騎士に叙任された若者たちは、グループを組んでさらなる修行の旅に出ることになります。
これが「遍歴の旅」と呼ばれるものであり、このような新米騎士は、
遍歴の騎士『knight
errant(ナイト・エラント,英)、chevalier
erran(シュヴァリエ・エラン,仏)』と称されました。
彼らが腕を磨く場・・・と言うのは、もちろん旅の中で出くわす「戦いの場」でしょう。
具体的に言えば、自分の身を狙う盗賊や邪悪な騎士(性質の悪い騎士)との戦いや、小競り合い。
戦争への非公式な飛び入り参加。さらに強暴な動物との戦闘など・・・。
ですがこれらには、滅多にお目にかかれるものでは御座いません(笑)
実は、多くは各地で開かれる模擬試合・・・もっと言えば馬上試合『tournament(トーナメント,英)』
において、騎士たちは腕を磨き、経験を積んでいくのです。そう、修行の中心はこのトーナメントにありました。
この間の新米騎士たちの生活費は、トーナメントの賞品や、家族の仕送りが頼りでした。
トーナメントが行われ始めたのは11世紀頃、そして発祥はフランスだとされています。
馬上試合と訳されていますが、徒歩による競技も在ったようです。
現代では、スポーツ競技などでの勝ち上がり方式を「トーナメント」と呼びますが、全く別物です(笑)
ですが、中世におけるトーナメントでも、勝ち上がり方式の形をとっていたものもあるようです。
少しややこしいですね・・・。
トーナメントには、いくつかの競技種目が在りました。
T:ジョスト『joste(ジョスト,古仏)、joust(ジャスト,英)、joute(ジュト,仏)』
ジョストとは、「一対一の馬上槍試合」の事です。どのようなものかと言えば、
80メートルほどの距離を取った2人の馬上騎士が、騎槍を構えて互いに向けて突撃していくものです。
馬のすれ違いざまに、相手を騎槍で突いて馬上から突き落とす・・・当然、突き落とされた方が負けになります。
何度も馬上で交差しても、決着がつかない場合は現代で言うサドンデス、
馬から降りての、剣での戦いによって勝ち負けをハッキリさせました。
さて、馬が互いに向かって全力疾走するので、馬同士がぶつかる事もありました。
それを防ぐため、2人の騎士が走りこむ直線上の間に、障壁を築きました。
時代が下るにつれ、この障壁を設ける事が公式ルールとなっていくのです。
U:フット・コンバット『foot
combat(フット・コンバット,英)』
これも一対一で行われます。
かなり単純なもので、「徒歩の」騎士が、一部の隙も無い頑丈な鎧を着て、
棍棒ウォー・ハンマー『war
hammer(ウォー・ハンマー,英)』でただ殴りあう、と言うものです。
単純明快、しかし一番痛そうですね。(笑)
あまり見た目にも華麗・・・とは言えませんので、何だか地味な競技です(笑)
もちろん、戦闘不能になったり降参した方が負けになったのでしょう。
V:トゥルネイ『tourney(トゥルネイ,英)』
これはジョストと同じく馬上試合でありながら、「団体戦」です。
広い場合には、現代のサッカー競技面の3倍を超える広さの中で、二手に分かれた
馬上騎士たちが乱戦を繰り広げて勝敗を競います。もちろん制限時間内で多く残った側が勝利とか、
あるいは時間に制限が無い場合、とにかく「最後の一人」を勝者とするとか・・・色々在ったでしょう。
これはかなり盛り上がったようです。バタバタしていますからね。見応えも在ったのだと思います。
これ以外にも種目は色々在った事と思われますが、それはまた分り次第載せていきたいと思います^^
さて・・・当初は見物人がわずかであったトーナメントも、次第に観客が増えていき、
規模も大きくなり、お祭りのような賑わいを見せるようになっていきました。
王侯、そしてそれにつながるお姫様や貴婦人たちは、見物台(VIP席)を設けて
高みの見物をしたり、あるいは競って盛大なトーナメントを主催する側となりました。
催すトーナメントが盛大であればあるほど、それは主催する王侯の権威を見せつける場となります。
対して騎士たちにとっては、自分の武勇を見せつける場であり、運がよければ認められ、
出世などへの道が開けます。何せ王侯が見てくれているのですからね。
また自分の名誉を賭けた場所でもありました。適当な参加はしていられません(笑)
あとは、ただ退屈していて、この機会に暴れたいのだと言う騎士もいたでしょう。
騎士たちは盛んにトーナメントが開かれるのを望み、王侯もそれに応えて開きまくります。
「いつ、何処でトーナメントが行われるのか」と言う告知は、大々的に行われたようです。宣伝上手(笑)
中世ではいつでも戦争をしているイメージがありますが、意外とそうでもないのです。
外国間との緊張が高まった時など、それは滅多にないものでした。
国内での小競り合いもありましたが、規模が大きいものは稀です。
しかし・・・時代が下ればトーナメントは「競技として」の性格を強く持ち、華々しいものとなりますが、
発祥した当初は、ただの「野試合」と言った感じで、実戦さながらの武装で戦い、
死人が出てしまう事がしょっちゅうでした・・・。もちろん怪我は当たり前でした^^;
こういう事態に対して、教皇(教会)が面白く思うはずがありません。
「神の平和」や「神の休戦」などで、騎士の武力の弊害を抑えようと苦心してきた教会。
(「神の平和」や「神の休戦」などについては、騎士と教会のページで。)
トーナメントを、スポーツと呼ぶには程遠い野蛮な乱行と考えます。騎士の乱暴な性格を強めるとも言いました。
死人が出ていたし、それも一理あるのですが、騎士たちにとっても重傷者や死人が出るのは
決して良い事ではありませんでした。
ゆえに、時代が下るにつれ、トーナメントの性格が徐々に変わっていったという訳です。
武器である騎槍や剣などから、危険性を取り去っていきます。
騎槍の穂先を無くしたり、非常に軽く、折れやすい素材で作り上げるなどの工夫をします。
剣は切っ先、刃先をつぶしました。
防具の面でも、非常に強化して、なかなか怪我を負わないようにしました。
トーナメントは、騎士たちの修行の場であり、そして名誉や自慢の武芸の見せ所でもあったのです。
華々しい舞台、人々の娯楽・・・。「戦い」とは人を鼓舞させるものなのでしょうか。