KenYaoの生命研究室


制作2000年03月05日

生命研究史

進化の謎


現在の地球には、多種多様の生命が存在している。地球が誕生しおよそ10億年後、地球上に生命が発生したという。
古代ギリシアから医学や博物学として生物研究は始まっているが、人類が本格的に生命研究に取り組みだしたのは最近のことだ。

最近、生命の主役が見えるようになってきた。それは、遺伝子の発見であった。



進化と遺伝


1859年、ダーウィンの「種の起源」が著されて以来、生命の進化についてさまざまな研究が始まった。




●ラマルクの進化説(1809年)----ド・モネ・ラマルク(仏)
ラマルクは、その著書「動物哲学」1809年で「よく用いる器官は発達し、用いない器官は退化する。そしてこの形質が子孫に伝達されて、生物は進化する。」と述べている。これを用不用説と呼ぶ。
しかし、生物が後天的に獲得した形質は遺伝しないことが明らかとなり、ラマルク説全体が省みられなくなった。


●種の起源(1859年)-----チャールズ・ダーウィン(英)
1809年、イギリス・シュルーズベリーの裕福な医者の家庭に生まれた。医学を学ぶためにエジンバラ大に入学。3年後、聖職者を目指してケンブリッジ・クライストカレッジに入学する。
1831年から5年間、調査船ビーグル号に乗って各地を調査。1839年「ビーグル号歴訪諸国の博物学及び地質学の研究日記」を出版。
ガラパゴス諸島で動物を観察から、生物進化の仕組み=自然選択説にたどり着いた。1859年「種の起源」出版。(参考2/p155〜)

●メンデルの法則(1865年)-----メンデル(チェコ)
彼はブルノ(現在のチェコ)にあるトマス修道院の見習いとして、修道院長の作物の品種改良にを手伝うことから遺伝研究に入っていった。メンデルは6年間にわたりエンドウの交配実験を繰り返し、1865年ブルノ自然研究会で口頭で発表し、翌年その会誌に論文「雑種植物の研究」を発表した。
メンデルはエンドウの7種の遺伝形質(種子の形が丸型orしわ型・・・他)を交配し、その雑種2世代まで調べることで、分離の法則・優勢の法則・独立の法則を発見した。(参考4/第一巻/P122)

●突然変異説(1901年)-----ド・フリース(蘭)
1900年前後ド・フリースはオオマツヨウグサの交雑実験で、カール・コレンス(独)、エリッヒ・チェルマク(オーストリア)は独自にエンドウの交雑実験でメンデルの法則を再確認した。(3人はほぼ同時に、35年前のメンデルの論文を発見した。)
また、オオマツヨイグサで突然変異を発見したド・フリースは「進化の基となる変異は突然変異で生じ、それに自然選択が働く」と考えた。


●染色体説(1902年)-----W.S.サットン(米)
メンデルの研究の再発見で、様々な説が提案された。すでに、普通の体細胞分裂では染色体が倍加し2つに同数分裂し、生殖の配偶子が形成される場合は染色体の倍加が起こらないこと(=減数分裂)がわかっていた。
当時コロンビア大のウィルソン研究室の院生だったサットンは、染色体はもともと2本ずつ対をなしていて、減数分裂では対をなす個々の染色体がそれぞれ分離することを、バッタを使って最初に確認した。
受精で再び対をなす染色体は1方は母方、もう1方は父方に由来していることになり、メンデルの法則で言う「分離の法則」を染色体レベルで説明したことになる。(参考4/1巻/p125)


遺伝子の発見


●染色体地図作製(1915年)-----トーマス・ハント・モ−ガン(米)
コロンビア大のモーガンはド・フリースの突然変異説に触発されて、眼の退化実験を再現するために、暗室でショウジョウバエの飼育を開始した。実験は失敗したが、白眼の突然変異を発見。白眼のハエは圧倒的にメスが多いことから、「染色体説」を支持するようになった。
モーガンは個々の遺伝現象はどの染色体にあるのか、相対的な位置関係を示した「染色体地図」を作製し、1915年発表した。

●形質転換の発見(1928年)------フレデリック・グリフィス(英)
英国の厚生省に勤める細菌病理学者グリフィスは、1923年肺炎の原因となる肺炎双球菌に病原性のないR型と病原性のあるS型の2種類あることを突き止めた。研究はさらに進み、R型菌と熱処理したS型菌(感染力なし)を同時にマウスに注射したところ、肺炎にかかったマウスが出現した。発病したマウスからS型菌が見つかり、マウス体内でR型菌がS型菌に形質転換を起すことを発見した。(参考4/4巻)


●DNAの発見(1944年)--------オズワルド・セオドア・エイブリー(米)
カナダ出身で外科医から米ロックフェラー医学研究所に入り、肺炎双球菌の研究をしていたエイブリーは、グリフィスの大発見に触発され形質転換の研究に入った。彼は本格的に研究に入りその数年後、形質転換物質はタンパク質ではなく核酸かもしれないと考えるになった。当時、遺伝的多様性をもたらす遺伝物質はタンパク質が有力で、核酸は多様な構造を取り得ないとする説が一般的であったため、さらに確証を得る努力が必要であった。
1944年、苦労の末形質転換物質の大量抽出に成功し、それがRNA型とDNA型の核酸であるとうい論文を発表した。(参考4/4巻)


●2重ラセン構造(1953年)---ジェイムズ・ワトソン(米)/フランシス・クリック(英)
クリックは1932年ユニバ−シティ・カレッジ・ロンドンに入学し物理学を専攻する。1949年、ケンブリッジ大のキャベンディシュ研究所に入り、X線結晶回析を研究。
ワトソンは、1943年15歳でシカゴ大学に入学。動物学を研究する。インディアナ大で博士号を取得後、コペンハーゲンに研究留学する。1951年、キャベンディシュ研究所に移り、クリックと共同研究を開始する。

1953年、春のある土曜の午前中、ワトソンはねじれた縄ばしごのような構造を見つけた。クリックとワトソンはDNAの構造と機能に関する4つの論文を発表する。(参考2:p301〜)


▼参考文献

  1. 室伏きみ子著「生命科学の知識」1997、オーム社
  2. メルビン・ブラック著(熊谷千寿訳)「巨人の肩に乗って」1999、翔泳社
  3. 立花隆(+利根川進)著「精神と物質」1990、文芸春秋
  4. NHK「人体」プロジェクト著「NHK 驚異の小宇宙・人体V 遺伝子」1999、日本放送出版会

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