海外トレッキング日記   マレーシア最高峰Mt.キナバル登頂 5日間
                  
                    2002年8月3日〜7日

 8月3日(土)
 晴れ→雨
 ひょんなことからキナバル山登山が決まった。しかし、最初申しこんでいたツアーは人数不足のためキャンセル。次に申しこんだ会社はわれわれ三人のために特別に組んでくれるとのこと。しかもラッキーなことに、日本人の添乗員がつかないので一万円割り引いてくれた。後に名古屋からUさん(高校教師・女性)が加わって、合計4人のツアーとなった。
 名古屋まで車で行き、MH57で午前11時離陸。少し心配したが、クアラルンプールで無事国内線に乗り継いでボルネオ島のコタ・キナバルへ。コタ・キナバルは雨だった。現地添乗員に案内されて「プロムナード・ホテル」に10時半頃到着。レセプションで両替をして、部屋で明日の荷物の仕分け(スーツケース、自分が担ぐリュック、ポーターに持ってもらうスタッフバック)をして、シャワーを浴びたら12時を回ってしまっていた。
 8月4日(日)
 晴れ後雨

 
ティンポンゲート(10:05)→第1シェルター「カンディス」(10:30〜35)→第2シェルター「ウバ」(10:50〜55)
→第3シェルター「ロウイアイ」(11:25〜30)→第4シェルター「メンペニン」(12:20〜45)→第5シェルター
「ラヤンラヤン」(13:20〜25)→第6シェルター「ヴィローサ」(14:30〜45)→第7シェルター「パカ・ケーブ」
(15:10〜15)→ラバン・ラタ・レストハウス(15:50)
 6時起床。バイキングの朝食を食べ7:30出発。ワゴン車からコタ・キナバルの街を眺める。近代的な建物も多いが、何となく埃っぽい。中国語の看板が多く、華僑が経済を握っていることが感じられる。郊外に出るとすぐ建物は無くなり、早くもキナバル山が遠くに見えてくる。立派なモスクを2つ通りすぎる。なるほど、ここはイスラムの国である。
 キナバル山を左手に見ながらのドライブ。道は山の頂きを縫うようにつけられている。日本人にとっては有名なサンダカンまで続いているらしい。途中2回キナバル山を撮るために止まってくれた。深いジャングルを見ながら「昔日本軍はこんな所をさまよっていたのだろうか」と感慨にふけってしまった。
 2時間のドライブでPHQ(公園管理本部)に着く。ここで登山の手続きをして、ガイド(男性)とポーター(女性)を紹介され、首から下げるようになっている立派な入山許可証を渡された。よく見ると名前と生年月日、登録番号などが印刷されている。2人を乗せて発電所の隣にあるティンポンゲート(1890m)までさらに10分ほど行く。ここからは、いよいよ自分の足で歩かなければならない。今日は6km、高度差にして1500mを歩くことになる。
 ガイドを先頭にゆったりとしたペースで歩く。所々に手すりや階段もつけられており、よく整備された道だ。30分足らずで最初のシェルター「カンディス」に着く。ベンチの付いたあずまやと水場、トイレがある。このようなシェルターが今日の宿舎までにほぼ30分置きに7ヵ所ある。(ガイドブックには6ヶ所と書かれてあったが最近1ヵ所増えたのだろうか。)高度や周りの説明なども書いてあり至れり尽せりである。
 第2シェルター「ウバ」を過ぎたあたりで待望のウツボカズラとご対面である。まだ青かった。ウツボカズラはこの後3回見ることになるのだが、上部にあるものほど赤くて立派だった。その他ランやシャクナゲなどいろいろな花が現れては私たちを楽しませてくれた。
 ガイドは第5シェルター「ラヤンラヤン」を昼食の場所と考えていたようだが、12時を過ぎたので1つ手前の「メンペニン」で、ホテルで作ってもらったサンドウィッチの昼食。他のみんなは食欲がないと言って残していたが、僕は全部たいらげた。しかし、旅に出ると必ず太ってくるのは食べ過ぎであると、ちょっと反省。リスが残飯を狙って現れたが、かわいいというより何となくネズミとだぶってしまった。
 名古屋から同行のUさんはナンガ・パルバット(パキスタン)、キリマンジャロ(タンザニア)、大姑娘山(中国)などを踏破したつわものである。だから、僕らののんびりとしたペースに少し苛ついているようだった。第6シェルター「ヴィローサ」あたりからWさん、M先生が少し遅れ出したので、ガイドがわれわれに先に行くように言ったら、水を得た魚のように軽々と先に行ってしまった。
 みるみるうちにガスが出てきて、最後のシェルター「パカ・ケーブ」の手前あたりから雨が落ちだし、雨具の上着をつける。ラバン・ラタ・レストハウス(3353m)に着くころにはどしゃ降りになってしまう。レストハウスは3階建ての立派な建物だった。二段ベットとはいえ最盛期の日本の山小屋に比べれば天国のようである。部屋では奈良から来たという4人組が早くも酒盛りをしていた。
 夕食は中華でおいしかったが、またしても全部食べてしまい(意志が弱い!)、お腹が苦しかった。わが部屋は7:30消灯にしたが、寝るには早すぎた。外から聞こえる音楽や談笑する声、例のサッカーの「大韓民国」の掛け声まで上がって眠れたものではない。おまけにスチームが段々熱くなり、ドア近くのベットだったので誰かがトイレに行く度に目が覚めた。
 8月5日(月)
 晴れ
 
