KenYaoの生命研究室


制作_2000年03月05日
更新*2021年07月21日

生命研究史

進化の謎


現在の地球には、多種多様の生命が存在している。地球が誕生しおよそ10億年後、地球上に生命が発生したという。
古代ギリシアから医学や博物学として生物研究は始まっているが、人類が本格的に生命研究に取り組みだしたのは最近のことだ。

最近、生命の主役が見えるようになってきた。それは、遺伝子の発見であった。



進化と遺伝


1859年、ダーウィンの「種の起源」が著されて以来、生命の進化についてさまざまな研究が始まった。




●ラマルクの進化説(1809年)----ド・モネ・ラマルク(仏)
ラマルクは、その著書「動物哲学」1809年で「よく用いる器官は発達し、用いない器官は退化する。そしてこの形質が子孫に伝達されて、生物は進化する。」と述べている。これを用不用説と呼ぶ。
しかし、生物が後天的に獲得した形質は遺伝しないことが明らかとなり、ラマルク説全体が省みられなくなった。


●種の起源(1859年)-----チャールズ・ダーウィン(英)
1809年、イギリス・シュルーズベリーの裕福な医者の家庭に生まれた。医学を学ぶためにエジンバラ大に入学。3年後、聖職者を目指してケンブリッジ・クライストカレッジに入学する。
1831年から5年間、調査船ビーグル号に乗って各地を調査。1839年「ビーグル号歴訪諸国の博物学及び地質学の研究日記」を出版。
ガラパゴス諸島で動物を観察から、生物進化の仕組み=自然選択説にたどり着いた。1859年「種の起源」出版。(参考2/p155〜)

●メンデルの法則(1865年)-----メンデル(チェコ)
彼はブルノ(現在のチェコ)にあるトマス修道院の見習いとして、修道院長の作物の品種改良にを手伝うことから遺伝研究に入っていった。メンデルは6年間にわたりエンドウの交配実験を繰り返し、1865年ブルノ自然研究会で口頭で発表し、翌年その会誌に論文「雑種植物の研究」を発表した。
メンデルはエンドウの7種の遺伝形質(種子の形が丸型orしわ型・・・他)を交配し、その雑種2世代まで調べることで、分離の法則・優勢の法則・独立の法則を発見した。(参考4/第一巻/P122)

●突然変異説(1901年)-----ド・フリース(蘭)
1900年前後ド・フリースはオオマツヨウグサの交雑実験で、カール・コレンス(独)、エリッヒ・チェルマク(オーストリア)は独自にエンドウの交雑実験でメンデルの法則を再確認した。(3人はほぼ同時に、35年前のメンデルの論文を発見した。)
また、オオマツヨイグサで突然変異を発見したド・フリースは「進化の基となる変異は突然変異で生じ、それに自然選択が働く」と考えた。


●染色体説(1902年)-----W.S.サットン(米)
メンデルの研究の再発見で、様々な説が提案された。すでに、普通の体細胞分裂では染色体が倍加し2つに同数分裂し、生殖の配偶子が形成される場合は染色体の倍加が起こらないこと(=減数分裂)がわかっていた。
当時コロンビア大のウィルソン研究室の院生だったサットンは、染色体はもともと2本ずつ対をなしていて、減数分裂では対をなす個々の染色体がそれぞれ分離することを、バッタを使って最初に確認した。
受精で再び対をなす染色体は1方は母方、もう1方は父方に由来していることになり、メンデルの法則で言う「分離の法則」を染色体レベルで説明したことになる。(参考4/1巻/p125)


遺伝子の発見


●染色体地図作製(1915年)-----トーマス・ハント・モ−ガン(米)
コロンビア大のモーガンはド・フリースの突然変異説に触発されて、眼の退化実験を再現するために、暗室でショウジョウバエの飼育を開始した。実験は失敗したが、白眼の突然変異を発見。白眼のハエは圧倒的にメスが多いことから、「染色体説」を支持するようになった。
モーガンは個々の遺伝現象はどの染色体にあるのか、相対的な位置関係を示した「染色体地図」を作製し、1915年発表した。

