海外トレッキング日記  韓国の山旅 2012年8月

8月20日(日) 

晴れ


  北朝鮮とアメリカの緊迫した状況もあって、何となく気が重く不安な出発であった。小松からの飛行機は遅れ、仁川に着いたのは13:30頃だった。まず、東ソウルバスターミナルに行き、1時間以上待って五色(オセック)温泉に行く。たくさんいたバスの乗客は次々と降りて行って、最後は僕と束草に行く外国人夫婦の3人だけになってしまった。バスは暗い山道をやけにスピードを上げて走るので荷物が振り落されるほどであった。
 五色に着いたが真っ暗でどっちへ行ったらいいのかわからない。おまけに雨まで降っていてちょっと情けない気分になる。とにかく明りの方へ進み、最初に見つけたホテルに飛び込んだ。優しいおかみさんと清潔な部屋に満足する。
8月21日(月) 

曇りのち雨

 
雪岳山大青峰

 登山口(7:25)雪岳滝(9:30)大青峰(12:15〜20)大青待避所(12:35)
 朝5時に目が覚めた時にはまだ雨が降っていたのに、6時には止んでいた。雨が降ると入山できないようなことを昨夜おかみさんが言っていたので、入山してしまおうと急いで準備する。朝食は日本から持ってきた菓子パンを一つ食べる。
 少し不安であったが、昨夜教えられた道を登って行くと、()岳山(ラクサン)大青峰(デチョンボン))の入り口があった。国立公園の入場料を払わなければならないのだろうが、早朝とあって誰もいない。始めは石畳の広い道だ。やがて沢に沿って歩くようになる。昨夜来の雨で川の水量は多く、大きな音を立てて流れている。蝉が夏の名残を惜しむように鳴いている。案内がしっかりしていて、両側にロープが張られているので迷うことはなさそうだ。
 かなりの急登で、石のガラガラした道や鉄の階段が延々と続く。あられを食べながら休んでいると、シマリスが2匹寄ってきた。人をあまり恐れていない。あられのかけらをやると両手で器用に食べる。しかし、こんな風に登山客が食べ物をやるので野性味がなくなるのだと反省した。傾斜がゆるくなり、高山植物が現れると岩でゴロゴロした頂上に出る。風が強く、ガスで視界はない。そこに居合わせた若者に写真を撮ってもらい、すぐに山小屋の方へ下山する。
 15分ほど下ると、今日の宿である大青待避所に着く。着くとすぐに雨が降りだし、なんとか雨に会わずに済んだのは幸運だった。この小屋にはインターネットで予約しないと泊まれない。頂上で会った若者がいて、「天気が良ければ素晴らしい景色が見られるのに残念です。」「明日の天気は晴れです。」などと、携帯の翻訳アプリを使って話しかけてくる。別れ際にミネラルウォーターを一本くれた。
 日本と違って、4時にならないと(いつもは6時だそうだが)部屋に入れてもらえない。待合室になっている部屋で、京都に半年間語学留学したことのある大学生に話しかけられた。韓国にも仏教の大学があるそうで、日本の佛教大学や大谷大学などを訪れたそうだ。4時から受け付けが始まった。みんな毛布を2枚借りていたが、僕は1枚だけにした。しかし床は板張りだったので、下に敷く毛布が必要だったのだ。あわててもう1枚借りる。頭の所に仕切りがあり、自分の場所は番号で指定される。
 夕食は出されないので、自分で作るか持ってこなければならない。以前はカップラーメンが置いてあったそうだが今はない。あてにしていた人たちは非常に残念そうだった。僕は日本から一つ持ってきていたので、それを夕食とした。大部屋なのでいびきや歯ぎしりに悩まされたが、いつの間にか眠っていた。

8月22日(火)

