海外トレッキン海外トレッキング日記  キリマンジャロ(タンザニア) 2005年8月

8月4日(木) 
晴れ
 朝3時20分起床。予約してあったタクシーで駅まで行き、4時7分発の「きたぐに」で新大阪に。KLMオランダ航空868便は少し遅れて10時30分関空を発つ。長いフライトだったが「ガンに生かされて」を一冊読み、映画「今会いに行きます」を見られたのは収穫だった。
現地時間の午後3時に無事アムステルダムに着き、近くの「ヒルトンホテル」にチェックインする。ホテルに荷物を置いて、村田先生と空港に食事に行った。夕食を食べながら、空港に急ぐ人、空港から出ていく人を観察していた。そして、「本当に外国に来てしまったのだ」ということがしみじみ実感できた。
8月5日(金) 
曇りのち晴れ
 4時半ごろ目が覚めてしまったので、本を読んでいた。ホテルの食事はおいしいのでつい食べ過ぎてしまう。
 10時30分いよいよアフリカに向けて離陸。アフリカ上空で窓から下を見ると、見渡す限りの砂漠。時々車の走った跡がクモの巣のように延びている。また、小さい山が島のように砂漠から突き出ていた。
 現地時間の夜8時、「キリマンジャロ国際空港」に到着する。欧米の空港に比べると電灯が少なく、薄暗い感じだった。マイクロバスは真っ暗闇の中をホテルに向かって走っている。星が明るく低く輝いていた。ヘッドライトの明かりで、トウモロコシやバナナの畑が浮かび上がるが、周りの様子が全く分からないのは残念だった。
 10時頃ホテルに到着。ホテルのメイドさんは明るく、とっておきの笑顔で迎えてくれた。部屋はコテージ式で、それぞれが離れていた。エジプトで素敵なホテルを経験していたので余計そう感じるのかも知れないが、ホテルというには貧弱だった。しかし、周りの状況を考えれば、豪華なホテルには違いない。
8月6日(土)
曇り

トレッキング1日目
 マラングゲート(10:45)→昼食(12:20〜55)→マンダラハット(14:40)
 ホテルには夜に入ったので様子が分からなかったが、いろいろな花が咲くイギリス風の庭園の中にあった。ホテルの前の幹線道路に出ると大勢の人が行き交い混沌としていた。教会からの帰りか、上等な洋服でおしゃれをしている人も多かった。
登山口であるマラングゲートのゲート前にはたくさんの若者がたむろしている。ポーターとしての仕事にありつこうと必死になっている様子だった。チーフと5人のガイドを紹介され、われわれ13人の参加者と握手をする。他にポーターや食料係として20人くらいの人がつくそうで、思っていた以上に大がかりである。
 いよいよ5泊6日の長い登山が始まる。まさに亜熱帯といった緑の樹林帯の中を行くと、どこからともなく何人かの子供が現れて、何かを要求している。何かを書く真似をしているところを見ると、ペンが欲しいようだが誰も相手にしない。やがて、木の上に猿の集団が見えてくる。人間を恐れている様子でもなく、のんびり毛繕いをしている。
 曇り空だったためか、休憩すると寒かった。昼食を食べた後、急に目立つようになったのが、ニュージーランドでよく見かけた昆布のような植物である。ニュージーランドはオールドマンズ・ビアドと言っていたが、学術名はわからない。
 3時前マンダラハットに到着。宿泊する所は定員4人の小さな三角形の小屋である。日本の山小屋に比べればずっと快適である。すぐに「ティータイム」。ピーナッツやビスケット、コーヒー、紅茶などがでるが、どんなに到着の時間が遅れてもこの時間だけは律儀にとっていた。夕食はスープから始まり、デザートで終わる本格的なもの。ともにイギリスの伝統を感じる。
8月7日(日) 
晴れ

