今度の山は行く前からとても不安だった。というのも、ゴールデンウィークの最中で高速道路の渋滞がひどいのではないか、東京の近くなので何かと混雑しているのではないか、駐車場はあるのかといったようなことが原因である。しかしインターネットで調べてかなりの不安が取り除かれた。頼りになる文明の利器ではある。
また、今回初めて携帯電話を持っていった。「ケイタイなど絶対持つまい」と心に決めていたのだが、家族の心配のことを考えて遂に持つことにしたのだ。北海道では電話をかけるだけの為に1時間も車を走らせた苦い経験もある。というわけで、昼食の時と県民の森につぃてからと2度メールを送る。家族からも頻繁にメールがはいる(最初だけかもしれない・・・と言ったら怒られるか)。
暗くなると同時に7時ごろ寝る。僕は車の中ではとてもよく眠れる。子宮回帰というのか狭い所にいるととても安心するのだ。だから寝台車とかフェリーの寝台などカーテンで仕切った空間がとても好きだ。夜中に目が開いて、ぐっすり眠ったと思ったのにまだ11時だった。今度は車の音とカーステレオの音に目を覚ます。「うるさいな」と時計を見ると4時半。ちょうど起きようと思っていた時間であり、いい目覚ましになったと感謝しなければならない。
登山口が分かれば 登山の何分の一かは済んだも同然だと思っている。林道の分かれる所でやっぱり迷ったが、道端でテントを張っている若者に聞いて無事二俣まで入ることができた。車が5台ほど入っていて、中高年の女性の大きな声が響き渡っていた。ここから先はM先生の「登っています百名山」の記事が役に立った。帰りに迷いそうな道もチェックしておいた。整然と並ぶ杉林の薄暗い中黙々と歩く。うぐいすの声がとても大きく聞こえる。見上げれば杉の根っこが異様に絡み合って自然の階段となっている。かなり多数の杉にビニールのひもが巻いてある。また根っこには木を削ってハンコが押してある。いづれは切られる運命にあるようだ。
杉林を抜けるとひょいと堀山の家に出る。「営業中」の旗が風に舞っていた。ベンチに腰掛けてメールを送る。家族はまだ寝ているだろう。
そこからの道は単線から複線電化の線路に変わったように明るく広い道だった。山桜の花びらが風に舞い、白いドウダンが朝露で輝いていた。やがて道は崩壊が激しくなってきた。考えてみればすべてわれわれ登山者の責任である。裸地化した登山道の周辺に鹿の防護柵に囲まれて苗木が植えられていた。緑を取り戻すためにボランティアが下から苗木を運んで植樹したものらしい。こんな取り組みは とても心が温かくなる。
登るにつれてガスがひどくなり、視界20メートルといったところか。真っ白の中を歩きながら、丹沢山と最高峰の蛭ヶ岳まで行くという当初の予定は変更したほうがよいように思えてきた。訳がわからずにただ頂上だけを踏んでもあまり意味があるとは思えなかった。
案の定塔ノ岳も真っ白。向うに尊仏山荘の輪郭が浮かんでいた。小屋から若者が出てきて準備体操を始めだした。大展望はまたの機会に残しておいて、そそくさと下山にかかる。同じ道を帰るのもしゃくなので、鍋割山経由で戻ること にした。分岐の金冷しはわかりにくく5分ほど行って気がつき急いで引き返した。
そこからは又単線に戻った感じで、快適な尾根歩きであった。視界が100メートル程になると、白黒の映画がカラーになったみたいに色がついてくる。黄緑の若芽や赤い山ツツジが目に飛び込んできて気持ちがいい。やがて「今回の登山では鍋焼きうどんを食べることを楽しみにしている」とHPに書いてあった鍋割山に着く。有名な鍋焼きうどんの新しいのぼりが小屋の前に立っていた。
下から何人もの登山者が息を切らせて上がってくる。さすが都会の山だ。下に降りるほど明るくなってきたが、仰ぎ見る丹沢山系はやっぱり深い霧の中であった。 |