海外研修引率日記(オーストラリア・ジーロング)   

                                  2003年7月29日〜2003年8月13日

7月29日(火) 
晴れ
 11時頃学校へ。12時半から出発式。バスの前で記念撮影。どの顔もはずんでいる。1時過ぎ、みんなに見送られて出発。途中2箇所30分ずつ休んでいったが、名古屋空港に予定より1時間ほど早く着く。日本最後の食事になると思い、Nさんは味噌かつ、僕はきしめんを食べる。8時予定通り離陸。
7月30日(水) 
時々雨
 早朝4時頃ケアンズに降りる。空港で待っている時、そんなに空腹でもないのに寿司を買ってしまう。シドニーで11時発の国内線に乗り換えて、メルボルンへ。長い旅だった。空港でコーディネーターのヘザーとポーラに会う。気さくな人みたいで一安心。
 バスに乗りホームステェイ地へ。目的地に近づくにつれて生徒の緊張が高まる。ウェヘルビーで約半数が下車。すでに数人の家族が待っていて、さっそく対面。笑顔がこわばっている。残りはジーロングのクロナード・カレッジへ。一室で家族を待ちコーディネーターから呼ばれる間、イヤでも緊張する。全員が無事売れて(失礼!)ほっとする。
 夜は中華料理を食べに行く。3年前に訪れた所だ。帰りスーパーに寄り、明日から必要なものを揃える。添乗員のTさんがしっかりしていて、マーガリンやジャム、パンなど量が多いものは分け合う。
7月31日(木) 
時々晴れ
 やはり疲れていたのかぐっすり寝ていて、Nさんのノックで起こされる。何と集合時間までに10分しかない。火事場のように急いで約束の時間に間に合わせる。
 9時クロナードに集合。4つのグループに分かれクロナード・カレッジとウエスタン・ハイツに分かれて授業が始まる。僕は主にウエスタンの方で授業を参観した。まだ、生徒の緊張はとれていないが、先生は気さくに対応している。
 昼はピアのレストランへバスで行く。典型的なフィッシュ&チップスを食べる。その後ディーキン大学へ歩いて行く。職員に大学の中を案内してもらう。大学にしては静かで人気が無かった。 バスで学校に戻り、3人でショッピング・センターへ。僕は「ターゲット」と本屋で色々見ていた。夕食はカレーとTさんが作ってくれたサラダだった。女性が一人いると食生活はぐっと豊になる。
8月1日(金) 
晴れ
 今日は6時40分頃起きて、ゆっくり用意する。生徒の中で昨晩泣いていた生徒がいて、ホスト・ファミリーからコーディネーターに電話があったそうだ。確かに様子がおかしい。少し話してみたが大丈夫だろうか。
 午後は、サッカー、ダンス、折り紙に分かれて現地高校生と交流。ダンスは動きが激しく、楽しそうだったけれど大変そうだった。すぐとけ込んでしまうところが、若さなのだろう。
 学校が3時に終わってしまうので、Bellarine半島を一周してきた。Queenscliffでは車を降りて港や桟橋に立ち寄る。昔は羊毛の積出港だったようだ。夕陽と海がきれいだった。
 6時頃ジーロングに戻り、今日はステーキを買い、Tさんに料理してもらった。なかなかおいしかった。
8月2日(土) 
晴れ
 午前1時頃目を覚ましたらいろいろなことを考えてしまい眠れなくなってしまったので1時間ほど本を読んでいた。
 今日はザ・グランピアン国立公園に3人で行くことになっている。ガイドブックに10時からアボリジニーの壁画を巡るツアーがあると書いてあったので、それに間に合わせようと6時半にホテルを出た。オーストラリアは冬なので、もちろん真っ暗である。やがて、牧場の一角から真っ赤な太陽が顔を出してきた。早起きをしないと見られない荘厳な朝の風景である。
 バララットを経由して国道8号線に入り、ザ・グランピアンに向けて124号線にはいる。道はどこまでもまっすぐで、対向車もほとんど無い。10時間に合うようにNさんの運転が心持ち焦っているようにも見えたその時、前からパトカーがやって来た。やり過ごすと、なんとUターンして追いかけて来るではないか。日本では考えられないことである。情け容赦なく罰金256$を取られてしまった。大ショック。Nさんはアルコールの検査までさせられていた。(後で分かったことだが、Nさんはヴィクトリア州内では1ヶ月の免停であった。)
