訪ソ青年の船 シルクロードの旅
                                               
1983年7月26日〜8月8日

7月26日(火)

晴れ
敦賀
船上
 壮行会の後、午後1時いよいよソ連船「バイカル号」は敦賀港から出航。出船はいつも哀愁を感じさせる。ブラスバンドが音楽で景気をつけ五色のテープが舞う。映画で見たことのある風景だ。
 船の中では少し酔い気味だったが、ダンスを踊ったりしてすっかりよくなる。まだまだ若い者には負けられない。シャワーを浴びて気分は爽快。
7月27日(水)

曇り
ナホトカ  予定より1時間半遅れて夕方7時近くナホトカ港に入港。港の建物は鉄道の駅のようにこじんまりしたものだった。すぐ日本人墓地へお参りに行く。団体で押し寄せたからか周りの人は珍しそうに僕らを見ていた。
 列車に乗り込み21:35出発。僕らは3回目の食事だったので、夜中の12時だった。
7月28日(木)

晴れ
ノボシビルクス  白樺林や雑木林の平原を汽車は相変わらず走り続けている。人が住んでいる気配がなく、いかにも未開の大地といった感じだった。
 ハバロフスクの駅からバスで空港に向かい、4時間半で飛行機はノボシビルクスに着く。ホテルに着いてすぐ食事。7時からのサーカスを見る。疲れていたからか、本場のサーカスもそれほど感動するものではなかった。
 ホテルのロビーで班会議をしていると2人の男が寄って来て「時計を売ってくれ」と言う。1個50ルーブル。売ればよかったかも?
7月29日(金)

晴れ
ノボシビルクス  朝ノボシビルクス市長を表敬訪問。ノボシビルクス市についてやさしく説明してくれた。こちらから通訳としてやってきたA大学講師の人は冷や汗をかいていた。それでもうまくいかなかったのでソ連側の通訳のアンドレイが痺れを切らして途中で代わった。大学講師の面子はまるつぶれであるが、実力の世界である。
 次に幼稚園を訪問。余りにも行儀がよすぎて子供らしさに欠ける気がした。お客さまように訓練されたという感じがした。
 午後、アカデムゴロドク(科学都市)を訪れる。大平原に計画された科学者のための街である。映画を見たり説明を受けたりしたが、社会主義の国であることが実感させられた。
 夕方Yさんとブラブラしていたらまた人の良さそうな若者が近づいてきて「ジーパンなど何でもいいから売ってくれ」という。物資の不足は深刻であるらしい。また、とてつもなく大きな銅像が目に付く。バレー劇場の前にあった「レーニン像」は台座が人の背丈ほどもあった。
7月30日(土)

晴れ
ノボシビルクス  朝ピオネールキャンプ場を訪問。出迎える子供たちがとてもかわいかった。われわれへの歓迎は徹底していた。ただ、少し残念だったのは上からの指示というのがみえみえでもうひとつ子供たちの本質に迫れなかった。
 初めての出し物をやる。合唱の「カチューシャ」や「いっちょらい節」などとてもうまくいったのではないかと思う。われわれの浴衣姿にも喜んでくれていたようだ。
 午後コルホーズ見学。広大な土地が青々と広がっていた。若者のための施設を建築中で、若者をつなげとめておくのに必死のようであった。
7月31日(日)

曇り
ノボシビルクス
タシケント
 朝オビ川の遊覧船に乗る。なんの説明もなくただ走っているだけだったが。ソ日友好協会の人たちが何人か乗ってきておみやげをくれたりした。
 4時、いよいよシルクロードの玄関口タシケントに向けて出発。タシケントは42℃という蒸せかえるような暑さだった。
8月1日(月)

晴れ
タシケント  タシケントは想像以上の大都会でびっくりした。そして人々の顔はわれわれと同じ朝中央アジアで1番立派であるというバレー劇場を訪問。第二次世界大戦後、日本人の抑留者も建設作業に加わったと伝えられている。次にセイハンタウルの複合建築を見る。やっと何かシルクロードらしさを感じる。
 午後はモスク寺院や地震記念碑などを見てバサールヘ行く。どこでも市場は活気があり面白い。
 一担ホテルに戻り全員浴衣に着がえて友好会館での「友好の夕べ」に参加する。最後にはバンドでダンスをして燃えに燃えた。それにしても社会主義告にエレキバンドは似合わない気がしたが。
8月2日(火)

