前夜、知床半島の暗い道を走っていたら、大きな角を持ったシカを見た。ヘッドライトに目がらんらんと輝き、電気仕掛けのぬいぐるみのように見えた。岩尾別温泉は「こんな山の中に本当にあるのだろうか」と不安になるころヒョイと現われる一軒だけの 温泉だ。その名も「地の涯(はて)ホテル」と言う。そこの、脱衣所もない山の中の露天風呂は、湯船が三段になっており、お湯があふれ出していた。風呂に入っていると、北キツネが一匹現われて、何事もなかったようにスーッと消えていった。
あたりが明るくなり始めると同時に歩き始めた。木下小屋のとなりにある小さな祠のしめ縄を越すと、いよいよ山道に踏み込む。しばらく行くと「このあたり蜂の巣があるのでクマが多い」という立て札が現われた。少し不安を感じながら進んで行くと「クマがたくさんいる地域は過ぎたが、まだまだ注意が必要」という立て札。知床半島はクマの生息密度が高いのだ。
やがて、オホーツク海が見える所に出る。波は穏やかで、2隻の漁船が尾っぽのようなさざ波を立てはいるが、止まったように見える。
弥三吉水は音をたてて流れていたが、銀令水は枯れていた。遅くまで雪渓が残っていると言われる大沢には雪は全く無く、その代わり、さまざまな高山植物が咲き乱れる別天地になっていた。
羅臼平は東京ドームがいくつか入るくらいの広さのハイマツの丘である。その向こうに、岩でできた羅臼の頂上部が見える。そこから見ると、上部がはつれた岩山は、色こそ違うがアメリカのモニュメントバレーを思い出させた。
岩山の取り付きにある岩清水は岩から幾筋もの水が流れている変わった水飲み場である。四角いペットボトルの一面が切り取られていて、横に寝かせておくと容易に水が集められ、しかも飲みやすい容器はだれが考え出したのか、とても感心させられた。
登って行くにつれて、岩にはさまれた道はやがて岩の上を歩くようになり、大きな岩が頭の上にせり出して来る。頂上には誰もいなかった。あたりは静寂そのものである。自分の息だけがやけに大きく聞こえる。 ガスが沸き上がり、残念ながら視界はあまりきかなかった。 羅臼平から見た羅臼岳
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