200名山 No.11 茅ヶ岳(1704m) 平成15年5月25日(日) 晴れ |
登山口(5:25)→林道終点(6:05)→女岩(6:25) |
茅ヶ岳は深田久弥の終焉の地としてあまりにも有名である。登山口には深田記念公園があり、ベンチや石碑がある。碑文には「百の頂きに百の喜びあり」と書かれている。隣の板には、「深田久弥と茅ヶ岳」という深田の紹介と茅ヶ岳との関係が書いてある長い文が載っている。そこからはピラミダルな茅ヶ岳がよく見える。なるほど、深田記念公園を作るには絶好のロケーションである。 登山はまっすぐ延びた林道歩きから始まる。左右に開拓農家のものと思われる廃屋がある。松に囲まれた緩やかな坂の林道歩きは気持ちの良いものであるが、あまりにも長い。だんだん急になり、岩がゴロゴロしている。大きな岩は両側に寄せてあり、まともな機械もなかった頃の苦労が偲ばれる。 まっすぐな道の突き当たりが「女岩」である。大きな岩盤の下から水が滴り落ちている。そこから本格的なジグザグの登りが始まる。急坂の谷をつめていくのだが、若葉が美しいので救われる。 尾根に出て左にしばらく行くと、深田久弥の終焉の地に出る。深田は昭和46年3月31日午前11時半頃、登山中にこの場所で「スリップしたようによろけ、左肩を下に、顔を地面に打ちつけるようにして倒れこんだ。」(『百名山の人深田久弥伝』より)脳卒中だった。登山中に倒れ、そのまま帰らぬ人となったのは、ある意味では深田久弥らしい幸せな死に方だった。 頂上に近づくと、ミツバツツジがピンクのかれんな花を咲かせている。昨日の御座山がシャクナゲの山なら、ここはつつじの山である。 頂上には7時30分に着く。一番乗りである。頂上も赤とピンクの2種類ツツジで囲まれていた。木がじゃまになるのと視界があまり良くないので、残念ながら大展望とはいかなかったが、金峰山や瑞牆山などの特徴のある山を確認することができた。そのうち3人の登山者が登ってきたが、のんびりとした頂上であった。 ところが、下山途中にあった人の数はすさまじかった。50人ぐらいの団体が3つあり、登山口には大型観光バスが到着していた。ざっと300人は越えていただろう。きっと頂上は都会の満員電車並の混雑であろう。「避衆登山」を標榜していた深田は、これには墓場の陰で目を白黒させて驚いていることだろう。 |