JUNK6


「太一くん、罠はー?」
「んーとねぇ……“女神の口づけ”」

 カッ、
 と後衛二人の眼が閃光を放った気がした。
 いや、完全に気のせいではなかった。
 後衛とは思えぬ瞬発力で、宝箱と眼前にいる盗賊目掛けて突進する。

「太一くん!! オレに開けさせてーー!!」
「ちょい待ち、松岡ァ!! 僕が開けるっ!! 今こそ僕の出番や!!」
「おわぁ!! 押すな、発動するだろが!」

 “女神の口づけ”という罠がある。
 宝箱に設置された罠の一種なのだが、罠という割には実害がほぼ無い。
 年齢が1才若返るのだ。
 害、というかむしろ利である。一部マダムとか垂涎の逸品である。
 主に高難度のダンジョンに設置されやすいらしく、修行を積み重ねた高齢の冒険者は、加齢によるハンデを緩和するために、あえて、この罠を狙って潜るのだそうだ。

 まぁ、罠なんぞ時の運なので、出る時は出る。
 よって、今回のように“女神の口づけ”が出現した際は、仲間内で、普通は遠慮したいはずの“罠”の取り合いになるという、珍しい光景が繰り広げられる。

 勢いで城島を蹴飛ばし、混戦から抜け出た松岡は、太一に必死の訴えを起こす。

「オレさ、召喚師志望って最初に言ったよね!? なのに何でまた全種制覇してんの!? 何この器用貧乏感!! オレ、太一くんより年上になんのヤダよー!!」
「……松岡、開けていいよ」

 っしゃああ!!、と渾身のガッツポーズを決める現・僧侶(旧・魔術師)と、その足元で地面を殴りつつ、人生終わった感じの現・司教(旧・錬金術師)。
 対称的な姿を淡々と眺めるのは、前衛二人である。

「……どーでもいいと思うのは俺だけか?」
「オレも激しくそー思います」
「うっさいわ! お前ら殆どイノセント(無転職)やないか!!」

 この世界では、転職すると修行のために(という名目上)、1才年を取る。
 無論、1年経過――例えば、宿屋に365日宿泊すれば、誰であっても年を取るわけだが、それとはまた別にカウントされる摩訶不思議な加齢である。
 意味が分からないかもしれない、が、そういうものである。
 転職=新しい人生を始める、ということで、その記念にでも年を取るのだろう云々。
 (「そんな記念いらん!!」by城島、ちなみに彼は転職3回目である。)

「リーダーは元々最年長なんだからいいじゃんかよー。オレなんて後1回は確実に転職すんだから……」

 あまりにもブルーな城島に少々申し訳なさを感じながらも、宝箱開封役を譲る気はさらさら無い松岡。
 さりげなくフォローを入れつつ、青銅製の箱の縁に手を掛けて、
 ぱかりと開けた瞬間、
 うッ、と短く呻くと、松岡はその上に覆い被さるように倒れた。
 “女神の口づけ”では無かったらしい。しばらく動かない。

「……ごめん、毒針だった」
「あっはははは!!」
「ぶははは!! 爆弾とかじゃなくて良かったなぁ、松岡!」
「くっそてめぇら……!! 解毒ッ……解毒呪文を……!! ……ってオレ、使えるわ。よく考えたら」

 松岡は、はたと我に返って、自分で解毒の呪文をかけた。
 先日、僧侶に転職し、僧侶呪文を覚えている真っ最中であったのだ。

「あぁ……やっぱりこの器用貧乏さが役に立つのかよ腹立たしい……」
「オレは便利でいいと思うけどー」
「他人事だと思って……」
「別に見た目にハッキリ老けるワケじゃないし。わざわざ“女神の口づけ”に掛かんなくても……ねぇ」

 恨みがましい目つきの松岡に睨まれる、長瀬と、山口の前衛二人、実は、それぞれ1回ずつ転職しているので、少なくとも1才は加齢している。
 とは言え、それでも、3回4回と転職を繰り返してきた城島や松岡ほどではないため、“女神の口づけ”を巡る二人の諍いごとには、あまり興味が無い。