●形質転換の発見(1928年)------フレデリック・グリフィス(英)
英国の厚生省に勤める細菌病理学者グリフィスは、1923年肺炎の原因となる肺炎双球菌に病原性のないR型と病原性のあるS型の2種類あることを突き止めた。研究はさらに進み、R型菌と熱処理したS型菌(感染力なし)を同時にマウスに注射したところ、肺炎にかかったマウスが出現した。発病したマウスからS型菌が見つかり、マウス体内でR型菌がS型菌に形質転換を起すことを発見した。(参考4/4巻)


●DNAの発見(1944年)--------オズワルド・セオドア・エイブリー(米)
カナダ出身で外科医から米ロックフェラー医学研究所に入り、肺炎双球菌の研究をしていたエイブリーは、グリフィスの大発見に触発され形質転換の研究に入った。彼は本格的に研究に入りその数年後、形質転換物質はタンパク質ではなく核酸かもしれないと考えるになった。当時、遺伝的多様性をもたらす遺伝物質はタンパク質が有力で、核酸は多様な構造を取り得ないとする説が一般的であったため、さらに確証を得る努力が必要であった。
1944年、苦労の末形質転換物質の大量抽出に成功し、それがRNA型とDNA型の核酸であるとうい論文を発表した。(参考4/4巻)


●2重ラセン構造(1953年)---ジェイムズ・ワトソン(米)/フランシス・クリック(英)
クリックは1932年ユニバ−シティ・カレッジ・ロンドンに入学し物理学を専攻する。1949年、ケンブリッジ大のキャベンディシュ研究所に入り、X線結晶回析を研究。
ワトソンは、1943年15歳でシカゴ大学に入学。動物学を研究する。インディアナ大で博士号を取得後、コペンハーゲンに研究留学する。1951年、キャベンディシュ研究所に移り、クリックと共同研究を開始する。

1953年、春のある土曜の午前中、ワトソンはねじれた縄ばしごのような構造を見つけた。クリックとワトソンはDNAの構造と機能に関する4つの論文を発表する。(参考2:p301〜)


iPS細胞*


●ES細胞(1981年/1998年)------マーティン・エバンス(英)/ジェームス・トムソン(米)
1981年英国ケンブリッジ大学のマーティン・エバンス博士らが、マウスの胚盤胞からES細胞(多能性幹細胞の一つで、あらゆる組織の細胞に分化できる)の生成に成功する。
その後、1998年米国ウィスコンシン大学のジェームズ・トムソン教授が、ヒトES細胞の生成に成功。
ヒトES細胞(受精後6,7日目の胚盤胞から細胞を取り出し、それを培養して生成する)を使い、人間のあらゆる臓器の細胞を作る出すことで、難治性疾患の細胞移植治療などの再生医療への道が開くと期待される。(参考5)

●iPS細胞(2007年)---山中伸弥(日本)
山中教授は奈良先端科学技術大学院大学の助教授であった2000年ころからES細胞の遺伝子に関心を持ち、新しい多能性幹細胞の制作方法の研究に取り組む。
2006年、数多くの遺伝子の中から、ES細胞で特徴的に働く4つの遺伝子(Oct3/4、Sox2、Klf4、C-Myc)を見出し、レトロウイルス・ベクターを使ってマウスの皮膚細胞に導入し、数週間培養しました。送り込まれた4つの遺伝子の働きにより、リプログラミングが起き、ES細胞に似た多能性幹細胞が出来ました。マウスiPS細胞の誕生です。
2007年11月、工夫を重ね4つの遺伝子を人間の皮膚細胞に導入して、ヒトiPS細胞の生成に成功し発表する。2012年ノーベル生物学医学賞を受賞。再生医療の臨床研究に取り組む。 (参考5)


mRNAと新型コロナワクチン*


●mRNAの発見(1965年)---ジャック・モノー(仏)/フランソワ・ジャコブ(仏)/マシュー・メルセン(米)
最初にmRNA(メッセンジャーRNA)の存在を指摘したのは、フランスの生物学者ジャック・モノーとフランソワ・ジャコブです。1965年、2人はノーベル生理学医学賞を受賞。その後、米の遺伝生物学者マシュー・メルセンが、mRNAの存在を実証しました。
DNAに書かれた情報がmRNAを介してタンパク質の合成に至る、という分子レベルの仕組みが解明されました。 (参考6)

