白山には何度登っただろうか。10回近くにはなっていると思うが、秋にしかも日帰りで登ったのは初めてだ。今回は11年ぶりで、しかも一人で登ったせいもあって過去の事が色々思い出された。さながら回顧登山と言った感じになってしまった。
別当出合から砂防新道にはいる。夏は、樹木の下の風の通らない道で、いきなり汗が噴き出すのだが、今日は涼しいし行き交う人もいないのでペースが上がる。中飯場にはトイレができていた。工事用のトラッ クを通すトンネルを造っており、登山者はその上を歩くようになるらしい。それだけ登山者が多く、工事の車が危険な状態をつくっているのだろうか。
甚之助小屋までの道は日影が少ないので、夏なら汗が道の岩にしみ込むくらい流れる所だ。甚之助小屋まではやたら赤ちゃんの写真が立ててあり、「がんばってね」とか「ゴミを捨てないでね」などと書かれている。かわいい赤ちゃんに言われれば従わない訳にはいかない。うまく人間の心理を利用している。でも、その赤ちゃんが田舎っぽく、かなり昔に撮られたように感じたのは気のせいだったのだろうか。
振り返れば大長山がでんと控えており、赤兎山や経ヶ岳といったおなじみの山や奥越の山並みが続いている。遠くには伊吹山がかすんで見える。福井の大抵の山から見ることが出来る白山は、当然の事ながら福井の大抵の山を見ることができる。
白山に入って初めてわかったのだが、黒ボコ岩コースは光ファイバーの敷設と登山道の整備のために通行止めになっており、エコーラインを通るようにとの指示が出ていた。エコーラインは急な登りであるという印象が強く、帰りにしか利用したことがなかったが、今回登ってみて黒ボコ岩の急登よりよっぽど楽であることがわかった。10数年前、小学校6年生の息子と一緒に登山したときのことを思い出す。黒ボコ岩への急な登りに息が上がり、数分おきに休憩するという体たらくであった。息子ははるか先に行って心配そうに親父の様子をうかがっている。父親の威厳などあったものではなかった。
エコーラインからの景色は想像以上に雄大なものであった。右手に御嶽山と乗鞍岳が浮かび、前方にはどっしりとした御前峰そびえている。火山台地の弥陀ヶ原に出ると木道が続き、広々とした平原はとても清々しい。初めて生徒と登ったとき、登山靴を脱いで鬼ごっこをしたことなどを思い出す。
岩がゴロゴロして歩きにくい室堂までの道もあっさり越してしまうと、いくつもの建物が目に飛び込んできた。室堂センターはすっかり建て替えられていたが、あとの建物は昔と同じ姿なので、ペンキを塗り替えられただけなのかもしれない。
室堂からは急にペースが落ちてきたのを感じる。空気が薄くなってきたせいなのだろうか。今まで思ってもみなかったのだが、自分は高度に弱いのかも知れない。そういえば、キナバル山でも最後はつらかった。御前峰の山頂は目の前に見えるのになかなか近づかない。このあたりの道は、いつもは日の出前に懐中電灯をつけながら歩いている。夜明け前に流す汗の冷たい感触がよみがえる。ざらざらした砂礫に足を取られ歩きにくかったが、今は石畳の立派な道が頂上まで続いている。
頂上には4人の先客がいた。頂上から見る剣ヶ峰や大汝峰は草木はいっさい無く、よその惑星を見ているような錯覚を覚える。昼食は、今登ってきた室堂平や遠く奥越の山々を足元に眺めながらとる。インスタントのみそ汁とおにぎり、食後はオーストラリアでもらってきたホットチョコレート。どれもうまい。
帰りは、黒ボコ岩の手前から右に折れ、観光新道を通る。山道らしい道にほっとする。遮るものが無く、視界が広くとれるのがいい。ただし、少しだけ期待していた花は無い。数日前に朝日岳に行った時は、花も紅葉もきれいだったのに、この差はいったい何なのだろう。ここのは「紅葉」と言うより「枯れた葉っぱ」といった感じだ。道はアップダウンがあったり、岩場を抜けたり、一気に急降下したり、なかなか厳しい。
「あと1キロ」の標識を少し過ぎた所で、岩につまずき、勢いよく走らされ、景色がどんどんアップになって道端に肩から突っ込んで止まった。全く一瞬の出来事で、何が起こったのかよくわからなかった。あばら骨のあたりや足首等が痛く、しばらくその場にうずくまっていたが、骨には異常がないことがわかりひとまず安心した。左のすねから血が流れており、肩と右肘に擦り傷があった。これは教訓として重く受け止めなければならない。降りは足が疲れておりちょっとしたことで転倒するのだ。
ともあれ、4時30分に別当出合に着き、夕食までには家に着いていた。白山も近くなったものだ。
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