トレッキング2日目
 マンダラハット(8:20)→昼食(11:30)→ホロンボハット(17:50)
 出発の時は霧雨のようなものが降っていた。雨と言うより濃い霧の中にいるようだった。路傍の高山植物が露に濡れて美しい。樹林帯はやがて木の背が低くなり草原に変わっていった。そして霧が晴れると、白い雪を載せたキリマンジャロが姿を現してきた。遙か先であった。
 参加者の女性の一人が足をつってしまい、リーダーが世話をするため早めの昼食となる。その間、頭に大きな荷物を載せたポーターが絶えず登っていく。道ばたの高山植物が目を楽しませてくれるが、道は乾燥し歩くたびに埃が舞い上がる。右手にはキナバル山に似たマウェンジ峰(五一五一m)が絶えず姿を見せている。
 ホロンボハットの到着はだいぶ遅れてしまったが、夕焼けと夕日に赤く燃えるキリマンジャロを堪能することができた。
8月8日(月) 
晴れ


トレッキング3日目
 ホロンボハット(9:40)→ゼブラ・ロック(11:25〜45)→ホロンボハット(12:30)
 明け方空が落ちそうなほど星が出ていた。ある参加者はあまりの美しさに1時間以上も星を見ていたそうだ。朝食にはいつもお粥が出る。これを塩昆布や梅干しで食べると「もう他に何もいらない」状態になる。
 今日は高所順応のため同じ場所に滞在する。朝ゆっくり出て、ゼブラ・ロックまでハイキング。ゼブラ・ロックはなるほどシマウマのように白い岩に縞模様がついている。その急坂を登っていくと、ちょっとした展望台に出る。
 もうキリマンジャロを遮るものは何もない。広大な砂漠の向こうに右肩がちょっと上がった台形の堂々としたキリマンジャロが「早くおいで」と言っているようである。
8月9日(火) 
晴れ

トレッキング4日目
 ホロンボハット(8:35)→昼食(12:45〜13:25)→キボハット(16:10)
 低木地帯を抜けて、やがて道は乾いた砂漠地帯に入っていく。もうもうと上がる砂埃にマスクをつけ始めるものも多い。赤道直下の日差しは想像以上にきつい。うっかり耳に日焼け止めクリームを塗り忘れ、耳の上部がただれてしまったほどだ。
 左手前方にはキリマンジャロが全貌を現している。今日は時々雲が頂上部にひっかかって動かない。砂漠の中に一本の道が蛇行している。その道は終わりのない道であるかのように、天上に続いている。
8月10日(水) 
晴れ

トレッキング5日目
 キボハット(12:25)→ギルマンズ・ポイント(7:25〜45)→ウフル・ピーク(9:30〜45)→ギルマンズ・ポイント(11:05〜20)→キボハット(13:00〜14:10)→ホロンボハット(18:40)
 今日はいよいよ頂上アタックの日だ。夜中の12時25分歩き始める。気温はマイナス10度以下であろう。下はアンダーズボンに厚めの登山ズボンとオーバーズボン、上は長袖のアンダーウェア、長袖シャツ、フリースジャケット、スキー用のジャッケトと完全武装だが歩いても体が暖かくならない。
 道は砂地で歩きにくい。ヘッドランプで足下だけ見ながら歩くので周りの状態がわからず、ちょっとバランスをくずしただけでも道から滑り落ちてしまうのではないかと恐怖心を感じる。単調な道をただひたすら歩くという、一種の瞑想の世界だった。振り返ればいくつものヘッドランプが闇の中で揺れている。
 東の空がどんどん明るくなり、やがてご来光が出始めた。記念すべきキリマンジャロのご来光ではあったが誰も立ち止まらず、ひたすら登ることに専念していた。立ち止まれば身を切るように冷たい風にさらされるだけであった。同行のガイドがいろいろな歌を歌って励ましてくれる。
 もうかなりふらふら状態であったが、ギルマンズ・ポイントがすぐ近くだとわかると急に元気が出てきた。最悪ここまでは来たかったので、着いたときは一種の安堵感と頂上に向けての期待で胸が一杯になった。ポイントからは、右手奥に氷河をまとった白い山、眼下には広大な火口、そして左縁にウフル・ピークに続く峰々が並んでいた。
 はやる気持ちを抑えながら一歩一歩足を進める。左手には背の高い氷河が続いている。この氷河もゆくゆくは無くなってしまうということである。軽いアップダウンを繰り返し、偽頂上に何回か裏切られた後、ようやく頂上が見えてきた。
松本リーダーやガイドたちと固い握手をして遂に5895mのウフル・ピークに立った。午前9時30分であった。最高点に達することができたのは参加者13名中9名であった。山頂を示す標識の裏側は広大なクレーター、前方には氷河が迫っている。何枚も写真を撮って二度と来ることは無いと思われる山頂を後にした。
 ギルマンズ・ポイントからは砂の中を直接滑り降りたので、帰りはずっと早かった。しかし、何も食べてないからかそれとも疲れからか、胃が痛み出し、おまけに砂埃が目に入り、コンタクト族の僕には苦しかった。そして今日の宿泊地のホロンボハットまでさらに4時間半も歩かねばならなかった。
8月11日(木) 
晴れのち曇り

