海外トレッキング日記  オーストリア  2010年

7月18日(日)

 朝5時起床。娘に駅まで車で送ってもらう。米原から新幹線で名古屋まで行き、名鉄に乗り換える。棟が違っていた昔よりはましだが、駅の端から端まで歩かなくてはならないのがつらい。中部国際空港には8時半ごろ着いてしまう。空港でわが校のALTのジョンとN先生に会う。オーストラリア研修の引率だ。僕も何回か行ったことがあるのでその苦労はしのばれた。こっちはプライベートな旅行なので申し訳ない気持ちだった。
 約10時間でフィンランドのヘルシンキに到着。乗り継ぎのための時間もあまり無く、現地時間の夕方6時に旅の出発地ミュンヘンに着いた。今回はまったくの一人。一人旅はアウシュヴィッツを訪れて以来の10数年ぶりであある。家族の心配を考えて、ホテルだけは事前に日本から予約していた。自動販売機で切符を買い中央駅近くのホテルにもスムーズにチェックインすることができた。 今回はトレッキングシューズをはいて飛行機に乗ったので、まずスリッパに履き替えた。さっぱりした気分で中央駅に戻り、屋台でソーセージを食べて長い長い一日が終わった。

7月19日(月)
晴れ 

ツークシュピッツェ

 3時半に目覚めてから眠れなかったので、少し本を読む。僕にとって旅行中の本は睡眠薬でもあり、大切な楽しみでもあり、無くてはならないものである。今回古い文庫本を6冊持ってきた。読んだら捨てて帰るつもりである。
 今日はドイツの最高峰ツークシュピッツェに登って、オーストリアのインスブルックに行くので、7時からの朝食をあわてて食べる。切符を買って7時32分発の電車に飛び乗った。切符をよく見るとガルミッシュ・パルテンキルヘンからはバスに乗ることになっている。不思議だったが、その訳は後で分かることになる。
 ガルミッシュ・パルテンキルヘンで、47ユーロの1日券を買ってアイプゼーという湖のある駅まで登山電車で行き、そこからゴンドラで一気に頂上展望台に登る。本当の頂上は目の前にあるが、梯子や鎖のある岩場である。入り口には
”Here you leave safety area”(ここから安全地帯を離れます)という標識があり少しびびったが、登ってみることにした。どの山もそうだが、ひとつひとつ確実に行動すれば初めに思ったよりやさしく登れるものである。2962メートルの頂上からは360度の大パノラマ。雲海の上にいくつもの尖った峰が頭を出している。下を見れば雪の上を歩いているグループがいる。ロッククライミングをしてここまで登ってくるのだろう。

 帰りは反対側に降りるゴンドラに乗った。下を雪上車が走っているのにはびっくり。ドイツで一番高いところにあるというチャペルを見学して登山電車に乗る。ガルミッシュ・パルテンキルヘンまで戻るつもりが、途中駅からまた登りだしたので大慌て。アブト式の電車から普通の電車に乗り換えなければならなかったのだ。
 ガルミッシュ・パルテンキルヘン駅に着くとインスブルック行きの電車は無く、やはりバスに乗らなければならなかった。線路沿いの道を走っていて分かったのだが、全線運休にしてレールを付け替えいるようだった。しかし、小さな村を通るので、バスもそれなりに楽しかった。村々の家は白い壁に競うように画が描かれていた。観光地のレストランでは道にはみ出したテラスで楽しそうに談笑していた。  
 インスブルック中央駅のインフォメーションでホテルの場所を聞く。すでに予約を入れてある場合、場所を探すのがひとつの仕事になる。そこで、3日間有効のインスブルックカードを購入する。このカードはほとんどの乗り物や博物館などの入場料が無料になる優れものだ。
 思いがけず、ホテルは「黄金の小屋」近くの一等地にあった。前の通りは世界中からの観光客の様々な言語であふれていた。楽隊の音が聞こえてきたので5階の窓からのぞくと、民族衣装を着た楽隊がパレードをしていた。その後を観光客がぞろぞろついていく。夏の期間毎日王宮広場でコンサートが開かれているのだ。いっぺんにこの町が好きになってしまった。

