第5回         荒島岳(1524m)  

           
 平成6年9月10日(土) 晴れ
 銀嶺荘(9:35) → ペアリフト終点(10:15) → シャクナゲ平(11:55) → 
 頂上(12:55〜14:35) → シャクナゲ平(15:15) → ペアリフト終点
 (6:15) → 銀嶺荘(16:50) 
この山には苦い思い出がある。僕は定期検診で不整脈と言われ、確かに自覚症状があった。今から考えると、最悪のコンディションが、この山に登った時だったのだと思う。スキー場を出てブナの林に入ってから早くも調子がおかしくなり、生徒に先に行ってもらった。こんなことは後にも先にもこの時だけだった。
 シャクナゲ平を過ぎると、10分歩いて一休みという具合で、急登の「もちがかべ」は這う感じだった。そこを抜けても、熊笹の中にどかっと尻餅をついて天を仰ぎ、ハァーハァーと犬のような呼吸をするばかりであった。
 頂上に着いてからも15分は仰向けになって休んでいたと思う。帰りはみんなと下りられるくらいの体力は回復していたが、今思い出しても情けないことこの上ない。
 あれ以来、心臓に負担を感じたことは一度もないし、ドックでひっかかったこともない。不思議であるが、自分では不破哲三さん言う所の「心臓の自然バイパス」ができたおかげではないかと密かに思っている。不破さんは『回想の山道』の中で「・・・血管がここまで狭くなるには相当な時間がかかっているはずだという。その間に登山などを続けてきたため、その運動の負担に応じられるよう、狭くなった血管が供給しきれない血液の不足分をほかの血管から供給できるよう、いわば応援のバイパスが無数につくられ、それで心臓の機能の全体をささえるという奇特なしくみができあがっていたらしい。」と書いている。
 平成12年10月1日(日)  晴れ後曇り
  林道(9:35) → 登山口(10:10〜15) → 勝原コースとの分岐点
  (11:00〜05) → 頂上(12:00〜13:00) → 勝原コースとの分岐点
  (13:50〜55) → 登山口(14:30) → 林道(15:00)
 夜はどしゃ降りで明け方まで雨が降っていたので「今日は無理だろう」と喜んでいた生徒もいたようだが、僕はインターネットで天気予報をチェックしておいたので登れると確信していた。何せ最近の天気予報は実に正確に当たるようになった。
 今回は佐開(さびらき)コースを取ることにした。車でドンドン登っていくと、岡山ナンバーの車が止まっており、グループがまさに登る所であった。まだ先へ進める感じがあったが、僕らもそこに車を止めて歩き出した。このコースは昨晩泊まった宿屋の主人から聞いたそうだ。県外の人がこのコースを取ることは考えられなかったので、その話を聞いて納得がいった。 林道は登るにつれて広く立派になっていったので「もっと車で行けばよかったかな」と思ったが、林道歩きを40分に短縮できただけでも喜ばなければならない。
 いよいよ山道に入ったが、赤土でしかも前日の雨の後だったのでつるつると滑りやすい。しかし、それも最初だけのことで、人の少ないこのコースは登山道に草が生えており、それが今日のようなコンディションの日には返って歩きやすかった。階段の急登もあったが、ほどなくして勝原コースとの分岐点に着いた。勝原コースとは格段に楽であった。そこからは「もちがかべ」の難所もあり、前回は死ぬ思いであったのが、今回はスイスイと登って行った。ただ、この道はとても整備されていたという印象を持っていたが、今回はとても荒れており、このままでは崩れてしまうのではないかという危惧感を強く感じた。百名山で急に人が入るようになって、岩が崩れ、土が流れ、田んぼのようにどろどろになった所もある。
 ピークを見上げるといつもは見えるあの悪名高いコンクリートの建物が見えない。頂上に着いてみるときれいに壊されていた。反射板もいずれは取り壊されるそうで、これで荒島の株も少しは上がるだろう。何せ文芸春秋の座談会の中で岩崎元郎さんが「ちなみに中高年の登山者に人気のない山の代表格を三つあげれば皇海山、荒島岳そして伊吹山なんです」と、魅力のない山の代表格にされているのだから。
 「3班は12時5分出発です」というような声が飛び交い、それ程広くもない頂上部はきっとバスで来たのであろう団体客で占領されていた。下は晴れていたが下はガス。風が冷たく震えながら昼食を取る。
 帰りの林道では、ススキの大群が風に震え、逆光に輝いて見えた。