カツ丼は大正10(1922)年2月、早稲田高等学院の学生・中西敬二郎考案した、というのが定説である。この丼メシはよほど日本人の口に合っていたのだろう2ヶ月後には、東京銀座や日本橋の食堂が早くも品書に書き入れ、夏には卵とじカツ丼の姿になって大阪道頓堀に現れたという。
もっとも異説があって、大正6年に『(早稲田)正門前の鶴巻町を少し行った右側』の『余りパッとしない食堂』でソースカツ丼を食べたという早稲田高等予科(当時)学生の証言もあり、また、『どんぶり探偵団』は、その食堂の主人・高畠増太郎さんの存在をつきとめている。ドイツでの料理修行を終えた高畠さんは、大正2(1912)年東京で開かれた料理発表会で創案のソースカツ丼を披露し、早稲田鶴巻町の自店で売り出していたのだ。カツ丼の先駆者は高畠さんなのである。
               文春文庫『ベスト オブ 丼』   (1990年刊)より
小史
(1913年)
大正2年11月28日 東京都早稲田鶴巻町(新宿区)にヨーロッパ軒誕生。
(屋号はヨーロッパで修行した事に由来します。当時としてハイカラな屋号でした。)
大正6年3月 神奈川県横須賀市追浜に出店。横須賀港百年祭に臨む。
大正12年9月 関東大震災により灰燼と化し郷里福井に帰る。
大正13年1月 総本店所在地 片町通りに福井ヨーロッパ軒誕生。
昭和26年 ヨーロッパ軒木田分店、店主ヨーロッパ軒に丁稚奉公に入る
昭和37年 暖簾分けにより独立、みのり町にヨーロッパ軒木田分店開店!!
昭和49年 店舗新築
昭和60年 木田町に新築移転(現店舗)
 
昭和14年敦賀分店をノレン分け第一号店として開店以来、優秀な調理人にノレン分けを行い、現在では福井市12店・敦賀市5店・春江・丸岡・神明の計20店舗でグループを構成。福井県内外を問わず、多くのお客様から親しまれる店としてご愛顧いただいております。
ヨーロッパ軒創業者、高畠増太郎がドイツ・ベルリンの日本人倶楽部で6年間の料理研究の留学を終え(天皇の料理番 秋山徳蔵氏も同期)明治45年帰国。ドイツ仕込みのウスターソースを日本人の味覚に普及さすべく苦心を重ね創案いたしましたのが、翌大正2年東京で開かれた料理発表会にて披露しました「ソースカツ丼」でございます。
薄くスライスした上等のロース肉を、目の細かな特製パン粉にまぶし、ラード・ヘッドでカラリと揚げたカツを、熱々のうちにウスターソースをベースに各種の香辛料を加えた秘伝のタレにつけ、熱い御飯にタレをまぶしたにのせたカツ丼です。油臭さがなくサラリとした歯触りはもちろん、ツーンとした甘み&酸味がすまろやかな口当たりは、どなたにもおいしくお召し上がりいただけます。この『ソースカツ丼』が味わえるのは、日本広しとと言えども、福井の『ヨーロッパ軒』だけ!越前ガニや甘えびと並ぶ、福井ならではの名物の1つとして人気を博しています。

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