今日は2つの教訓を学んだ。1つ は山に登山靴を忘れると言う信じられないミスを犯してしまったのだ。慣れてしまって気が緩んでいたのだろう。頭はパニックで、「もう帰るしかない」とか「ここまできたのだから埼玉の息子のところへでも行こうか」などといろいろな考えが頭を巡っていた。家に電話すると、「買えばいい」という。その発想が僕には浮かばなかった。さっそく小出の駅前まで引き返し、2980円の「完全防水」と書いてあるトレッキングシューズを買った。
もう1つはガソリンのことである。「帰りの高速で入れればいいや」と軽く考えていたが 、国道352号線は山の中を走る想像以上の悪路であり、目的の鷹ノ巣までは、普通の道では考えられないくらいの時間と燃料がかかる。銀山平ではもうゲージの針は1番下を指しかかっていた。戻るか鷹ノ巣を越えて一番近くのガソリンスタンドまで走るか選択に迫られた。結局そのまま進むことにしたが、暗くなってくるし、不安で仕方が無かった。ようやく着いた鷹ノ巣の民宿で聞いてみると一軒あるという。まさに「地獄で仏」である。しかし、食堂が経営しているスタンドは看板もなく聞いていなければ見逃しそうであった。おまけに燃料を入れるのは手動式のガラガラとハンドルを回すやり方で、100年前にタイムスリップしたような不思議な気分だった。
4時半、ドンドンドンドンという音で目が覚める。カーステレオの音である。全く迷惑な話だと思ったが、僕も予定を早めて歩くことにした。聖岳で「明るくなるまで動かない」という教訓を学んだはずだが、今日は先達もおり道もしっかりしているのでその禁を犯すことにした。懐中電灯のチラチラする光とカウベルの澄んだ音を頼りに歩き出した。
途中の尾根の平らな所でテントをたたんでいる人がいた。こんな所で寝ていたとは驚きだが、「バスの時間が決まっているので、昨日のうちに登れる所まで登った」ということである。
前方に大きな月があり、月明かりだけでも歩けそうなほど明るかった。やがて後から雲が赤く燃え出してきた。谷あいにたまった雲はまるで海のようである。
下台倉山に出るまでヤセ尾根の急登が続いたが、そこからは少しアップダウンはあるものの気持ちのよい山歩きだった。「今年の紅葉はきれいではない」と何かで読んだが、この景色を見たら訂正せざるをえないだろう。足元に広がる錦の絨毯はどんな言葉を持ってきても表現できないであろう。これだけでも僕の心はウキウキである。
燧ヶ岳が双児峰のシルエッ トを浮かべて、意外なほど近くにそびえている。池ノ岳直下の坂はちょっと厳しかったけれど、その分頂上の景色はよかった。近くの山の紅葉と遠くの山の青がなんとも言えぬ対照を成していた。燧ヶ岳の右には日光の白根山も頭を見せている。
姫池越しに見る平ヶ岳はとくに美しかった。スイスのバッハアルプ湖から見た山々をふと思い出していた。
頂上には湿原と池塘が広がっていたが、人もあふれていた。聞いてみると、途中まで林道をマイクロバスで送ってもらったそうだ。僕は何かで読んで知っていたが、「そんな道があったのか、それはずるい」とくやしがっている人がいた。
帰りに玉子石に寄った。そこから見た越後駒ケ岳は均整の取れた姿が美しく、今度はあの山から平ヶ岳を見ようと心に誓った。ちなみに、2980円のトレッキングシューズは履き心地がよく、11時間も歩いたのにマメひとつできなかった。ひょっとして3万円の登山靴よりいいのではないかと思ったりした。 |