7月20日(火) 晴れ 

 パッチャーコーフェル

 ロープウエイ終点(9:00)→ボッシュエーベン・ヒュッテ(10:00〜15)→
 リフト乗り場(11:50)
 ホテル近くのマリアテレーゼンシュトラッセのバス停から30分ほど離れたイグルスに行く。イグルスはパッチャーコーフェルの登山口である。インスブルックの南にそびえるパッチャーコフェル山はロープウエイで簡単に登れることもあって、市民にとても親しまれている山である。中でも今日歩く「ツイルベ(しもふり)の小道」と呼ばれているルートは高低差も少なく人気のあるトレッキングルートだ。
 いきなり牛の出迎えだ。あの大きな図体の牛に行く手をふさがれるとちょっとあせるが、牛は元来おとなしい動物である。左手眼下にインスブルックの街、その背後にはノルトケット連邦が屏風のように連なっている。高山植物が真っ盛りだ。黄色、紫、赤といろいろな花が咲き乱れ、「ああ、アルプスへやってきたんだ」と思わずほほが緩む。
 ヒュッテで一休みしただけで、だらだらと下っていく。リフトで下りるつもりが、リフトは止まっていた。お昼休みで1時まで動かないそうだ。日本では考えられないことだが、いかにものんびりしていてほほえましかった。僕も日陰でパンとジャムや蜂蜜、マーガリンで昼食とする。
 リフトの客は誰もいず、一番乗りで下りる。牧草地を独り占めしたような贅沢な気分だ。インスブルックの街がだんだん近づいてくる。トゥルフェスの村に下りて、ポストバスでインスブルックに戻ってきた。すべてインスブルック・カードで済ませることができた。 いったんホテルに戻り、3時ごろから王宮、宮廷教会、チロル民族博物館などを見て回る。旅の疲れからか、8時ごろには電気をつけたまま寝てしまっていた。

7月21日(水)
 晴れ  

ライターシュピッツエ 

ゼーフェルダーシュピッツエ


 
 ヘルメレコプフ(9:55)→ネルトゥリンガー・ヒュッテ(10:50〜11:00)
 →ライターシュピッツエ(11:20〜40)→ライターヨッホ(12:00〜15)
 →ゼーフェルダーシュッピッツエ(12:55〜13:10)→
 ゼーフェルダーヨッホ(13:35)
 バスで高級スキーリゾートであるゼーフェルトに向かう。今日はライターシュピッツエとゼーフェルダーシュピッツエの二つのピークを周遊するのだ。ケーブルカー乗り場へ行くのには少し迷った。ロスヒュッテという案内板は見かけたのだが、それがケーブルカーの行き先であることを知らなかったからだ。  ロスヒュッテからゴンドラはヘルメレコプフ行きとゼーフェルダーヨッホ行きに分かれるが、僕はヘルメレコプフ行きのゴンドラに乗った。満杯の乗客が一気に歩き出したが、こちらの人はペースが速い。僕は周りの景色に感動してビデオをまわす回数が多くなり、気がつくとしんがりになっていた。
 ヒュッテまでは少しきついところもあったが、ほとんどはトラバースしていく快適な道だ。ヒュッテでは多くの登山者が飲み物を飲んだり軽い食事をしたりしてのんびり談笑している。ヒュッテでゆっくり楽しむのがこちらの人のスタイルであるらしい。
 僕は少し休んだだけで小屋の裏側からライターシュピッツエを目指す。ここが今日のコースの最大の難所だった。急峻な岩場の道にはロープやワイヤーが何ヶ所もあり、緊張が強いられる。しかし時間は思ったほどかからず十字架のような標識がある頂上に立つことができた。狭い頂上では大勢の人が回りの絶景を楽しんでいた。周りにはとがった山が多く標高以上の高度感があった。山の名前を全く知らないのには閉口したが、唯一知っているツークシュッピッツエは雲の中であった。これから登るゼーフェルダーシュッピッツエは少し下の方に見え、きれいなピラミッドの形をしていた。
 ゼーフェルダーシュッピッツエに登るには、反対側の急斜面を一旦降りなければならない。岩と砂で滑りやすい。鞍部のライターヨッホで12時になったので昼食にした。目の前にはゼーフェルダーヨッホへとトラバースする道が続いている。直線なので距離感がある。どんどん下っていって、山頂直下で少し急登となる。山頂付近にはお花畑が広がっていて、紫や赤い花が風に細かく揺れていた。振り返ればライターシュピッツエが一段と高く、槍の穂先が天を突いていた。頂上には家族連れが多かった。逆コースから登れば、ここまでは簡単に来れるからだろう。 
 ホテルに戻ったら4時近くだった。シャワーを浴びて外に出ると広場で楽隊が「ラデツキー行進曲」をやっていた。子供が揚げる ”Follow me” の看板につられて王宮広場のコンサート会場でクラシック音楽を聴く。月が輝きだし、幻想的な雰囲気だった。
 