「だって太一くんなんてフツーに掛かってますよね、“女神の口づけ”。しかも2、3回……」
「しょーがないじゃん。罠、間違えるんだもん」
「……それって太一くんのレベルが低……いせいじゃありませんよねハイ、そんなわけないよねえアハハ」
「どーどー太一、落ち着こうか。危なかったなぁ長瀬。首切り10%が飛んでくるとこだったぞ、ハハハ」

 太一が視界の端で包丁(という名の首切り短剣)を閃かせたので、山口はにこやかな笑顔で羽交い絞めにしているのであった。

 実際のところ、太一のレベルが低いわけではない、というか二択ならば確実に高いと断言できる。
 何せ、このパーティーで最も高レベルの冒険者と言えば、彼なのだ。罠解除のスキルも相応に持っている。
 それでも、失敗するときは失敗する。どんなにレベルの高い盗賊であっても、である。
 罠を見極めるのも、解除するもの盗賊である太一の仕事なので、結果、失敗した時に真っ先に被害(この場合、利益か)を被るのも太一なのである。

「そういう時は役得やん……」
「あのねぇ……その分、一番即死してるのも俺だよ? “玉手箱”も食らうんだし。まぁ、プラマイでほぼゼロなんだけど」

 “玉手箱”は、“女神の口づけ”と全く逆の効果を持つ罠であり、こちらは一気に3才前後老化する。
 解除に失敗し、いきなり城島より年上になった時には、どうしたものかとパーティーは狼狽したものだ。
 太一が生粋のイノセント(無転職者)であり、年齢自体を然程気にしなかったことと、見た目に全く変化がなかったことが幸いし、大事には至らなかった。(城島はえらくショックを受けていたが。)

「大体、リーダー言うほど年取ってないんじゃない?」
「うん。今のところプラス3才……くらいッスよね?」
「……お前らには分からんでいい……」

 ぐすぐすと涙ぐみながら、城島は何故か背中を向けて地面にのの字を彫り出した。
 山口が困惑する二人の肩を叩いて耳打ちする。

「……俺らの錬金術師の師匠に当たる人、知ってるだろ?」
「東山さんですか? もちろんッスよ」
「毎度、お世話になってるよねー。すごい高レベルの錬金術師だもん」
「あの人、リーダーと4つ違いなんだよ」
「へ!? じゃー太一くんと同い年ってこと!?」
「逆だ阿呆」

 戦士・山口、エントライー(大金槌)の先端で長瀬の顎をアッパーカットした。難しいつっこみである。

「上だよ上。リーダーの、4才年上」
「あ、もしかして、リーダー。だから……?」
「まー何としても師匠の年齢を超えたくないんだろうな。無駄だ足掻きだと思うけど……」

 無駄、と山口が言ったのには、年齢差に興味が無いということ以外に、別の意味があった。

 冒険者として長く経験を積めば積むほど、当然年を取る。それは、時間の概念を持つ全ての世界の理だ。
 件の錬金術師と同じくらいのレベルに到達する頃には、確実に、現在年齢プラス10才くらいにはなる。
 だが、“師匠”は違う。山口たちを錬金術師の弟子として置いた十数年前から、彼は全く年を取っていない。
 ダンジョンに潜っては、老化と若返りを繰り返しているわけでもない。
 信じられないことに、“師匠”には時間の概念が無いのだ。およそ人間とは思えないが、事実だ。
 “世界の理”を外れた存在、とでも言うのだろうか。

 城島も、この事実に気付いている。
 だからこそ、“師匠”との年齢差にこだわっているのかもしれない。

「詐欺や……何であの人が僕と4つしか違わんのや……見た目若すぎるわ……」

 ……たぶん。
 大海のど真ん中、浮力を利用してか器用にぷかりと浮かんでいたドザエモンを掬い上げてみたらば、
 それは活きた、ではなく生きた人間であった。
 治癒術を試しに掛けてみたところ、わずか数分で眼を覚まし、怪我一つ無く、欠伸しながら口を開いた第一声が、