 当てにしていたツアーは9時発に変わっていて、とっくに出発してしまっていた。踏んだり蹴ったりである。気を取り直し、公園の中心地であるホールズギャップでパンと飲み物を買ってザ・ワンダーランドの登り口に行く。
 いきなり木製の橋が現れ、小川を渡る。しばらくは小さな小川をつかず離れず歩いていく。岩がゴロゴロしているが、迷うことは無い。すぐに「グランドキャニオン」と呼ばれる大きな岩壁に出る。たいそうな名前だが、もちろん本家とは比べものにならない。赤茶けた岩は、昔アウトバック(オーストラリアの内陸部)を旅した時の風景を思い出させる。
 眺望の良い岩山に出ると、道はグァムツリー(ユーカリ)の林の中の穏やかで気持ちの良い道に変わる。小鳥がさえずり、小さな滝が流れている。頂上直下には「サイレント・ストリート」と呼ばれる大きな岩壁にはさまれた狭い道に入る。なるほど一瞬音が消えて、不思議な世界に迷い込んだような気になる。
 「サイレント・ストリート」を抜けると平らな岩畳の頂上部に出る。突端に「ザ・ピナクル」と呼ばれる展望台がある。ワニの背中のように突き出た岩に、転落防止の柵が巡らしてある。柵につかまりながら恐る恐る突端まで行く。眼下にはグァムツリーの深緑の絨毯が広がっている。木が切り倒されて黄緑に見えるところは牧場だろう。右手奥には人造湖の「ベルフィールド湖」が見える。左手を見るとひやっとするほどの絶壁。今年の春に登った荒船山のトモ岩展望台からの景色に似ている。
 それにしても、革靴でここまで来てしまった添乗員のKさんはこの景色をどんな思いで見つめていることだろう。「自分の足でここまで来た値打ちはあるでしょう」と声を掛けたかったが、何だか押しつけがましいのでやめにした。
 帰りにアボリジニーの壁画を一つ見た。とても良く保存がされていた。
ジーロングに6時過ぎに戻り、「ピア」に食事に行く。食べ放題なのでついつい食べ過ぎてしまう。
8月3日(日)
 晴れ
 9時出発でメルボルンへ行く。街の中心にあるパーキングに車を止め、「移民博物館」に行く。移民の歴史がよく分かるようになっている。僕は移民の面接のシュミレーションビデオが面白かった。
 Tさんの案内で「ヴィトン」の店に行く。そこで頼まれていた財布を買う。それから日本の食品を売っている店に行く。想像以上の品揃えで、手に入らないものは無いように思えた。日本では余り見かけない、なつかしいお菓子まであった。昼食は中華街で取ろうと思いぶらぶらしたが、結局中華のテイクアウェイの店にする。皿に好きなだけ取ることができるシステムになっている。
 2時に解散して4時に待ち合わせすることにした。僕は例によってレコード店と本屋に。CDを4枚も買ってしまう。
 今日は疲れたのでめいめいが部屋で夕食にした。僕は釜飯とみそ汁にした。
8月4日(月) 
曇り
 心配していた土日の間の問題も無くて一安心。ウエスタン・ハイツで授業を聞いていたらヘザーから去年のコーディネーターを紹介される。我が校の引率の先生を全部覚えていて、昨年のなつかしい話などを聞く。バイタリティー溢れる愉快な人だった。それにしても、我が校の生徒は4年間でこの土地にすっかり根をおろしたようで頼もしい。
 午後は小旅行。Narana Creationsでブーメランに絵を描いた。生徒は器用で、アボリジニらしい上手な絵を描いていた。その後、ブーメラン投げを体験。しかし、なかなか手元に戻ってきてはくれない。
 学校に戻った後、Ocean Groveへドライブ。海辺のかわいい街だった。ここにホームスティ生徒もいる。バスを乗り継がなければならないと言うから大変だろう。
 今日は寿司を買い、ラーメンと寿司の夕食。
8月5日(火) 
曇り時々晴れ
 生徒達はすっかりオーストラリアの生活にとけ込んでいるようで、毎日が楽しくて仕方がないという感じだ。われわれがつまらない毎日を送っていると思っているらしく、はっぱをかけられる始末。
 午後はインターアクション。小グループに分かれ、"I'm living in Australia(Japan)."というテーマでお互いの国について聞き取り、最後に発表していた。