7月22日(木)
 晴れ 

ノルトケット

 ハーフェレカー山頂駅(9:10)→ハーフェレカーシュピッツエ(9:20〜25)
 →ハーフェレカー山頂駅(9:30)→ハーフェレカー山頂駅(10:50)
 インスブルックの北にそびえる山並みがノルトケット連邦である。インスブルックから最も近い山として市民や観光客に親しまれている。ホテルから歩いて10分ほどの所にフンガーブルクバーンの乗り場がある。このケーブルカーは今まで乗ったことも無いすぐれものである。はじめは地下鉄のように地下を水平に進んでいくのだが、山に差し掛かると地上に出る。しかもどんな傾斜になっても、コンピューター制御で水平のままである。
 ロープウエイを乗り継いでハーフェレカー山頂駅に着くハーフェレカーシュピッツエはそこから10分ほどで着いてしまう。風が強く寒かったので早々に降りてしまう。ハーフェレカー山頂駅に戻り水平道を東に向かって歩き出す。今日は移動しなければならないので午前中にはホテルに戻りたかったので、1時間ほど歩いて適当なところで引き返すことにした。
 右下にインスブルックの街並みを見下ろしながら、手入れされた道を快適に歩く。インスブルックの街は、パッチャーコーフェルから眺めよりも一段と近くに見える。色とりどりの高山植物が視界に花を添えている。本当に気持ちのよい散歩道だ。やがて緑の草原に羊が現れてきた。バックの岩峰と草原と羊、この取り合わせが一枚の絵を見ているようだった。
 12時ごろホテルに戻る。インスブルック中央駅から12時56分発の電車でザンクト・アントンに向かう。ザンクト・アントンは知る人ぞ知る人気のスキーリゾートである。1時間ぐらいで到着し、インフォメーションで予約してあるホテルの場所を聞く。街はずれであったのでかなり歩いた。リュックが肩に食い込んだが、山の中を歩くことを思えば弱音ははけなかった。
 苦労して着いたホテルは今回の旅行で一番とも言える豪華なホテルだった。部屋の窓から田舎の家と山並みが眺められ、珍しくバスタブまでついていた。知らぬ間に寝込んでしまい、朝の8時かと思ったら夜の8時だった。
 7月23日(金) 時々雨 

 
ザンクト・アントン

 ガルツィヒ(8:50)→マイエンゼー(9:35)→教会(10:50)
 →ザンクト・アントン(11:45)

 朝から雲行きがあやしい。レセプションで今日の天気を聞くと、やはり雨だった。とにかくロープウエイの乗り場に行ってみることにしたら、なんと動いていた。2811mのところにある展望台まで行っても何も見えないと思い、途中のガルツィヒまでの片道券を買う。ロープウエイには誰も乗っていず、独り占めだった。
 ガルツィヒには立派なレストランやお土産屋があったが、ここにも誰もいなく、僕のせいではないのだが申し訳ない気がして自然と早歩きになる。天気がいいのと悪いのとでは、お客さんの数が雲泥の差であろう。
 ハイキングコースには番号がふってあるので歩きやすい。まず24番でマイエンゼーを目指すことにした。真っ白なガスの中を歩き始めたが、すぐにガスの間から山々の頂上部が見え出した。夢中でビデオや写真を撮ったが、周りの景色を見せてくれたのはそれが最初で最後だった。
 ぽつぽつと雨が降ってきたので、今回のトレッキングで初めて雨具をつける。高山植物が雨にぬれて水玉を落としている。マイエンゼーはひっそりと雨に煙っていた。人がまったくいないので余計寂しく見える。
 舗装道路を横切ると樹林帯の中に入っていく。あとで分かったのだが、目指すゼンヒュッテ小屋は国道に沿ってしばらく歩かなければならなかったのに、横切ってしまったために予定していた道とは違ってしまった。深い森を歩いていくと小さな教会が現れた。家族連れがお参りに(?)来ていた。その下に舗装道路があり、ザンクト・アントンの街まで続いていた。
 「観光には金を惜します、食事はつつましく」をモットーにしてきたが、今回初めてレストランで食事をした。ソーセージとポテトの田舎料理だったが日本人の口に合いとてもおいしかった。