●mRNAワクチン(2008年)---カタリン・カリコ(ハンガリー)/ドリュー・ワイスマン(米)
ハンガリー出身のカタリン・カリコ氏は、自国の大学でmRNAの発見に感動して生物学の研究者となる。地元で研究員となるが研究資金が打切られ、1985年夫と子供の3人で渡米する。
フィラデルフィアにあるテンプル大学の研究員、4年後ペンシルベニア大学の助手となり、mRNAの研究に没頭した。しかし当時はmRNAをただ生物に投与しても、免疫によって異物として除かれ、実用化が進まなかった。

1997年偶然の出会いがカリコ氏を助けます。ペンシルベニヤ大学に着任したドリュー・ワイズマン教授はHIVワクチン開発を目指していました。コピー機の前で出会った2人は、mRNAを使った共同研究が始まります。
そして「mRNAの構成物質「ウリジン」を改変すると、免疫による炎症反応を抑えられる」とする論文を2005年に発表する。
2008年には、特定の「シュードウリジン」に置き換えることで、目的たんぱく質作成の効率が劇的に上がると発表する。DNAを使ったワクチン開発が行き詰まる中、mRNAによるワクチン開発の道が見えてきましが、この時点でこの発見の重要性は見逃されていました。 (参考6)

●新型コロナワクチン(2020年)---ビオンテック・ファイザー社/モデルナ社
大学はカリコ氏の研究成果を認める代わりに減給処分とし、教授職からも遠ざけました。2010年には関連する特許を大学が企業Cellscriptに売却する。(その後、Cellscript社からビオンテック社とモデルナ社に技術ライセンスされる。)

2007年以降、山中教授発見の「iPS細胞」の研究が世界で進む中、ハーバード大学はmRNAワクチン技術を使ったiPS細胞生成の高い効率に気づきます。mRNAワクチン技術が注目されるようになります。

ドイツの新興企業ビオンテック社はmRNAの研究成果に注目していました。カリコ氏は2013年ビオンテック社に誘われ、副社長に就任し研究を再開します。mRNAの不安定さを脂質膜で保護することで、新型コロナワクチンの開発に成功。米大手ファイザー社と提携して治験を進め、高い有効性のワクチンを1年足らずの期間で生み出した。

一方米国モデルナ社は、2010年ハーバード大のロッシ博士によって創業され、mRNAを使った医薬開発に挑んでいました。米国政府から10億ドル近い開発支援を受け、同じmRNAワクチンの技術を使い新型コロナワクチン開発を進めました。ファイザー社と同様の有効性90%を上回る新型コロナワクチンと成りました。 (参考6・7・8)


▼参考文献

  1. 室伏きみ子著「生命科学の知識」1997、オーム社
  2. メルビン・ブラック著(熊谷千寿訳)「巨人の肩に乗って」1999、翔泳社
  3. 立花隆(+利根川進)著「精神と物質」1990、文芸春秋
  4. NHK「人体」プロジェクト著「NHK 驚異の小宇宙・人体V 遺伝子」1999、日本放送出版会
  5. 「もっと知るiPS細胞」CiRA研究所のHP、2021、京都大学iPS細胞研究所
  6. NHK「ETV特集:カリコ博士と山中教授 新生ワクチン」、2021、NHK-Eテレ
  7. 山田順著「mRNAワクチン・・・カリコ博士の物語」、2021/7/5、YAHOO!ニュースHP
  8. 船引宏則著「続コロナワクチンを導いた女性移民研究者」、2020/12/25、朝日新聞・論座HP

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