KenYaoの天文資料館

1997/6/21製作
2006/5/8更新

南アメリカの遺跡と天文


コロンブスのアメリカ大陸発見以前、アメリカ大陸にに住む先住民族の文明があった。 そのうち特に有名なのはマヤ・アステカ・インカの3大文明です。


  • BC2500年ころ、ペルー北海岸で綿の栽培と機械織りが始まった。
  • BC1100年ころ、アンデス地方に宗教色の強いチャビン文明が生まれる。
  • BC500年ころ、ボリビア高原に巨石文化のティアワナコ文化が生まれる。
  • BC300年ころ、軍事色の強いペルー北海岸のモチェ文化・南海岸のナスカ文化が生まれる。
  • インカ族がアンデスに出現したのは13〜14世紀のころ。


チャビン・モチェ・ナスカの遺跡


●チャビン文明
メソアメリカでオルメカ文明が誕生してからほぼ1世紀後には、現在のペルー中西部地域あたりにジャガー神を信仰する宗教色の強いチャビン文明が生まれました。模様を織り込んだ布地を産出しました。

●モチェ
BC3世紀〜AD8世紀にペルーの北部沿岸のに栄えたモチェ王国は軍事国家で、写実的な陶器の産地でもありました。

●ナスカ
モチェ王国とほぼ同じ時期に、ペルー南部沿岸に栄えたナスカ王国は有名な地上絵の他にも彩色陶器が作られた。

パムパ・ファナ・コロラーダと呼ばれる砂漠化した平原に、不思議な地上絵がある。ナスカと呼ばれるこの平原地帯はほとんど雨が降らず、粘土質の平原の上に鉄分を含む大小の石が散らばっている。地上絵はこれらの石が除かれ、平原を露出することで描かれている。
描かれているのは幾何学的な図形の他に、猿・鳥・トカゲ・コンドル・クモや花あるいは巨大なくちばしをもつ生物などで、大きさは数10mから100m以上のものまであって地上からでは絵のイメージは全くわからない。

ナスカ地方の他にも幾何学的な模様や地上絵があちこちに見つかっているので、ペルー一帯に住んでいた古代の人々が、これらの模様は作り出す共通の理由を持っていたように思われる。作物が育つように、雨を期待していたようだ。


インカの遺跡


●クスコ
伝説によると、インカの首都クスコは、初代皇帝マンコ・カパックが神からさずかった黄金の杖を投げた地点に建設されたと伝えられているが、9代目皇帝パチャクテク時代に再建されたもの。 この遺跡には、いまでも太陽の神殿跡が残っているが、太陽観測に利用されたかはわかっていない。

●マチュ・ピチュ
マチュ・ピチュは人里離れた山奥標高約2,700mの山頂付近にあり、1911年アメリカの考古学者ビンガムによって発見された遺跡である。たぶん太陽を祭る神殿で、遺跡近くの墓地から女性ばかりの骨が発見されたことから、インカ帝国各地から集められた娘たちによって一切の行事が行なわれたと考えられている。

●インティ・ワタナの石柱
マチュ・ピチュのはずれに、巨石を刻んで作られた30cmほどの高さのポール(石柱)がある。周囲の状況から判断して日時計として利用され、ポール先端がなくなってはいるが、かなり正確に太陽の位置を測定できた。
いまでもアンデス一帯に残る太陽の祭り(インティ・ライミ)が冬至に行なわれるのは、昔の太陽の祭事のなごりと思われる。


▼参考文献
  1. 磯部王秀三著「宇宙を意図したのは誰か」1995、PHP
  2. 桜井邦明著「天文考古学入門」1982、講談社現代新書
  3. 青木晴夫著「マヤ文明の謎」1984、講談社現代新書
  4. ジョバンニ・カセッリ監修「マヤ・アステカ・インカ文明」1997、Newtonムック:教育社
  5. 舟山良三著「続・身近な数学の歴史」1996、東洋書店


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