KenYaoの天文資料館

1997/10/25制作
1998/03/08更新

ギリシア時代の宇宙論

ギリシア人がバルカン半島に南下し、そこに生活するようになったのは、 紀元前1200年頃といわれている。
紀元前800年頃になると、エーゲ海周辺に数多くのギリシア人都市国家が 誕生し、貴族・平民(農民)による民主政治が形成されていった。

紀元前550年頃になると、イオニア地方は東方ペルシャ帝国の勢力拡大の 脅威を受け、イオニアの文化人たちは当時ギリシアの植民地であったシチリア島 シラクサやイタリア半島クロトン・エレアに移住する。


タレス(BC624年〜546年頃)

ギリシア哲学の祖

イオニアのミレトス出身で、商人として当時先進国であったエジプトや バビロニアを旅し、数学や天文の知識を学んだ。タレスがエジプトに行ったときピラミッドの高さをその影の長さで割り出したエピソードは有名です。
帰国後夜空の星の観測に熱中し、紀元前585年5月28日ミレトスに起きた 皆既日食を予言。ミレトスで大予言者としての名声を得ました。

タレスは、水が全ての起源と言う。

タレスの宇宙像は大地は平たい円盤で、オケアノスという大洋に浮かんでいるとした。水は我々世界を取り囲むだけでなく、太陽も月も星も灼熱した水蒸気で天井の水の空を航行していると考えた。




ピタゴラス(BC582年頃〜)

ギリシア数学の祖

イオニア沖合いのサモス島出身で、その生い立ちは明らかでないが、 エジプトやバビロニヤに遊学したと伝えられる。数学の知識を得て帰国し、 サモス島で学校開設を試みたが島の人々には歓迎されず、クロトンに移住。 彼はクロトンで音楽と数学を教説の中心として宗教結社をつくり、霊魂輪廻転生と菜食主義と禁欲主義で信者を広めた。

「万物は数である」とピタゴラス派の学者は説く。「最も崇拝する数は10で、最初の整数1、2、3、4の総和である。1は点、2は線、3は面、4は立体をつくる次元であり、これが宇宙のすべてである。」


アナクサゴラス(BC500年頃〜428年)

ギリシア哲学者

イオニア地方のクラゾメイナ出身。40歳くらいの頃アテナイにやってきた。
かれは太陽は神ではなく真っ赤に燃える火の玉でペロポネソス半島より大きいと主張し、不敬の罪で告訴された。 また、月は自ら輝くのではなく太陽の光で輝いていると考え、月食は月が地球の影に入ることで起き、日食は太陽と地球のあいだに新月が割ってはいることによって起きると唱えた。
宇宙創世の思想として、万物を構成する資料としてのスペルマ(種子)が混沌状態であったところへ、万物のアルケー(第一原理)たるヌース(知性)が加わって、秩序ある宇宙が生まれたと考えた。


ピロラウス(紀元前5世紀中頃)

【初期地動説】

ピタゴラスの弟子で、クロトンのピタゴラス教団が滅亡したあとテーベに逃げたとあるが、その生涯はよくわかっていない。 彼の宇宙観は独自の地動説で、(中心火)を中心に「対地球、地球、月、太陽、水星、金星、火星、木星、土星、恒星(または銀河)」と全部で10個の天体が回転しているという説。
ピロラウスは、架空の存在である「対地球」(アンチクトン)を考えた。地球は宇宙の中心である(中心火)のまわりを24時間で回転するが、(中心火)は地球の内側を同時周回する「対地球」の遮蔽で常に見えないとした。

ピロラウスの宇宙体系は地動説の先例ではあるが、ピタゴラス教団の崇拝した数字「10」を実現するために、奇妙な「対地球」の導入に意味があったとする評価もある。


デモクリトス(およそBC460年〜370年)

原子論

エーゲ海北部のアブラデ出身。 デモクリトスは自然界には無限に多様な原子があり、木・動物などが 死んで分解すると原子はちりぢりになって、また新たな別の生き物に使われる と考えた。


エクパントス(紀元前4世紀)