晴れ 


雪岳山、大青峰

 大青待避所(5:45)嬉雲閣待避所(7:20)→陽瀑山荘(8:30〜35)飛仙台(10:30〜35)昼食(11:25〜40)
 5時から下山の準備を始める。カロリーメイトで朝食の後、濃いガスと風の中出発する。しばらくすると、例の鉄製の階段が現れる。歩くところにはゴムが敷いてあるので、滑らなくていい。やがてガスが晴れて、周りの景色が見えるようになってきた。岩が露出した急峻な山が多い。嬉雲閣待避所から千仏洞渓谷への道を降りて行く。渓谷は狭くなり、両側の岸壁は鋭さを増す。「よくこんな所に」と思える急斜面に階段が造られている。水は岩の間の狭い通路に勢いづき、いくつもの滝となって滑り落ちている。この階段は、花崗岩の絶壁がそそり立つ飛仙台まで続いている。
 飛仙台まで来ると普通の観光客がいて、ゴールが近いことを感じる。橋を渡って広い道に出ると大勢の人が行き来し、もう挨拶をする人もいない。大きな大仏の前を過ぎ、食堂が並ぶ通りにやってくると急に空腹を覚え、そうめんのようなものを注文した。冷たいものと思い込んでいたので、アツアツのそうめんには閉口した。
 インフォメーションで予約してあったホテルの場所を聞いてみると、歩くと30分、タクシーで4分と言われた。ここまで歩いたのだからと、テクテク歩き始めた。ホテル街にやってきたので案内板でホテルを探したが、なかなかわからない。うろうろしていてふと見上げるとそこが探していたホテルだった。12時30分だった。
 シャワーを浴びて洗濯をして、久しぶりにさっぱりした気分になった。6時ごろ外に出て、地元の食堂でスンドゥブ鍋を食べる。韓国に来て、まともな食事はこれが初めてだったので、おいしさも格別だった。

8月23日(水)

 
晴れのち時々雨 

蔚山岩

 国立公園入口(6:45)大岩(8:00〜10)蔚山岩(ウルサナム)(8:45〜55)大岩(9:20)国立公園入口(10:20)
 今日は蔚山岩(ウルサナム)のピストンなので、重い荷物を担いでいく必要はない。リュックをホテルに預けて、登山後取りに寄ろうかどうか最後まで迷っていたが、結局リュックは担いで行くことにした。ホテルの前のバス停から雪岳山国立公園までバスで行く。
 朝早いのにちらほら観光客がいて、入場券も売られていた。いきなり大きな熊の像がお出迎えだ。昨日歩いたばかりなので勝手は知っている。蔚山岩への道に入った所で、岩陰にリュックは隠しておくことにした。荷が軽いのでペースも早くなる。平坦な道なので距離は稼げても高度は稼げない。丸く大きな岩の下の洞窟にある継祖庵を過ぎれば本格的な山道になる。
 すぐ上にある大岩の展望台でビデオを撮っていると、突風が吹いて帽子が飛ばされてしまった。そこに居合わせた韓国の若者も一緒になって探してくれたが見つからない。探してもらうのも悪いし、帽子はまた買えばいいと思い「もう結構です」とジェスチャーで伝え再び登り始めた。30分ほどして、その若者は帽子を片手に息を切らせて追いかけてきた。本当に感謝感激だ。現在、日韓関係はあまり良いとは言えないが、こんなに素晴らしい若者がいるのだ。
 頂上直下から808段あると言われる急な鉄の階段が始まる。鋭く天に伸びた花崗岩につけられた階段はスリル満点だ。階段は、頂上と思われる所まで続いている。頂上からの眺めは抜群、海や束草の町が手に取るように見える。たった3人だけの静かな頂上だった。
 帰りには大勢の人に会う。挨拶する人は半分ぐらい。無事リュックサックを回収して、バスで(ソッ)(チョ)のバスターミナルに行き、春川(チュンチョン)行きのバスに乗る。春川近くで前が見えないほどのドシャブリになり怖いくらいだった。春川のバスターミナルからホテルまでタクシーに乗る。信じられないくらい安かった。ホテルは値段に応じて清潔度が違う。今回のホテルにはウォシュレットまでついていた。
 5時過ぎ街に出て、春川名物のタッカルビとそば粉の冷麺マッククスを食べる。美味しかったがお腹が一杯になり苦しくなってしまった。