 帰りにダウンタウンに寄り、カードを6枚買う。Tさんの提案でコーディネーターと先生に寄せ書きをして「さよならパーティ」の時に手渡すのだ。夜は、パスタ、チキン、野菜サラダなどをTさんに作ってもらう。
8月6日(水) 
曇り
 今日はまる一日バララットの「ソブリン・ヒル」を訪れる。ゴールドラッシュ時代の街を再現したテーマ・パークだ。僕は2回目だったのでそれほど感激は無かったが、生徒達は大はしゃぎだった。11時からその時代の女性の考え方や着ていたものについての講義があり、その後みんなで試着した。思い思いの衣裳で写真に収まった彼女たちは本当に輝いていた。
 2時頃「ワイルドライフ・パーク」へ。ここではポッサムやタスマニアン・デビルといった珍しい動物を見たり、カンガルー、コアラ、エミュやといったオーストラリア独特のの動物と触れ合うことが出来た。
 バスの中では生徒達が大はしゃぎ。こちらまで楽しくなってくる。
夜はカレーと豆腐。オーストラリアで冷や奴を食べられるとは思わなかった。
8月7日(木)
 晴れ
 朝、主催旅行者の人が様子を見に来た。「クロナードの研修は恵まれている。生徒も良く交流している。」と言っていた。外交辞令でもなさそうだったので嬉しかった
 午後グループに分かれ日本の昔話を劇にして発表した。最初はどうなる事やらと思ったが、段々劇らしくなっていった。オーストラリアの生徒は一般に人前に出ることに余り抵抗感がなく、「役者!」って思える子もいた。日本人も負けじと大活躍。「今までで一番楽しかった」という生徒もいて大成功だった。
 放課後ウェルビーに行く。ちょうどバスから降りて歩いている生徒がいて、我々の姿を見ると手を振ってくれた。さっき別れたばかりなのに、こんな田舎町でばったり会うと、とても懐かしい感じがした。The mansion(昔の大邸宅)を訪れたが、閉館していたので、バラ園を少し散策して帰ってきた。
 夕食はジーロングに戻りイタリア料理を食べる。
 8時頃コーディネーターのヘザーがホテルにやってきた。ホストファミリーを心配させている生徒がいるようだ。Nさんが電話をして色々話した。わかってくれただろうか。後少しなので頑張って欲しい。
8月8日(金) 
晴れ
 ウェスタン・ハイツへ行って授業を参観する。今日のリセス(中休み)は特別な日だったようで、先生達は図書館に集まってサンドイッチやケーキでパーティをした。音楽の先生がテナーサックスを吹いてにぎやかだった。生徒も数人窓越しで、中の様子を見ている。先生は先生、生徒は生徒と割り切っているところが良い。日本だったら「どうして先生だけが」と生徒から文句だ出るだろう。
 昼は二人の校長先生から食事の招待を受けた。この学校は女性と男性の二人の校長がいるのだ。海辺のレストランでシーフードのパスタをごちそうになった。ただ、ガラスに囲まれて陽が当たるので暑くて仕方がなかった。
 昼食後、「ミニチャー・ファーム」まで送ってくれ、そこで生徒と合流した。生徒は動物の赤ちゃんに触れたり餌をやったり、楽しそうだった。
 放課後Nさんがコンサートに行くというので、一緒にメルボルンに行く。劇場の切符売場に行ったとき、僕も買ってしまう。しばらく市内をうろうろして、8時からの「ロシアン・レボルーション」というコンサートを鑑賞する。モーツアルトとショスタコビッチの初めて聴く変わった曲だった。
 ホテルに着いたら11時半だった。
8月9日(土)
 曇り一時雨
のち晴れ
 9時出発でダイレスフォードに向かう。ここはで有名な街だ。バララット経由で11時40分頃着く。まず、Tipperary Spring へ行き、ミネラルウォーターを飲んでみる。炭酸がきつく、余り美味しいものではなかった。
 次に、インフォメーションで尋ねてコベントギャラリーに行く。昔の修道院だったところを改装して造られたギャラリーだ。山のすそ野にあり、一帯が見渡せるのがいい。様々なオブジェや絵画などが展示され、売られていた。