トレッキング6日目
 ホロンボハット(8:25)→昼食・マンダラハット(12:25〜13:00)→マラングゲート(15:20)
 いよいよキリマンジャロとお別れの日。歩くスピードが速いので、下山が苦手な僕はすぐ離されてしまう。しかし精神的な余裕があるせいか周りの様子をじっくり観察することができた。草原地帯から熱帯雨林に変わっていくにつれて、植物の分布も変化していく。
 マンダラハットで昼食を食べ、遂に3時20分登山口のマラング・ゲートに戻ってくる。その直前子供たちが現れていろんなものを売りつける。国旗と帽子をかってしまったが、後でわかった限りそれほど安い買い物ではなかった。ただ、子供たちの英語力には感心した。英語をしゃべらないと生活ができないとなると必死なのであろう。ガイドにしてもきちんとした英語をしゃべるのは、研修を受けて免許を手に入れなければならないからだろう。
 ゲートでは解散式が行われ、ガイドやポーターたちが歌を歌ってくれた。こんなにもたくさんの人々のお世話になったのだ。最後に一人一人に「登頂証明書」が渡された。苦労して手に入れた宝物だ。
 今日はホテル泊まり。何日ぶりかの風呂に入りさっぱりした。みんなそろって最後の夕食だ。リーダーにワインをプレゼント。本当にお世話になった。
8月12日(金) 
晴れ
 今日はアルーシャ国立公園でサファリを楽しむ日だ。キリマンジャロ登頂のご褒美みたいなものだ。ミニバンは公園の入り口で屋根を上げてサファリ・カーに早変わりする。
 いきなりキリンが現れて大感激。次にバファローやシマウマの群、しっぽの白い変わったサルなどいろいろな動物が現れる。ただ、勝手に大平原を想像していたので、山の多いジャングルは少しイメージが違った。昼食は公園の中のレストランでとる。このあたりでジョン・ウェインの「ハタリ」が撮られたそうだ。
 午後はこの街最大のおみやげ屋さんに行く。店員によって値段が違うのにはとまどってしまう。しかし結果的に空港の免税店の方が品質が良く値段も安かった。
 早めの夕食にはとまどったが、中華だったのでおいしく食べた。九時、アフリカとのお別れだ。
8月13日(土) 
曇り時々晴れ
 予定通りアムステルダムに到着。コインロッカーに荷物を預けて電車でアムステルダム中央駅に出る。みんなは「ゴッホ美術館」に行くと言っていたが、僕はすでに訪れていたので駅でみんなと別れた。インフォメーション・センターでいろいろ調べて、ボートで運河を巡るツアーに参加した。約一時間かけて、のんびりとボートは運河を走った。アンネの家の前には長蛇の列ができていた。
 早めに空港に戻り、最後の買い物をしてみんなを待った。東京に向かう人たちとはここでお別れだ。涙を流している女の子もいる。十数日間で築き上げた友情には苦労が伴っているだけに固い絆があるのだろう。
8月14日(日) 
曇り一時雨
真夏の日本を想像していたら曇り。ずいぶん雨も降ったらしい。福井駅には妻と娘の絵里香が迎えに来てくれていた。とても長い感じがするのはそれだけ体験することも多かったせいだろうか。
 冷麦と冷奴を食べて一気に日本人に戻ってしまった。