ORIGINAL NOVEL

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あの花は、誰が替えているのだろう?
あの岸辺に落ちる花
「・・・また、負けた」

誰もいない教室の扉の前で、少女が大げさに項垂れた。
少女の手には、花があった。
咲きかけのアジサイの、花束が。

数枚の新聞紙に無造作に、だが丁寧にくるまれたアジサイの花は、今朝方摘み取ったばかりの新作だ。
朝露が、昇り始めた陽の光に反射してとてもキレイだった。
本当ならカタツムリもおまけに付けようかと思ったが、さすがに授業中に這い回られては良い迷惑だろうからと、そこはしっかりとあきらめた。

今日こそは、と。
誰よりも早く校門をくぐり、誰に悟られることもなく、花瓶に花を生けるはずだった。

誰も気付かないうちに、朝1番に教室に来て、見頃を過ぎた花を新しいものへと替える。
足長おじさんのような、この行為、ある種、少女の使命であり義務でもあり、言ってみれば達成感の塊であった。

だが、今日もその夢は、脆くも敗れ去った。
生けるはずだった花瓶に、鮮やかに咲く白いマーガレットの束。
白い花は清楚な雰囲気が漂うものなのに、今、眼前にあるマーガレットは、さながら勝ち誇ったかのようだ。  

「・・・もぉ」

口元だけウシのように尖らせると、少女は持ってきたばかりのアジサイを、
新聞紙に包んだまま、花瓶のすぐ横に並べて置いた。

一緒に生けることはしない、いや、出来ない。
後から付け足したみたいで、格好悪い。
何より、”その人”に負けたような気がするから。

「でも、ズルイ」

マーガレットの花びらの1枚を指先で弾き、一言だけ呟いた。
きれいに剪定され、高さも大きさも揃った花は、虫1匹へばりついていない。
当然だろう、おそらく生花店で買われたものなのだ。

いつのころからか、何故なのか、絶対に破ってはいけないジンクスがひとつふたつあった。
すなわち、少女が勝手に決めたルールである。

”自分で育てた植物か、自分で見つけた植物でなけらばならない。”(勿論、他人の花壇はご法度。)

マーガレットの花束は、花屋で買ってきた物だろうから、ルール破りではないか。
ただしそんなことは、少女より先に花を飾った当人が、知る由も無い。

ぱらぱらと、教室に生徒が集まり始める。
時間つぶしに廊下を往復した少女は遅れて教室に入り、何ともなしに、辺り障りの無い挨拶を交わしてみせる。

真新しいマーガレットの花(と、置きっぱなしのアジサイ)が、1時間目前の南風に揺れる。
生徒たちは、ほんの少しの間でも目をやっただろうか。
咲き頃を迎えている花は、あっという間にそのバリエーションを無くしてしまう。
かくて、少女と”誰か”の花対決もほどなく1年を迎えようかというところである。

今日も、少女は教室に急ぐ。
なんとなく、いつもよりも早く。
ただ残念なことに、今朝の花は自信が無かった。

少女の手にあるのは、ガラスの小ビンと、タンポポの束。
さすがにタンポポは・・・強引だったかもしれない。いまさらになって後悔。

リノリウムの廊下を内履きで滑って、目指す教室の引き戸。
ガラス越しに、ふと人影が見えたような気がして、少女は急にしとやかに歩くこととなった。

教室の戸は、すでに開け放たれていた。
人の気配がある。
こころもち息を落ち着かせて、次には深呼吸して、ぴたりと止める。
爪先立ちで、引き戸の陰から、そろりと中を覗いて見た。

あの花瓶に、花を生けている後姿があった。
見覚えのある横顔。背中立ち。最近会っていなかったけれど、すぐに気づいた。

「おばさん?」

口に出すつもりは無かったのだが、つい自然と声が出る。
女性は、少女のともだちの、お母さんだったのだ。
「おばさん」と慕う間柄だ。

振り向いたおばさんは、一瞬だけ驚いたようだけれど、その柔和そうな顔でふわふわと微笑んだので、少女は特に何も思わなかった。

「おはよう。早いのね」
「あ、おばさん、その花・・・」

少女が軽く指差した花瓶には、今しがた生けられたばかりの、真っ白な百合の花がおさまっていた。

「ええ、昨日咲いたの。あんまり綺麗だから、飾ってやらなくちゃと思ってね」

おばさんの手には、たたまれて、ところどころ文字の滲んだ新聞紙。
買った物、では無かったのだ。
そういえばおばさんは、家庭菜園が趣味だったっけ。
結局のところ完敗だったのかと、少女が笑いを噛む。

「じゃあこれ、いらなかったね」
「そのタンポポ? どうしたの?」
「さっき道で摘んできた。花瓶・・・カラだったから」

微妙な言い回しで真意を避けながら、少女は照れ隠しに黄色い通学帽を深く合わせた。
おばさんは心内に気づいているのか、ただ、にこにこと笑っている。

「ありがとうね」

おばさんは少女の持ってきたタンポポの小さな束を受け取り、取り分ける。

「いいよ・・・ユリとタンポポじゃ似合わないし」
「似合わなくて良いのよ」

少女は不思議そうに首を傾けた。
おばさんの表情は背になって読めない。
そんなに年ではないはずなのに、初老に近いほどの憂い背と表現したら、少し失礼かもしれない。
1本、1本、百合の隙間を縫うように、タンポポの花を刺して生ける。

「きれいでしょう?」

薄紫のカーテンが、風になびかれて教室へ吹き込む。

「うん、ちょっと変わってるけど」

道端でつまんだタンポポと、端正こめて咲いた見事な百合とが、ひとつの花瓶におさまっている。
それはそれは、美しい風景。
朝のホームルームが始まるだいぶ前に、おばさんは帰って行った。
机に飾られるのは、颯爽と白い百合と、お粗末程度にタンポポ。

あの百合を生けた人物を知っているのは、今、クラスの中で自分だけなのだ。 そう思うと小気味良い気はするが、自分もこっそりと花を飾っていた1人で、しかもこの場合タンポポのほうで、 いつも先を越されていたのが、相手にバレてしまったことに比べればマイナスだ。

けれど少しだけ、心があたたかい。
今日という朝が、ずっと覚えていられる思い出のひとつになったからだろうか。

花瓶の飾られた、窓際、前から2番目の一つだけ空いた机は、少女の斜め前の席。
それは、彼女のともだちの机だ。

あの机はきっと、もう誰も使わない。
卓上に置かれる花瓶には、おばさんと二人で生けた、百合とタンポポが飾られている。

百合が落ちる頃には、また新しい花を飾ってあげよう。
その頃には、タンポポは綿毛になっているだろうし、この一年の最後には、花瓶は置かれなくなるのだから。
時の変わり目は、もう、すぐそこにある。

新しい季節が始まるその日。
落ちて散らばる花びらが、”忘れないで”と叫んでいる。

end of one season.