8月24日(木) 
時々雨 

 今回春川(チュンチョン)を訪れたかったのは「冬ソナ」の舞台となった南怡(ナミ)(ソム)を訪れ狩ったからだ。いまさら「冬ソナ」でもないのだが、最近再放送を見て興味がわいてきたのだ。しかし朝から雨。南怡島は寄らずに直接ソウルに戻ることにした。バスターミナルまでタクシーで行き、9時10分発のバスで東ソウルバスターミナルに行く。
 江辺の駅でT-moneyという交通カードを自販機で買う。日本語を選択できたのでそんなに苦労せず買うことができた。明洞の隣の会賢という駅で下車して予約してあったホテルを探す。苦労するかと思ったが、1番出口を出て見上げると壁に描かれたホテルの名前が目に飛び込んできて、意外と簡単に見つけることができた。2時がチェックインの時間だったので、荷物を預けて街に出ることにした。
 地図が把握できていなかったので、目印になる建物や通りをメモ帳に書き込んで明洞に行った。さすがソウル一の繁華街で、活気がある。コスメやファッションの店、小さな屋台や食堂などが集中し、通りはお祭りのようなにぎやかさだ。昼食は、いろいろ悩んだ末、ベトナム料理の焼きそばを食べる。僕にはちょっと量が多すぎた。それから、数年前によく行ったロッテ百貨店などをぶらぶらして、無事ホテルに戻ってきた。
 6時ごろ、近くの地元の店でジャジャ麺とトッポギを食べる。韓国のドラマではよく出てくる食べ物なのに、現地ではなかなか食べられなかったのだ。どちらも想像していたような味だったが、僕にはジャジャ麺は味が濃すぎ、トッポギは辛すぎた。
 お腹がいっぱいとなった所で、歩いてロープウェイ乗り場まで行き、Nソウルタワーに登る。ロープウェイから眺める夕陽がきれいだった。まだ完全には暗くならなかったので、夜景を楽しんだとは言えなかったが、帰りのロープウェイの混雑を考えて早めに下山した。

8月25日(金) 

晴れ 

北漢山(白雲台)

 登山口(9:00)無量寺(9:20)大專寺(10:05)頂上まで0.4km地点(15:40)→白雲台(11:30〜45)頂上まで0.4km地点(12:05)大專寺(12:50)無量寺(13:20)登山口(13:45)
 ネットで調べた通り、地下鉄とバスで登山口へ行く。バス停から登山口までは少し距離があったが、数人のハイカーの後について行きさえすればよかった。左手に早くも韓国の山特有の岩山が見えている。国立公園の事務所がある登山口からは、きれいなブロックが埋められた車道が続いている。終点の広場からいよいよ山道が始まる。韓国によく見られる岩混じりの道で、歩きやすいとは言えない。雑木林の中の道を歩いていると蝉の声がうるさいほどだ。時々山の地図が現れ、自分の現在地を確認できるので安心だ。昨夜の雨の影響か、水が登山道まであふれている所がある。
 勾配がきつくなり、頂上直下の石垣の門をくぐるとようやく頂上部が見えてくる。鉄の梯子と鎖場の連続だ。両側にワイヤーがつけられている所などは、ヨセミテのハーフドームを思い出させる。頂上の石に「北漢山 白雲臺」の文字が彫られている。眺めは抜群で、近くの尖った岩山や遠くはソウル市内まで見渡せた。
 帰りは同じ道を通って市内に戻ってきた。地下鉄のシティー・ホールで下車し、プレジデントホテルで明日のツアーの確認をした。そのあとゆっくり歩いてホテルに戻ったが、意外と近かった。

8月26日(土)

