KenYaoの天文資料館


1997/6/21作成
2002/11/24更新
超新星 Supernova


星は水素の核融合反応のエネルギーで輝いています。太陽に似た質量の星に寿命の終盤が近づくと、星は大きく膨らみ、表面の温度が低下し、赤色巨星になります。やがて星の周辺物質が宇宙空間に放出され、中心に残骸となった白色矮星が残されます。

太陽質量の約8倍以上の巨星は、星の中心で水素→ヘリウム→炭素→酸素→珪素→鉄とつぎつぎと核融合が進み、中心部の温度が50億Kを超えると鉄が分解をはじめると、重力と圧力のバランスが崩れ、星は重力崩壊を起こして物質は猛烈な速度で中心に向かって落ち込んで行きます。最後にその反動で大爆発を起こします。この爆発を超新星と呼んでいます。中心には中性子星が残されます。

超新星は一つの銀河に数十年に1個の頻度で出現するといわれています。




超新星1987Aの発見

歴史的発見の瞬間 チリ、ラス・カンパナス天文台で天文学者の手伝いをしていた無名の若者イアン・シェルトンは、台長に願い出て古くて誰も使わなくなった旧式の口径15cm望遠鏡を自分の観測に使っていた。

シェルトンは2日前から大マゼラン星雲の撮影にとりかかっていた。この旧式の望遠鏡は、以前天文学者が捨て置きした廃物の写真乾板を使って撮影するため不良品も多く、また撮影は星の動きにあわせてガイド用のアイピースを覗きながら手動で行うしろものだった。微妙で長時間の機械操作を続けなければならない。

1987年2月24日午前2時半、シェルトンはいつものように撮影しおわった乾板を持って、彼は暗室にかけ込んだ。現像の出来映えは良かったが、タランチュラ星雲の近くに傷のようなものがあった。
昨日撮影した乾板と比較すると、そこには暗い星以外なにも写っていない。外へ出てラス・カンパナスの星夜を見上げるとマゼラン星雲に5等級の新星出現であった。肉眼で見える超新星としては、およそ400年ぶりの歴史的発見であった。

肉眼で確認された歴史上の超新星
名称(年度) 光度 記録書or発見者 現在の様子
SN1006 -8〜-10 明月記、宋史、他 G327.6+14.5残骸
SN1054 -4〜-5 明月記、宋史、他 かに星雲、パルサー
SN1181 0 明月記、宋史、他 G130.7+3.1残骸
SN1572 -4 ティコ、明実録、他 B Cas
SN1604 -2.5 ケプラー、李朝実録、他 V843 Oph、残骸
SN1987A 2.9 シェルトン、ジョーンズ、他 残骸

参考文献:スカイ・ウォッチング辞典(1995-2000)発行朝日新聞社


ニュートリノ天文学 岐阜県神岡鉱山にある東京大学宇宙線研究施設「カミオカンデ」は、地下1000mの廃鉱トンネルを利用してつくられた巨大な水槽で、2002年ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊(当時東京大学教授)氏が中心になって作られた施設です。1000個の光電子増倍管が設置された水槽には3000トンの純水がたたえられ、太陽からの素粒子ニュートリノを検出しようと観測が始まっていた。ニュートリノは物質とほとんど相互作用をせず、私たちの体を貫通しても何も感じないし、影響もない。しかし、3000トンもの純水があると水の粒子と衝突してかすかな光(チェレンコフ光)を発するものが出てくる。目には見えないかすかな光を感知し増倍して検出するのが光電子増倍管です。

宇宙研究所の戸塚洋二教授は、超新星出現のニュースを知ると、急いで神岡から磁気テープを取り寄せ分析を行った。超新星1987Aの最初の撮影より3時間前である1987年2月23日午後4:35:35’に、カミオカンデは13秒間に11個のニュートリノを検出していた。それは重力崩壊を起こした星の中心部で発生し、物質と相互作用をせずに16万光年を旅して、地球の反対側からやってきたものでした。

検出された11個のニュートリノから計算すると、面積150m2のカミオカンデを10^16個(1万兆個)のニュートリノが通過したことになります。16万光年離れた1987Aからは10^58個という途方もない数のニュートリノが放出されたことになります。このエネルギーは太陽が45億年かかって放出したエネルギーの約1000倍に相当し、ニュートリノは超新星爆発のエネルギーの99%を持ち去ります。残りの1%は衝撃波となり、星を粉々にします。爆発後、星の中心には高温高密度の中性子星が残されたことを教えてくれます。電磁波では知ることのできない星の内部情報を直接運んできたのです。
「ニュートリノ天文学」という新しい天文学が産声を上げた瞬間でした。


▼参考文献
  1. NHK取材班著「NHK銀河宇宙オデッセイ」1990、日本放送出版協会

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