7月24日(土) 雨 

ハルシュタット

 朝から雨。移動日だったのでラッキーと思わなければならない。9時48分の特急に乗り、ザルツブルク経由でアットナング・プッハイムで快速に乗り換える。ハルシュタットの鉄道の駅はハルシュタット湖の東岸にあり、ハルシュタットの街に行くには船に乗らなければならない。「世界一美しい湖畔の街」と言われるハルシュタットを正面から見ることができるチャンスであったが、あいにくの雨で外に出ることができず、船の中からは水滴が邪魔をしてはっきりと街を眺めることができなかった。
 ホテルはマルクト広場に面した抜群のロケーションにあった。早速外に出て湖岸通りを歩くと、お祭りのように人であふれていた。さすがに世界の観光地である。夕食はホテルで名物のハルシュタット湖で採れた魚料理を食べた。臭みも無くやわらかい肉でとてもおいしかった。
7月25日(日) 曇り 

クリッペンシュタイン

 朝からどんよりとした曇り空で、予定通りクリッペンシュタインへ行こうか迷ってしまう。山は天気が悪いと魅力が半減してしまうからだ。朝食が終わってからも迷っていたが、意を決して予定通りクリッペンシュタインへ行くことにした。9時45分発のポストバスでロープウエイ乗り場まで行く。
 ロープウエイを乗り継いで山頂駅まで行く。途中でハルシュタット湖がきれいに見えていた。頂上はガスの中。風が強く、体感温度は10度以下だった。一瞬ガスが晴れてダッハシュタイン山群の峰々が見えた。こんな寒い中で、羊が震えているように見えた。
 教会を過ぎて展望台まで行ってみた。結構人が多く、彼らはジャンパーを着込み、毛糸の帽子をかぶり、とても夏の風景には見えなかった。そこからは残念ながら何も見えなかったが、帰りに奇跡が起こった。パーッとガスが晴れて、眼下にハルシュタット湖が魔法のように現れたのだ。ガスの切れ間から現れた太陽が、ちょうど湖の部分だけ照らし出していた。
 再びハルシュタットに戻ると、日曜だからか子供たちのためのイヴェントが行われており、にぎやかな声が響きわたっていた。ヘルメットと命綱をつけて壁を登ったり、滑車で滑り降りたり、さすがオーストリアと思わせる出し物が多かった。
 電車とバスに乗って、ヴォルフガング湖に面した美しい街ザンクト・ヴォルフガングに行く。ザルツブルクの東側に、ザルツカンマーグトと呼ばれる山と湖の美しい地域があるが、それらの代表的な湖のひとつがヴォルフガング湖である。
町の中心でバスを降りて、あちこちで訪ねながらホテルに着くと、57フランの部屋から42フランの部屋に変わってほしいと言われた。僕は安ければよかったので喜んで同意した。部屋の真下にヴォルフガング湖が見える上等の部屋だった。街には馬車の蹄の音と観光客のざわめきが響き渡っていた。

 

7月26日(月)
 晴れ 

 
シャーフベルク

 山頂駅(10:00)→踏切(10:35)→中間駅(10:50)→
 ザンクト・ヴォルフガング(12:30)
 朝食の前に、今日乗るバスの停留所を確認しに行く。方向から考えて反対側に向かうバス停のようなので、近くの民家にいた男性に尋ねてみた。反対側のバス停はかなり離れたところにあったのだが、一緒に来てくれてザルツブルクへの行き方を詳しく説明してくれた。異国で受ける親切は本当にありがたい。
 例によって荷物を預けて、カードでホテルをチェックアウトしようとしたら現金で払って欲しいと言われた。山から下りたときに両替しようと思って街を歩いていると、なんと銀行は8時から開いていた。オーストリアの銀行が日本の銀行より早く営業しているとは意外な発見であった。
 シャーフベルク登山鉄道の駅は、街はずれの船着場の前にあった。赤い車両を引っ張る蒸気機関車はスイスのブリエンツの登山鉄道に似ていた。汽車の時間を待っている間に二組の日本人に会った。オーストリアを一人で観光している中年の女性とロンドンに留学している高校生とその母親だった。懐かしいと思うほど日本を離れているわけではないが、久しぶりに思い切り日本語が話せてうれしかった。