晴れ 


ツアーに参加


 いよいよ韓国の旅も今日の「板門店とDMZ第3トンネル同時ツアー」を残すのみとなった。集合場所のプレジデントホテルまで歩いてもよかったのだが、地下鉄に乗ったら改札口でカードが認識しないトラブルがあり、ホテルには出発時間ぎりぎりなってしまった。実はこのツアーに参加するかどうかは最後まで迷っていた。北朝鮮とアメリカが険悪になっていたからだ。それで、参加人数は少ないのではないかと思っていたが、なんと45名(うち日本人11名)の満席であった。日本人は後ろの席に集められ、日本語を話すガイドが、英語のガイドの後に説明をしてくれた。
 バスはイムジン河に沿って北に向かい、韓国最北端の「都羅山駅」行く。真新しい駅には一日に一回列車が来るそうだが、もちろん北へ行くことはできない。平壌方面という案内板がむなしく感じる。その近くの丘にある「都羅展望台」からは北朝鮮の風景とDMZ(非武装地帯)が眺められる。備付の双眼鏡を通すと、交流が中止となった開城工業団地や開城市が手に取るように見える。高い鉄塔は電波を妨害するためのものであり、近代的に見える住宅は誰も住んでいない偽物であるということだ。青々とした韓国の山に比べ、北朝鮮の山には木が生えていない。冬の燃料にするため伐採してしまったそうだ。人の入らない非武装地帯は今では動植物の楽園らしい。
 次にバスが向かったのは、北朝鮮が掘った「第3トンネル」。脱北者からの証言で分かったそうだが、すでに南に435mまで侵入しているそうだ。地表から73mの地下に、1時間に1個師団を侵入させることができるように造られているそうだ。ダイナマイトで固い岩盤を崩しながら進めていったそうだが、ヒヤッとするのは地下の冷たい温度のせいばかりではなく、北の南進の意図が現実に感じられるからだろう。
 昼食で食べたプルコギは今まで食べた中でいちばんおいしかった。付け合せのキムチやナムルなども抵抗なく食べられたのは、日本人や外国人の舌を考慮してあるのだろうか。
 午後は最初に臨津閣(自由の橋)を訪れる。捕虜がこの橋を渡り自由の身になったということから自由の橋と呼ばれているそうだが、その橋は見られず、満鉄時代の爆撃を受けた機関車や当時の鉄橋の橋げたなどが残っていた。
 最後はこのツアーのハイライトと言うべき板門店(JSA共同警備区域)訪問だ。何回かのパスポートの提示し、アメリカ軍のバスに乗り換え、2列になって神妙に歩いて行く。と、そこに2棟のブルーの建物が現れ、その間に高さ10センチほどのコンクリートの境界線がある。映画やニュースなどで見慣れた風景だ。境界から北朝鮮側は砂、韓国側は砂利が敷いてあるのでよくわかる。正面の建物は北朝鮮のものであり、警備をしている北朝鮮の兵士がはっきりと見える。ブルーの建物の中は軍事停戦委員会を開催する所で、ピカピカに光る大きな机がある。中にいる兵士と記念撮影ができるのにはちょっと違和感を感じたが。
 プレジデントホテルに戻ってきたのは5時30分。また明洞をぶらぶら歩く。福井カツ丼があったのには驚いたが、夕食に食べたのは卵カツ丼だった。日本のカツ丼と比べても遜色のない味だった。コンビニでT-money の残金を返してもらい、予定のすべてを終了する。
8月27日(日)

晴れ
 朝4時30分にタクシーの予約をしてあったが、2時半に目覚めてしまった。二度寝すると寝過ごすのではないかと心配してベッドから出る。夜中に近いのに、レセプションに係の人がいたのでほっとする。タクシーが来ないとか、何か問題があった時対処してもらえるだろう。
 時間通りタクシーが来て、6時前には空港に着いていた。こうして、英語が通じない国への初めての旅は無事終了することができた。