「あーもんのすごい腹減った」

 であった。
 甲板から叩き落とそうかと魔が差したが、生き倒れを放っておくのも仕方無いので、仕方なく食料を分けてやることにした。

「いやー助かりました! 命の恩人っているんスね! しかも食べ物、分けてくれるなんて!」
「ああ……ええよ。別に。もうすぐ海都やし」
「え、海都!?」

 男は、驚いた表情で、前のめりになる。

「これ、海都行きの船なんですか!?」
「……そうやけど?」
「やったあ! 超ラッキー! あのっ、いきなりですいません、けど、海都まで乗っけて行ってくれませんか?」

 まさかこの場で船から引き摺り下ろすわけにもいかない。
 どう転ぼうとも、海都までは連れて行くことになろう。
 その旨を伝えると、男は喜んで、何度も頭を下げた。

 いわく、男は西方の小島から、小さなカヌーとオールだけで大海原に漕ぎ出し、海都を目指していたらしい。
 周辺の海域は、特に潮流の荒い難所で知られるというのに、巨大帆船ならいざ知らず、まさか横波一つで転覆するカヌーで。

 男の冗談かとも思ったが、しかしそうでなければ確かに、あんな風に海の真ん中に身一つで浮かんでいる状況など起こり得ない。
 死にかけた顛末を、大笑いしながら饒舌に話してしまう辺り、結構、彼の背景も真実なのかもしれない。

「どうしても海都に行きたくて。でも船無かったんスよねー。それで漁師さんのカヌーで」
「カヌーで……よう生きてたなぁ。この辺の海域は渦潮も発生する言うのに」

 そこまでして行きたい海都に、何か用でもあるのだろうか。
 男は、こちらの質問を予想していたように、答えた。

「迷宮に……海底神殿に、行かなきゃならないんです」

 素直に、驚いた。
 迷宮の意味を知る者だったということと、迷宮の下層に海底神殿があることを知るものは少ないということだ。
 海底神殿があることを知って、潜ろうとしている。
 ただの浮き倒れ、というわけではないようだ。
「おばんどすー。もしかしなくても、今、ちょー困ってたりしますぅ?」

 明らかに間違っている古き良き時代のお姉ちゃん口調で、突然に声を掛けてきた男であった。
 長瀬と山口は、勢い良く振り向いた拍子に風だけを起こすことが出来た。

「あ、ちなみにこれ独り言やないからね」

 にこにこと、天使か悪魔かのような微笑みでこちらに話しかけてくる。
 綿布のローブに異国風のストールと、サンダル、身軽な旅装束を纏っている男は、丸腰であり、一見すると攻撃手段を持たなそうに見えた。

 ということは、とりあえず、
 とりあえず脇目も振らず、
 山口は男を全力で殴った。

 黄金の右フックは、だが、空振った。
 男が全力で回避行動を起こしたためであった。

「ななな何すんねん!!」
「あ!? やっぱ、もしかして俺らのこと見えてる?」
「え!? 本当に!? そーなんスか!? 本ッ当スか!?」
「いやいやいや!! ちょい待ち、自分ら確認の方法が手荒すぎるわ!!」

 続いて長瀬が右エルボーの構えを取ったので、危機感を抱いたのだろう事は想像できる。
 男は慌てて二人を制止し、肩でぜーはー息を吐く。
 一応、普通の精神を持ち合わせた人間だったらしい。

「見えとるよキミら二人とも! ついでに言うと、ずうっとキミらを探しとったんや!」
「……どういうことだ?」
「それはなぁ……あ、と」

 続きを言いかけた口が、はたと、思い出したように閉ざされた。

「あー……しもた。君ら薄々気ぃ付いとると思うけど。今、僕、独り言しゃべりまくる上にキミョーな動きする、変人として見られとるから」
「え?」

 そう呟くと、男は肩越しに隠れた位置で、二つ隣の席に座る数名の船員をこっそりと指差した。
 確かに、船員たちは皆一様に、男の方をチラ見しながら訝しんでいる。
 つまり間違いなく、彼らには、相変わらず二人の姿は見えていないということなのだ。