【初期天動説】

ピタゴラス教団の一人で、ピロラウスの宇宙論を改め(地球)を 宇宙の中心置き、地球が西から東に自転すると考えた。


プラトン(BC427年〜347年)

ギリシア哲学者

「ソクラテスの弁明」は彼の哲学の先生に、死刑を宣告したアテナイでの裁判の様子を伝えるものである。彼の多くの書簡や著書が残されているのは、彼がアテナイに哲学の学塾「アカデメイア」を開いたことによる。これはピタゴラスの宗教教団に倣った集団で、ギリシャの学問研究の中心的存在に成長し、アリストテレスやエウドクソスなどの弟子が育った。
感覚世界の背後に本当の世界があるとする「イデア説」を唱えた。


エウドクソス(およそBC408年〜355年)

同心天球説

小アジアのクニドスで生まれ、若い頃エジプトを旅行する。プラトンの忠実な弟子で、彼は天体を観測して天文書「天界現象(ファイノメナ)」を著した。この原本はもはや失われているが、BC3世紀に詩人アトラスが国王の命で叙事詩に書き直した本「ファイノメナ」が後にローマ時代文人セネカによって激賞され、星座・天球などの概念がわかりやすく解説されていて貴族の婦人に愛読されたという。

エウドクソスはギリシャで最初に包括的な惑星理論を唱えた。宇宙の中心に静止する地球を置き、その周りにそれぞれ独立した運動を行う4つの同心天球を配置する。1太陽年を365日6時間とし、外側から天球Iに恒星などの日周運動、天球IIには月や太陽などの黄道に沿った運動、天球III、IVは惑星を置き合計27の天球を回転させて惑星の逆行運動を説明しようとした。


ヘラクレイデス(BC388年〜315年)

折衷天動説

ポントス出身で裕福な家に生まれた。アテナイのプラトン及びその弟子スペウシッポスに学び、哲学や神話について著作を残した。彼は無限に広がる宇宙の中心に地球があり、その周りを太陽・月・火星・木星・土星を配置したが、金星・水星だけは太陽を中心に周回している宇宙体系を考えた。(後世ティホ・ブラーエの提示した宇宙体系と近似している。)


アリストテレス(BC384年〜322年)

ギリシア哲学者

北部ギリシアのスタゲイラに生まれ、17歳から20年間プラトンのアカデメイアで研究生活を送る。プラトンが死んだ後はレスボス島に渡り、生物学の研究をする。その後、マケドニアの王子アレキサンドロス(後のアレキサンダー大王)の宮廷教師になる。アレキサンダーのギリシャ制覇後、アテナイに学校を開いた。

研究分野は形而上学・論理学・自然学・倫理学・詩学・動物学・政治学と幅広く、観察を重んじる姿勢は後世に大きな影響を与える。 エウドクソスの同心天球説を支持し、さらにそれぞれの惑星に逆転天球を付け加え合計56の天球とした。


アリスタルコス(およそBC310年〜240年)

初期地動説

サモスのアルスタルコスは若い頃アレクサンドリアで学んだという。かれの宇宙体系は20才年下の大数学者アルキメデスの著書「砂粒を数える人」の中で紹介されている。
恒星と太陽は動かず、地球は太陽の周りを円を描いて回転している。恒星のある天球の中心に太陽があり、この天球はあまりに大きいので、天球と地球の距離は天球と太陽の距離とほとんど変わらないと考えた。

著書「太陽と月の大きさと距離について」は今日完全な形で残っている最古の論文といわれる。彼の仮説は太陽と月の見かけの大きさ(視直径)から、太陽は月の18倍の距離にあるというやや乱暴なものではある。


ヒッパルコス(BC2世紀後半頃)

ギリシア天文・地理学者

ビチュニア国のニカイア生まれで、ロードス島で観測活動を続けた。BC134年にサソリ座に新星を発見し、この新天体の距離を確かめるために星数850個の星表を作製したと伝えられている。ヒッパルコスは春分・秋分の観測、太陽軌道の歪み、月運動の不均等性(アノマリ)を観測している。