 その後ヘップバーンスプリングスまで足を伸ばして、ラベンダーファームへ行ってみたが、田舎の普通の農場で入場料まで取るので引き返して、純日本風旅館の「静旅館」(Shizuka Ryokan) に行ってみた。屋根やたたずまいは日本を感じさせるが、ロビーの色使いなどは、どちらかというと中国式だった。オーナーが日本人でないので仕方がないのかも知れない。昼食ぐらい食べさせてもらえるのかと思っていたら、すげなく断られてしまった。
 帰りC141を通ったら1時間ちょっとでジーロングに着いてしまった。かなりの近道だ。
 ダウンタウンで二人を降ろし、僕はホテルに戻り、5時にMayerの前まで迎えに行く。夕食はTさんがラムチョップとステーキを焼いてくれた。
8月10日(日)
晴れ
 8時出発でグレート・オーシャンロードへ向かう。ローンで「アーキンス・フォール」(滝)に行く。町から9キロほど山の中に入った所にある。滝壺近くまで降りられるようになっていて、下から見上げると堂々とした滝だった。
 次に「マイツレス」(Maits Rest)と呼ばれる森を散歩した。20分位で歩ける周遊コースになっている。高いユーカリの木やシダ類などが豊富でいい森林浴になった。
 次に、オーストラリア本土では一番古い「ケープオトウェイ灯台」を訪れる。絶壁のかなり高い所に立っており、上に登って下を見ると気持ちが悪くなるほどだった。今でも人家から遠く離れているのに、昔は大変な辺境の地であったことだろう。
 車はポートキャンベルを目指し、「12人の使徒」「ロックアート・ゴージ」と自然が造った岩の芸術を見て廻る。特に「12人の使徒」は観光ポスターなどに使われたりしていてあまりにも有名である。
 1時半ポートキャンベルの4年前と同じレストランで昼食。昼食後は「アーチ」「ロンドン・ブリッジ」と見て回る。なかなかのハードスケジュールだ。
 3時頃M1に乗り、後は一路ジーロングへ。5時30分頃ホテルに戻る。今日は肉どんぶり。
8月11日(月) 
時々雨
 午後から「さよならパーティ」の打ち合わせ。ヘザーには悪いが段取りが悪かった。おまけに生徒の出し物は長いので時間を縮めるのに一苦労。みんな余り時間のことを考えないで練習してきたのだ。
 一旦ホテルに戻り、Tさんが「いなり寿司」を作る。昨年大好評だったらしい。僕はスピーチの練習をする。この前のSさんのスピーチに習って、とにかく笑いを取ることに力点を入れようと思う。
 7時40分いよいよ「さよならパーティ」が始まる。冒頭のスピーチは何度も笑いを取ることが出来て大成功(?)。特に、スピード違反の件は大受けだった。生徒の出し物もリハーサルとは見違えるようなでき。本当に頼もしく思った。
 9時頃、場所を体育館に移して家族との交流会。早くも抱き合って泣いているものもいる。民謡踊りではホストファミリーも加わってとても和やかだった。僕はといえば、やっぱり何人もの人にスピード違反について慰められた。
 10時頃後片づけも終わりほっとする。充実したいい夜だったとしみじみ思った。
8月12日(火) 
晴れ
 6時50分ホテルを出発。学校で二人とスーツケースを降ろし、僕はレンタカーを返しに行く。7時15分、ポーラにレンタカー会社まで迎えに来てもらい、学校へ。7時半ごろから、続々生徒がやって来た。あちらでもこちらでも抱き合って泣いている。こちらも「ジーン」とくる場面だ。8時出発。40分にウェルビーに。Kがオーストラリアの国旗を振り回していたのには笑ってしまったけれど、ここでも泣きの別れがあった。
 空港でヘザーとポーラとの最後の別れ。
 ケアンズには2時過ぎ到着。冬から一足飛びの夏である。ケアンズの街は観光客や日本人で溢れ、山から下界に下りた感じだった。生徒はお土産を買いに一斉に飛び出した。いつものように一気に日本に帰ってしまうよりは、こうしてケアンズに一泊するのは肉体的にもとても楽だ。
8月13日(水) 
晴れ
 7時集合。隣のレストランに朝食を食べに行く。9時空港へ。生徒は最後の買い物と両替などで忙しい。
 飛行機は予定通り6時に名古屋に到着した。ここで添乗員のTさんとお別れ。少しずつ現実に戻っていく感じだ。敦賀、武生で生徒を降ろし、9時40分学校に着く。教頭以下何人かの先生が迎えてくれた。10時過ぎ最後の生徒の親が来て、引率からも解放される。