 一番列車だったためかそんなに込み合っていない。映画「サウンド・オブ・ミュージック」にも出てきたというが、どの場面だったかはっきり覚えていない。列車は急勾配をあえぎながらゆっくり登っていく。林を抜けるとさえぎるものは無く、眼下に湖が見えてきた。山頂駅から10分ほど登ってホテルまで行ってみたが、ガスが出てきて視界が無かったので、駅まで戻って草原の道を歩き始める。高山植物が咲き乱れている。
 やがて天気も回復し、眼下に登山鉄道の線路と牧場そして湖が現れた。牛が放牧された高原をのんびり歩いているとなんとも言えない開放された気分になる。太陽にきらきら輝く湖を見ていると、このあたりが「オーストリアの宝石箱」と呼ばれる所以が分かるような気がする。静けさをかき消すように蒸気機関車がゆっくりと登ってきた。牧場を過ぎると樹林帯に入りもう周りの景色は見えなくなった。軽装で登ってくる人も多く、市民のウォーキングのコースにもなっているようだ。道は舗装道路に変わり、街へと戻ってきた。
 いったんホテルに戻り、バスでザルツブルクを目指す。市内に入ると全員下ろされ、別のバスに移された。どうも故障したらしい。ミラベル宮殿が見えてきたのであわててバスを降りようとしたが、ドアの開け方が分からず恥をかく。地図を頼りにホテルを目指して歩き始める。自力で探したのは初めてだったので、ネットでコピーした写真通りのホテルを発見したときは少し感激した。  一休みして再びミラベル宮殿に戻り、ゆっくりとビデオに撮る。赤い花が咲く庭園と背景のホーエンザルツブルク城塞は絶妙の取り合わせだった。片隅では女学生がハープを弾いていた。旧市街のモーツァルトの生家を見て、スーパーに入り果物やヨーグルトを買って、ホテルに戻って日本から持ってきたカレーピラフと一緒に食べた。
 

7月27日(火)
 雨のち曇り 

ザルツブルク旧市街とパノラマツアー

 朝から雨。予定を変更して午前中は旧市街を観光し、午後はパノラマツアーに参加することにした。ザルツブルクカードの1日券を買い、まずモーツァルトの生家を9時の開場を待って1番乗りで入場した。モーツァルトが使った楽器や自筆の楽譜などがあったが、特に感激するほどのものではなかった。
 次にホーエンザルツブルク城塞を訪れる。これはザルツブルクの大司教によって1077年に築き始められたもので、その後絶えず増改築が繰り返さ
れ、現在の姿になったのは17世紀半ばのことだ。ケーブルカーに乗り、城塞内部を案内するオーディオガイドツアーに参加する。グループごとに移動し、全員が説明を聞き終えるまで待っていてくれる。オーディオガイドは日本語だったのでよくわかった。夏だというのに暖房されている部屋もあった。雨が降ると気温はぐっと下がるのだ。
 次に大聖堂に入る。その大きさと壮大さに度肝を抜かされた。モーツァルトは個々で洗礼を受け、オルガン奏者も努めたらしい。最後に大司教の宮殿であるレジデンツを訪問する。ホーエンザルツブルク城塞は戦争や動乱のとき使われたもので、大司教が平時はここで生活し執務していた。いくつもの部屋がありそれぞれ贅をこらしたもので、当時の大司教の権力を垣間見ることができた。謁見するための控えの間があったりして、まるで江戸時代の殿様であるように感じた。
 










モーツアルトの生家
ったんホテルに戻り、午後のツアーのピックアップを待っていた。レセプションで申し込んだツアーはヒットラーの別荘を訪ねるものだったが、実際は違っていてがっかりした。レセプションの女性が認識不足だったのか、おそらく僕の英語力にも問題があったのだろう。このツアーの目的はドイツの国立公園の中にあるケーニヒス湖を訪れるもので、ヒットラーの別荘はバスの中と湖の近くから見ることができるだけだった。ホテルに帰ってから調べてみると、そのツアーは午前中に開催されているだけだった。
 

