第二次世界大戦の跡を尋ねる旅
                                               1997年3月25日〜30日
 

3月25日(火)

晴れ
アムステルダム  KLMオランダ航空機は予定通り12:30に離陸する。12時間という長い飛行時間も2本映画を見て、割と短く感じることができた。「インディペンダンス・デイ」を見ることができたのはラッキーだった。
 空港で今夜のホテルを紹介してもらう。「駅の近くで、100ギルダー以下のホテルを」といったら、99ギルダーの"Hotel Sofitel"を紹介してくれた。行って見るとバス、トイレ付きの清潔でなかなかいい部屋だった。
 一休みして夜の街を歩いてみた。夕食は結局マクドナルドにした。日本のと比べるとボリュームがありお腹がいっぱいになった。
3月26日(水) 

曇り
アムステルダム  2,3回目を覚ましたが、比較的良く眠れた。時差を克服するのは無理をしてでも現地の時間にあわせてしまうことだ。5時ごろ起き、今日まわるところの研究をしていた。
 8時ホテルを出て、ダム広場から今日のハイライトであるアンネの家に8:45に着く。少し並んで、ほとんど一番に入場することができた。映画、芝居、本などで何度も見聞きしているので感慨もひとしおであった。こんな狭い空間でいつか出られることを夢見て、僕が今見ているのとほとんど変わらない外の景色をいていたのだ。
 「ベギン会修道院」からトラムに乗って「国立博物館」に行く。もちろん目当てはレンブラントの「夜警」とフェルメールの「台所女中」。あんなものかなぁ、と言う感じだった。
 12時過ぎ歩いて「国立ゴッホ美術館」へ。日本語のガイドブックを買っていたのでよく分かった。美術音痴のさすがの僕も感激。こんなに去りがたく思ったのは初めてだった。それから中央駅に戻りワーテルロー広場でトラムを降り、のみの市をぶらぶらする。家にあるものを何でも持ってきたという感じで、タイルのかけらや、壊れた人形、ひびの入ったレコード盤など、意味不明のものも多かった。
 ホテルに戻って隣のレストランでラザニアを食べたが量が多くて閉口した。
3月27日(木)

晴れ時々曇り
ベルリン  今日は慌しい出発だった。5時に目を覚まし用意をしていたら5:20。走って駅に行ったが自動発券機は全部オランダ語で書かれていて買い方がわからず、もたもたしていたら5:30の電車に乗り遅れてしまった。おまけにホームでイギリスの若者にたかられてしまう。いろいろ情けない声で言ってお金をせびってきたが、小銭しか渡さなかったのは正解だった。
 6:07の電車で空港へ。時間が無いのでチェックインもせずにゲートへ。「走れ、飛行機は待ってくれませんよ」とグランドホステスが叫ぶ。
 何とか間に合って無事ベルリンに到着する。地下鉄の駅でバスを降ろされ、ツォー(ZOO)駅へ。なんとかたどり着いてすぐ切符売り場へ行く。なんとか今夜のアウシュビッツまでの切符を手に入れたが良く調べてみると日付が1日違っていた。また予約しなおしたら前の列車は満席で、他の列車になった。しかし、とりあえずは目的を果たしてほっとした。 
 10時ごろからシャルロッテンブル宮殿にバスで行く。部屋の案内にはたっぷり2時間もかかってしまう。陶器の部屋にはさすがに驚いたが、どこの宮殿も金に糸目をつけない贅をつくしたものには違いない。
 バスでツォー駅に戻りブランデンブルク門へ。数々の歴史を刻むこの門は記録映画にはたびたび登場している。近くでベルリンの壁が売っていたので小さいのを一つ買う。
 歩いてフンボルト大学の前を通りベルリン大聖堂へ。パイプオルガンを聞きながらしばし休息。元気を取り戻して「ベルガモン博物館」へ。スケールの大きさに圧倒される。でも、考えてみればドイツが他の国から持ってきたものだ。
 またツォー駅に戻り、ヴィルヘルム記念教会を見る。ちょうど広島の原爆ドームのように、後世に残すため大戦で受けた被害をそのまま残している。
 初めて見る旧東ベルリン地域は長方形の安っぽい建物が多く、何か人間味を感じられなかったのは気のせいだろうか。
 Hbf(中央駅)に行くのがまた大変だった。てっきり地下鉄で行けるものだと思っていたらSバーンだった。何とかフランクフルト(オーデル)まで行き、ポーランド行きの列車へ。ホームや車内ではポ―ランド人らしき人たちが騒いでいて異様な雰囲気だった。乗車前にパスポートを調べられる。高飛車な若い男が「このビザではだめだ」みたいなことを言っていてひやひやしていたが、もう一人が「いいんだ、いいんだ。」みたいなことを言ってようやく乗せてもらえる。なんとか指定の寝台にもぐり込め長い長い一日が終わった。
3月28日(金)

