18世紀、ドイツ生まれのイギリスの天文学者ウィリアム・ハーシェルは、天の川の多くの星や星雲の観測データから星の分布を解析して、星は凸レンズ状をした形に並んでいると発表しました。これは人間が考えた「初めての銀河系モデル」でした。
地上から見ると天の川(銀河)が天球を取り巻くように見えますが、これは、太陽の位置から銀河面を見ると、多くの星が密集して、ちょうど白い川のように見えることだったのです。
ハーシェルは、星までの距離をその明るさで計算しました。「星が全て同じ明るさで輝いているとすれば、暗い星ほど遠くにあることになります。」ところが、星にはいろんな種類があって、ある星は他の星より何万倍も明るい星があることがわかりましたので、ハーシェルの方法では正しく距離の計算ができないことになります。
銀河の距離--変光星の発見
決まった明るさの星を見つけるのは大変でした。この難問解決は20世紀まで待つことになります。
アメリカの女性天文学者リービィットは、ハーバード天文台で変光星の研究に従事していました。大量の写真乾板を調べて、たくさんの変光星の発見しました。1912年南方の天文台から送られてきた写真乾板の調査研究から、小マゼラン雲の中のセファイド型変光星に「周期と光度の規則性」を発見しました。ついに銀河の距離測定に重要なものさしを手に入れることができました。
セファイド型変光星の代表はさきほど見たケフェウス座δ(デルタ)星です。セファイドは、一般には太陽より1万倍明るい大きな巨星で周期的な脈動変光星。変光範囲は0.2等〜1.5等、周期は1日から50日ほど。周期と光度に比例関係があります。周期の違う変光星でも距離の計算ができるということです。
最近では、セファイド変光星には2種類あって、新しい世代(「ケフェウス座δ型」)をT型、古い世代(「こと座RR型星」や「おとめ座W型星」)をU型にと、分けられています。
アンドロメダは星雲か、別の銀河か
天の川が星の集団であることがはっきりした18世紀になると、哲学者でもあるカントは「このような星の集団は他にもあるかも知れない。星雲の中でいくつか楕円形をしたものがあるが、それは遠くにある同じ様な島宇宙であろう」と予言しました。
アンドロメダ銀河=M31がわれわれの銀河系の外にある「別の銀河」であるということがはっきりしたのは20世紀になってからのことです。
1923年になって、アメリカの天文学者エドウィン・ハッブルがアンドロメダ銀河の中にセファイド型変光星を20個あまり発見し、距離を計算した結果90万光年で、私達の銀河系の外であることがわかりました。
アンドロメダ銀河までの距離90万光年は、変光星の種類T・U型の研究などで修正され、現在では230万光年の距離にあるとされています。230万年前に放たれた光を、今私達は見ているのです。現代人(ホモサピエンス)が登場したのがおよそ10万年前頃と言われていますので、230万年前、私達人類の祖先はどこでどんな生活をしていたのでしょうか…。
銀河の分布
20世紀後半になると大型望遠の登場で、たくさんの銀河が見つかるようになりました。その銀河が宇宙にどんな風に並んでいるのか研究をした天文学者がいます。アメリカの天文学者ハクラ博士とゲラー博士です。1970年代に限られた範囲の方向・奥行き5億光年、約1800個の銀河を観測調査して「宇宙地図」を作りました。
銀河は鎖のようにつながった「泡構造」をしていたのでした。立体的に見ると、ちょうど泡の表面に銀河が並んでいるように見えます。そして泡の中心部には、ほとんど銀河がありません。
この大発見に刺激されて、より大規模な宇宙地図づくりがいくつかの研究グループで進められています。銀河の泡構造は、遠い宇宙まで広がっていることがわかってきました。
最近、日本も参加している大規模な宇宙地図づくり国際研究プロジェクトに「スローン・デジタル・スカイ・サーベイ(SDSS)」があります。アメリカ・ニューメキシコ州のアパッチポイント天文台に専用の2.5メートル望遠鏡があります。観測データなどが、インターネットで公開されていますので、興味の在る方は覗いてみてください。
いろいろな銀河
▼参考文献
- マーチン・ゴースト著(松浦俊輔訳)「憶万年を探る」2003、青土社
- NHK取材班著「NHK銀河宇宙オデッセイ」1990、日本放送出版協会
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