7月28日(水)
 曇りのち晴れ  

シュミッテン・ヘーエ

 シュミッテン・ヘーエ山頂駅(11:20)→シティエクスプレス乗り場(12:50)
 オーストリアの最高峰グロースグロックナーを訪れるためには朝食抜きで、早出する必要があった。朝起きたらどんよりとした曇り空だったので、グロースグロックナーは無理だと思い、ゆっくり朝食を食べる。ところが部屋に戻ると薄日が射し出した。あわててバスに飛び乗り、8時12分発の特急に乗る。  ところが、ポストバスが出るツェル・アム・ゼーに着いてがっくり。次のバスは12時30分発で、2時間ほど待たなければならなかった。それに乗ったとしても帰りのバスは3時なので30分ほどしかいられない。どうしようか迷いながら案内書を見ていると、シュミッテン・ヘーエという展望が素晴らしい山があることが分かり、ちょうど目の前にあったロープウエイ乗り場行きのバスに飛び乗った。
 ロープウエイの乗り場は大混雑。20分以上待たなければならなかった。その甲斐があって、頂上は素晴らしい景色を眺めることができた。白く輝くキッツホーン(3203m)とそれに続く山並みがはっきりと見える。眼下にツェル湖を見ながら、高山植物が咲く道をゆっくり下って行った。これから下っていく道がはっきりと見えているので安心感があった。道も広く、整備が行き届いていた。下りる人よりも登ってくる人のほうが圧倒的に多かった。
 12時になったので、白い山々を見ながら贅沢な昼食。草原にはワタスゲが咲いていた。思ったより早くシティエクスプレスというゴンドラの乗り場に着く。ゴンドラは湖の中に飛び込むように下っていく。ゴンドラの駅は街の真ん中にあり、下の階はバス停になっていた。冬のスキーシーズンにはさぞかし便利なことだろう。
 歩いて駅に着くと、列車が入っていた。どちらの方面行きか、あわてて乗り込んだのでわからなかったが、乗客に確認して一安心。3時前にはザルツブルクに着いてしまう。オーストリア最後の夜だったので夕方旧市街に繰り出す。夜も大道芸人が出ており、若者はギターを弾いたりブレイクダンスを踊ったりしており、お祭りのような騒ぎだった。
 

7月29日(木) 晴れ

 ウンテルスベルク

 頂上駅(9:05)→ザルツブルガー・ホッホスロン(9:25〜35)→
 山小屋(10:25)→山道(10:45)→舗装道路(11:50)→
 フルシュテンブルンバス停(12:05

久しぶりの快晴。今日はザルツブルク市民の山として知られているウンテルスベルクに登ることにして、旧市街の入り口からバスに乗った。約10キロバスに乗ることになるが、近づいてくる山は大きな岩の塊に見えた。
 ロープウエイが高度を上げるにしたがって、周りの山の全貌が見えてくる。頂上駅の展望台からはザルツブルクの町並みが見える。インスブルックと違って眼下というわけではないが、旧市街の主な建物は見分けることができた。反対側は白い雪をまとった山並み続いている。
 20分ほど歩くとザルツブルガー・ホッホスロンの山頂に着く。天気はいいし、周りの展望に圧倒されながら、長いオーストリアの旅の終わりを感じていた。観光客はここで引き返すようだが、僕は少し先から下山することにした。ロープウエイ乗り場でもらった地図は小さくて見にくく、どこを歩けばいいのかよく分からなかったので、赤い線を歩くことにした。それはスキー場の中につけられた登山道だった。スキー場といってもリフトはなく、ロープウエイで上がってくる以外方法は無い。頂上付近は高山植物が咲き乱れており、広いゲレンデをのんびり歩くのは快適だった。途中で鹿の親子に会った。警戒心が強く、僕の姿を見て走り去ってしまった。
 1時間ほど歩くと3軒の山小屋があるところに出た。スキー客を泊めるにしては小さ過ぎるし、何のためのものかよくわからなかった。道は一旦山道に変わるが、こちらのほうがよほど歩きやすい。しかし森の中は薄暗く、気味が悪いほどだった。森を抜けると眼下に集落が見えてきた。一般道に出ると15分ほどでバス停に着いた。始発なのか、すでにバスが止まっていた。
 1時ごろホテルに戻り、13時53分発の特急でミュンヘンに向かう。ホテルは駅の目の前にあった。夕刻、マリエン広場まで歩いてみる。カールス広場からマリエン広場までは歩行者天国になっておりすごい人出だった。新市庁舎の鐘が終わりを告げるようにあたり一面に鳴り響いていた。

 7月30日(金) 晴れ  4時に起きて出発の準備をする。5時ごろ準備が完了し、ベットに入っていたら眠ってしまい、目を覚ましたら7時を過ぎていた。あぶない、あぶない。飛行機は待ってくれない。急いで空港に向かった。 
 ヘルシンキで乗り換える際に、のんびりしていたら
放送で最終の搭乗案内をしていた。時差があるのをすっかり忘れていたのだ。
 7月31日(土) 晴れ  予定通り中部国際空港に到着する。名古屋から待ち時間も無く順調に福井に戻ることができた。12時ごろ福井に着いたが、早く着きすぎて迎えの車を待たなければならなかった。日本は記録的な暑さの真っ只中であった。