とりわけ重要な発見は、秋分点近くにある乙女座スピカ星の位置を観測する事で見つけた「春分・秋分点の移動(歳差運動)」である。恒星の位置が、78〜80年に1°、すなわち2万8000年かけてゆっくり東に周回する動きで、BC3世紀のティモカリスの観測結果との比較からの発見であった。
(地球の自転軸の振れのことで、現在天空の回転の中心は北極星付近であるが、この位置が動く。現在の測定では71.6年に1°、2万5776年かけて1周する。)


ローマ時代の天文学

ローマはBC272年イタリア半島を統一して、ポエニ戦争に勝利し勢力拡大をはじめた。共和政から独裁政に体制が変化する中、ローマはヘレニズム世界に覇権を広ろげる。
BC168年マケドニア・BC146年ギリシア・BC133年小アジア・BC64年シリア、そしてカエサルはBC48年にエジプトに遠征した。クレオパトラの工作で延命を保っていたプトレマイオス王朝も、BC30年オクタビアヌスの追撃で滅亡した。ローマ帝国の地中海世界の統一が完成し、BC23年オクタビアヌスは初代皇帝(尊称アウグストゥス)となった。
ローマの文化は法律・軍事・土木建築など実用的方面に特徴があり、創造的活力は減衰し古典の抜粋や編纂が流行した。

●ユリウス暦はカエサルの時代にエジプトから導入した太陽暦を修正したもので、BC46年に制定された。

●ウィトルウィウス(BC1世紀頃)はカエサルやアウグストゥス時代の宮廷技術家(=建築家)で、その生い立ちは不明である。彼の著書「建築書」は全10巻の構成で、神殿建築・劇場・浴場・築湾・給水など建築・土木・機械・造兵など高度の技術を含む技術書として書かれている。当時の天空理論や12の星座などの解説を含め、諸技術の基礎となる自然学的知識を網羅した技術全書である。

●セネカ(BC4〜AD65年)はクラウディウス帝の王妃の恨みを受けコルシカ島に追放されたが、そのとき眺めた自然観察を描写した著書「自然の研究」全7巻を書いた。気象・天文の話題にもふれている。

●プリウス(AD23〜AD79年)は軍人で、ガリア・アフリカ・シリア・イスパニアでは収税長官を勤めた。彼には多くの著書があったが、現存しているのは大著「博物誌」全37巻である。宇宙・気象・地理・人間・動物・植物・薬物・金属・石・宝石に加え文化芸術にまで及ぶ内容である。


プトレマイオス(AD100年〜170年頃)

天文・地理・数学者

上エジプトのテーベに生まれのギリシャ系エジプト人で、アレキサンドリアで修行した。著書「地理学」全8巻には、全世界のおよそ5000地点が経緯度付で書かれ、都市以外に、河口、山岳、湖沼の記述がある。原典はテュロス生まれのマリノスの旅行記録で、マリノス自身の書いた世界地図「テュロスの世界地図」が有名である。プトレマイオスの世界地図は、赤道を底面とする円錐を展開する形式になっている。

天文書「集大成(アラビア語書名:アマルゲスト)」も「地理学」同様、先人の知識の集大成であるが、天動説(周転円説)理論の完成者である。特に逆行する惑星の運動についてはアポロニオスの周転円を採用し、天界運動の中心から離れた点(エカント)で周転円の運動を説明する手法を取った。
(アマルゲストというのは、この本が後年アラビア語訳されたときの本の名前で「偉大な書」という意味。)これ以降、コペルニクスの時代まで天体論のバイブルとして圧倒的な影響力を持った。


▼参考文献

  • ヨースタイン・ゴルデル著「ソフィーの世界」1995(池田 香代子訳)、日本放送出版
  • Edward Rosen/Lloyd Motz著「宇宙論全史 」1987(菊池潤/杉山聖一郎)、平凡社
  • ティモシー・フェリス著「銀河の時代」1992(野本陽代訳)、工作舎
  • コペルニクス(高橋憲一訳・解説)「コペルニクス・天球回転論」1993、みすず書房
  • NHK取材班著「銀河宇宙オデッセイ」1990、日本放送出版協会

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