1665〜1666年頃ヨーロッパ全土でペストが大流行したが、この頃ニュートンは微分法・色に関する理論・積分法と研究が進み、 万有引力の法則についてもこの時期に目鼻をつけたといわれている。 (ウールソープ村にあったニュートン家の農園にあるマーナーハウスの庭のリンゴの木から実が落ちるのを見て、万有引力のヒントを得たと伝えられているが・・・?)
●光理論と反射望遠鏡の発明 ニュートンは雨戸の隙間から差し込む光にプリズムを当てると、7色の光に分解することに注目しました。 分解した光を反対向きの第2プリズムに再度通すと、元の白色の光に戻ります。また第2プリズムの代わりにレンズで集光した場合も白色光になります。 1669年〜1971年にかけて「光と色についての新理論」として発表しました。 当時の望遠鏡はガラスレンズの色収差に悩まされていたので、ニュートンはレンズとレンズの間に水を入れることで 色消しレンズのヒントをつかみかけていましたが、実現は難しいと判断したのか、金属板による反射望遠鏡の制作に方向転換しました。 1668年の秋に反射望遠鏡(主鏡直径34mm)1号機を作製し、木星や金星の観測をしました。 この話が王立協会に伝わり、1971年秋(主鏡直径60mmの反射望遠鏡)2号機を制作し協会に提出しました。 ニュートンは反射望遠鏡の主鏡が放物線鏡なら球面収差はなくなることは知っていましたが、検査法がなかったので球面鏡に作りました。 1672年1月、王立協会会員に推薦されました。
●ハーシェルの島宇宙 天王星発見の翌年から国王の天文官として働き、いくつもの反射望遠鏡を作りながら妹キャロラインとの共同作業で星の観測を続けた。 夜空に区画を切って番号を付け、各番地にある星の明るさと個数を調べていった。 ハーシェルは星本来の明るさが一定であると仮定して、星までの距離を推測した。( これを全天空の番地について調べると、星分布の立体図ができる。)さらに2500個にも及ぶ星雲を詳しく観測し、 それらが多数の星の集団であることを明らかにした。 ハーシェルらは、星は半径と高さの比が5:1の筒状に分布しているという結論に達し、その断面図を描いてみた。 「星は多数集まって星雲(島宇宙)を作っており・・・私たちは平たい円盤状の星雲にいる・・・、宇宙には無限個の星雲が転々と散らばっている」と予想した。