晴れ
タシケント
サマルカンド
 まず「タシケント歴史博物館」を訪れる。シルクロードの遺跡がよく整理されて展示されている。説明を聞くと時、ちゃっかりクーラーの前の特等席に座る。(ソ連では圧倒的に冷房が少なく、あっても部屋全体を冷すほどの能力は無い。)しかし、通訳の言葉がよくわからず、歴史にも弱いのでほとんどわからなかった。
 午後はチャイハナ(喫茶店みたいな所)でお茶を飲む。暑いお茶だったのには驚いたが、不思議と違和感がなかった。こちらの人はみんな厚いガウンのようなものを着ている。着こんで太陽熱を避けているのだ。僕らみたいにTシャツでは返って疲れてしまうのかもしれない。
 午後48人乗りの双発機でサマルカンドへ。飛行場に降り立つと熱風が吹いてきた。風が熱いと感じたのは初めての経験だった。
 バスの中からレギスタン広場が見えた。一様に感激の声が上がる。「あれを見た時に鳥肌が立った」という団員もいた。大陸性気候のためか夜になると案外涼しくなった。
8月3日(水)

晴れ
サマルカンド  まずチュパン・アタ丘にのぼり「東方イスラム世界の貴重な真珠」などと形容されたサマルカンドの市街を一望し、チムールの孫のウルグ・ベクの天文台の基礎と六分儀の跡を見る。そのあと博物館を見て「シャーヒ・ジンダ廟群」を訪れる。カラフルな民族衣装を着た現地の人が大勢いて何とも言えない雰囲気のある所だった。狭い通りにチムールとウルグ・ベクの時代に建てられた廟が並んでいてタイムスリップしたような感じだった。
 次にチムールの第一妃ビビ・ハヌィムによって建てられたといわれる「ビビ・ハヌィム寺院」に行くが、修復中であった。そのあとバザールへ。生きた鶏や動物がいたり、さまざまな種類の香辛料があったり、珍しい物ばかりでいつまでもいたかった。
 3時半まで休憩して「レギスタン広場」へ。1400年から1600年代に建てられた3つの学校が広場を囲んでいる。次に「グル・エミル」を訪れる。チムールの墓という意味のこの廟は青いタイルで装飾されており太陽に一段と輝いていた。
 夜レギスタン広場で光と音のショーを見る。場所が場所だけに遠い昔に引き戻されたような錯覚を感じるほどだった。あまりの暑さにカフェでレモネードなどを何杯も飲んでしまい、さすがの僕もお腹の調子がおかしくなってきた。生水を飲まないように注意してきたが、ジュースの中の氷が原因だったのかもしれない。
8月4日(木)

晴れ
サマルカンド
ペンジケント
 サマルカンドから約70キロ離れた所にある「ペンジケントの遺跡」を訪問する。ソグド文化の発掘で知られている。郊外の農村や綿畑の風景も珍しかった。遺跡の周りのはげ山がどこかで見たシルクロードの景色だった。
 帰り小さな湖でアンドレイを始めとして飛びこむものが続出。これだけ暑かったら無理も無いかな。
 夜9:50モスクワへ出発。 「コスモスホテル」は西側的なすばらしいホテルだった。
8月5日(金)

晴れ
モスクワ  出発が4時間繰りあがったためモスクワ滞在が短くなり、赤の広場の付近をうろうろしてベリョースカで大慌てで買い物をする。
あこがれのシルクロードを旅してモスクワはもうどうでもよくなっていた。夕方ハバロフスクに向けて出発。
8月6日(土)

晴れ
ハバロフスク  7時間半のフライトだったが時差の関係で着いたのは朝の7時。飛行機からすばらしい朝日を拝むことができた。ホテルにチェックインしてからベリョースカへ買い物に行くものもいたが、ほとんどの人はグロッキー。床に倒れこんで寝ているものもいる。
 午後からアムール川遊覧。のんびり船に乗って少し気分が晴れた。
 17:30列車でナホトカに向かう。
8月7日(日)

晴れ
ナホトカ
船上
 9:30ナホトカ着。12:00「バイカル号」は出航。アドレイと涙の別れ。岩壁まで見送ってくれたアンドレイと一緒に船から「森の熊さん」の大合唱。「スパシーバ」(ありがとう)そして「ダスビダーニヤ」(さようなら)