ラバン・ラタ・レストハウス(2:25)→サヤサヤ小屋(3:55〜4:00)→ローズ・ピーク(6:05〜25)→サヤサヤ小屋
(7:45〜55)→ラバン・ラタ・レストハウス(9:15〜10:25)→第7シェルター「パカ・ケーブ」(10:50〜55)→
第6シェルター「ヴィローサ」(11:10〜15)→第5シェルター「ラヤンラヤン」(11:50〜55)→第4シェルター
「メンペニン」(12:20〜25)→第3シェルター「ロウイアイ」(13:00〜05)→第2シェルター「ウバ」(13:35〜45)
→第1シェルター「カンディス」(13:55)→ティンポンゲート(14:15)
 2時に下の食堂に行く。みんな続々集まってくる。2:25ヘッドランプをつけていよいよ頂上へのアタック開始である。外は思ったより寒くはない。小屋付近のいくつかの街灯を過ぎると、真っ暗になった。30分位経つと早くもWさんとM先生が遅れ出したので、Uさんと先に行くことにした。サヤサヤ小屋(3810m)までは一気に登った。ここで名前をチェックされる。全登山者の名簿があり、誰がここを通過したのか把握できるようになっている。頂上に到達したかどうかはガイドが証人になってくれて、後で立派な「登頂証明書」を発行してくれる。
 そこから先は僕にとって初めての高度体験である。ちなみに、これまでの最高地点はモンブランの展望台のエギュー・デュ・ミディ(3842m)である。呼吸が苦しくなり休憩も多めに取ったので、自然とUさんとは離れてしまう。振返ればヘッドランプが川のようにうねっており、はるか下の方には幾つもの明かりが見える。こんなジャングルにどうしてそんなにたくさんの明かりがあるのか不思議な気がした。見上げれば満天の星。三日月も顔を出している。
 ずっとロープが張ってあり迷う心配はなかったが、自分がどこを歩いているのか分からないのが不安だった。ご来光が6時だというので、途中からは時計を見ながら時間と競争だった。頂上の一歩手前でご来光が始まったが、わけのわからないうちに太陽は昇ってしまった。
 6:05ついに最高峰のローズ・ピークに到達!M先生が何時の間にか先に着いていたのにはびっくり。いつ追い越されたのか全く気がつかなかった。頂上で記念の写真を撮って、朝陽に浮かぶ周りの山々を眺める。草一本ない広い岩の原の周りにいくつかの岩のピークがそびえている。地球上の風景とは思えぬ圧倒的スケールであった。ジャングルは雲海の下に未だ眠っていた。我に返ると、風が冷たく、手袋をしていても指がかじかんでくる。下山しようとすると、Wさんがガイドと一緒に苦しそうに登って来た。全員登頂を果たすことができ何よりだ。
 亀の甲羅のように見える広い岩盤の上をゆっくりと歩く。登る時は全く見えなかった景色のすべてが新鮮だった。キナバル・サウス(3932m)の切り立った頂上部は印象的である。登る時何とも思わなかった所も、周りが見えてくるとちょっと緊張した。「よくもこんなところを登ってきたものだ」と思う所も数カ所あった。頂上部を過ぎると、沿道には赤いシャクナゲが今を盛りと咲いていた。
 レストハウスに戻って遅い朝食をとり、10:25いよいよ下山。階段まじりの整備された道ではあったが、登る時以上に長く感じられた。しかし大仕事が終わって帰る余裕から、これから登る人たちの長い行程につい同情してしまう。所で、キナバル山に登る人はどこの国の人が多いのだろうか。ある本に出てきたガイドによると、1位ドイツ人、2位日本人、3位韓国人、4位アメリカ人とオーストラリア人だそうである。僕のこの2日間の主観的な印象では1位圧倒的に韓国人、2位中国人(台湾、香港)、3位ドイツ人、4位イギリス人で、日本人はかなり下位になるのではないかと思う。北欧の人たちも意外と多かった。それにしてもリュックに韓国国旗をつけてくる韓国人の自信にはたくましいものを感じた。韓国人に間違えられて、何度か韓国語で挨拶をされたりもした。
 2:15ティンポン・ゲートに到着。(足がつりだしたM先生は45分遅れて到着)公園近くのレストランでしゃぶしゃぶの遅い昼食。コタ・キナバルまでは全員ぐっすりであった。
 今日のホテル「マゼラン・ステラ・リゾート」は、広々とした部屋と豪華な調度品を持つとても贅沢なりゾート・ホテルであった。
 8月6日(火)
  晴れ
 今日は夕方までフリーなので全員で近くのマヌカン島という無人島へ行く。ボートの上からキナバル山が見えた。昨日あの頂上にたっていたのかと思うと、なんだか不思議な気がした。初めてシュノーケルをつけてさんご礁の上を泳ぐ。熱帯魚が寄って来るが、手を伸ばすとさっと逃げる。写真でよく見かける光景が目の前に広がっていて、夢中で泳ぎ回った。
 昼はバーベキュー。カニ、エビ、牛肉やチキンと豪華であった。浜辺の林の中というセッテングも抜群で、優雅なひと時であった。3:00にホテルに戻り、夕刻いよいよコタ・キナバルともお別れ。
 8月7日(水)  クアラルンプルーでの長い待ち時間の後、1:25発のMH56で一路名古屋へ。25分遅れて到着した名古屋は猛暑だった。赤道直下だというのにボルネオ島の方が涼しく感じたのは湿気のせいだろうか。小牧と一宮の間で事故の渋滞があったが、1時過ぎには福井の自宅に着いてしまった。短い期間ではあったが、山と海の両方を経験でき充実した旅行だった。