし、何となくこころの隅に残っていた。
リベットは、1986年夏のドイツ研究留学でフライ/セール予想の証明に着手した。バークレーに戻った時点で、証明のほとんどは出来ていたが1点ひっかかる問題があった。
キャンパスの喫茶店でバリー・メイザーの助言をうけてフライ予想の証明は完成し、世界中の数学者が知ることになる。<参照3:p164>



▼参考文献
  1. 足立恒雄著「フェルマーの大定理が解けた」1995、講談社
  2. 富永裕久著(山口周監修)「フェルマーの最終定理に挑戦」1996、ナツメ社
  3. A・D・アクゼル著(吉永良正訳)「天才数学者たちが挑んだ最大の難問」1996(1999訳)、早川書房
  4. E・T・ベル著(田中勇・銀林浩訳)「数学をつくった人びと」1937(1997訳)、東京図書


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