アンドリュー・ワイルズの憂鬱
1994年9月19日 アンドリュー・ワイルズ
●問題発生
ワイルズの提出した200ページを超える論文に、6人のレフリーがついた。(通常は1、2人)ところが8月になって、問題が見つかった。かれの必死の努力にもかかわらず半年が過ぎ、とうとう12月に次のような声明を発表した。
「不完全な部分を発見したが、近い将来に克服されると思う。2月に始まるプリンストン大学での講義において完全な証明を述べる予定である。」
●共同作業
1994年1月から、レフリーの一人で且つ教え子でもあるリチャード・テーラー(ケンブリッジ大)との共同作業が始まった。しかし、夏になっても二人の仕事に進展はなかった。敗北宣言が脳裏をかすめ、弱音を吐くようになったワイルズをテイラーはもう1ヶ月頑張ってみましょうと励ました。
●美しい瞬間
ワイルズは欠陥のある第3章(コリバギン・フラッハ法の関する部分)を捨てる気持ちになっていた。9月19日彼は、せめて慰めにその敗因を調べていた。
「突然、まったく不意に信じがたい閃きに打たれました。コリバギン・フラッハ法だけでは駄目だが、岩澤理論と合わせると上手く行くことに気づいたのです。」
ワイルズはテーラーに電話で伝え、テーラーはそれをもとに厳密な証明を作り上げた。
10月に2つの論文が提出された。
・モジュラー楕円曲線とフェルマーの最終定理(アンドリューズ・ワイルズ著)
・ある種のヘッケ環の理論的性質(リチャード・テーラー、アンドリューズ・ワイルズ著)
論文の審査に数ヶ月を要したが、今回はなんの問題もなかった。2つの論文は、1995年5月数学専門誌「数学年報」の掲載された。
この号は発売日前に売り切れとなった。(参照3:p192)
▼参考文献
- 足立恒雄著「フェルマーの大定理が解けた」1995、講談社
- 富永裕久著(山口周監修)「フェルマーの最終定理に挑戦」1996、ナツメ社
- A・D・アクゼル著(吉永良正訳)「天才数学者たちが挑んだ最大の難問」1996(1999訳)、早川書房
- E・T・ベル著(田中勇・銀林浩訳)「数学をつくった人びと」1937(1997訳)、東京図書
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