曇り一時雨
アウシュヴィッツ
クラクフ
 夜中に暑くて目がさめ、着ている物を脱いだら今度は寒くて目が覚めた。4時ごろ車掌が切符を持って起こしにきてくれた。昨日切符を取り上げられた時は不安だったが、行き先別に起こしてくれるシステムになっているようだ。
 何のアナウンスも無いので少しあせったが、駅名が確認できて一安心。40分ほど待ち時間があったので、その間に現地通貨に替える。朝食を買ってローカル列車に乗り込む。
 7時ごろ寂しげなオシフェンチム駅に到着。バスでアウシュヴィッツ強制収容所へ。ここで、28の民族、400万人以上が殺されたと言う。ゆっくり建物の展示を見る。大量の髪の毛が入れてある部屋。歯ブラシや櫛でいっぱいの部屋、かばんでいっぱいの部屋…胸が悪くなりそうだった。
 9時ごろビルケナウ収容所へ行く。交通手段が無いので管理の人に言ったら、車で送ってくれた(有料で)。荒涼とした原野に列車の引込み線がありバラック立ての建物が並んでいた。建物の中には人が押し込められていた蚕棚があり、人のうごめく姿が目に浮かぶようであった。こちらの収容所の方が頭に描いていたイメージに近かった。ユダヤ人の団体が大勢来ていた。
 雨が降り出したが歩いて駅に戻る。こんな見知らぬ土地で雨の中をとぼとぼ歩いている自分がなんとも不思議であった。
 10:50でクラクフへ。ローカル線だったので2時間くらいかかる。汽車の中で雨はやんだが、風が強かった。中央広場では旧市庁舎や聖マリア教会を見て、ヤギェウォ大学を通ってヴァヴェル城に行く。さすがに坂道は疲れる。いったん駅に戻りカトヴィッツまでの切符を買い余ったお金を使ってしまうために又街に出る。
 無事予定の列車に乗ることができて一安心。少しでも狂うと日本に帰れなくなる可能性もあるのだ。コンパートメントには夫婦と子供だけ。一番上のベットでゆっくり寝ることができた。
3月29日(土)

晴れ
ベルリン
アムステルダム
 朝車掌が切符やパスポートを調べにきて目を覚ます。窓際に立って朝の風景を眺めていたら、子供がとてもなついてきた。そのたびに母親が子供を叱っていた。こちらとしては何とも複雑な気持ちだった。
 7時過ぎ予定通りリヒテンベルク駅に着く。すぐツォー駅に行き、コインロッカーから預けた荷物を取り出しテーゲル空港行きのバスに乗る。アムステルダムで飛行機を乗り換えていよいよ日本へ。
3月30日(日)

晴れ
大阪からサンダーバードに乗り2時半ごろ福井に到着する。今回の旅行はホテル2泊、列車2泊と慌しかったけれど、とても充実していた。