「場所変えよか。ついて来ぃ」

 男が颯爽と席を立つ。

「あ、おい……」
「どうせそのままやったら、“こっちの世界”では動かれんのやろ?」

 不適な笑みを浮かべ、こちらの返事も待たずに、男はさっさと外へ出てしまった。
 迷っているはずもなく、選択肢が用意されているはずもなかった。

「……いくらなんでも怪しすぎるぞ、アレは」
「けど、ついて行くしかないんでしょ」
「…………」

 山口が苦い表情を崩さずに、立ち尽くしている。
「だってさ、ちょっと勝手すぎやしないかとか、思わない?」

 深い森の道なき道、滅びの花が埋め尽くす一帯を、脇目も振らずざくざくと景気良く踏み荒らしつつ分け入って行く。
 先頭を歩く太一である。
 3年ぶりの再会となった弟分は、あの頃は治癒術の使い手として独り立ちしたばかりだったが、今現在、自分に回復魔法を常時かけながらの行軍、なんて器用な芸当をやってのけている。一体いつ覚えたのだろう。
 かく言う自分も、自身に回復術を施しつつの行軍である。
 でなければ――例えば、余程バイタリティのある怪物人間でもなければ――、滅びの花に生気を吸い尽くされてミイラになってしまうところだろう。

「勝手に期待して勝手に依頼して、でもって勝手に死んでったヤツのために命まで張って、」

 ようやく一息ついたかと思うと、太一はおよそヒーラーに似つかわぬゴツい杖を、遠心力さながらフルスイングして、突如目の前に現れたスライムを一撃の下にのしていた。
 弟分のパワフルな成長に、城島は少々尻込んだ。
 そういえば彼は、彼が兄貴分と慕う短剣使いに、よく特訓に付き合わされていたのだった。

「挙句の果てに、勝手に後継者扱いされて、この結果。何これ!? 何の冗談!?」

 先ほどから太一の怒りの矛先は、その兄貴分の短剣使い、ではなく自分に向けられているらしい。
 言うまでも無いが、言い返せない。肩身は狭い。
 太一は、あの日から足掛け実に3年間、竜との乱戦で行方不明となった城島を探し続けていた。
 おまけに、探し当てた目的の人物は、当時対策方法も確立されていなかった滅びの花の毒気によって、2年半もの長い期間、危篤状態に陥っていた、と来た。
 太一はさらに半年を、城島の治療に費やさねばならなかった。
 そうして、ようやく目覚めさせた城島を待っていたのは、全世界の竜討伐、などという過酷すぎる使命だったのだ。

「あーもう、どっからこういうことになったの!! てゆーか国はどうすんだよ!! 俺の3年間返せっ」
「……太一」
「なに!?」
「……けどお前、ついて来てくれとるやないか」

 太一は、如何とも形容しがたい表情で振り返り、城島を睨んだ。
 好きで来てるわけじゃない、と無言の顔に油性ペンで書いてある。

 喧々囂々と文句を言いながら、それでも、太一は城島について来た。
 気付けば都の帝竜を葬り、竜討伐隊として名乗りを上げた(あるいは、そうなってしまった)、設立3年と1ヶ月目のギルド『アカシックノート』。
 現在、構成員は2名である。
 独り、太一が隅の壁際に寄りかかっているのに気がついた。
 山口や松岡は“異界との境界”に入ってしまったので、とにかく暇なのだろう。
 見るからに不機嫌そうな、据わった表情である。

 声を掛けようかと近づいた長瀬だったが、おかげで少し足がもたついてしまったので、先に太一の方が気付いた。面倒くさそうに溜め息を吐かれる。

「お前も行くのか?」
「え? いや。ううん、オレは……何かこういうのは、あんまり……」

 先を濁した長瀬を、太一は意外な目で見返してきた。

 正直、長瀬は自分にもよくわからないのだが、“異界との境界”に出向かなかったのには、別段、特定の理由があったわけではなかった。
 強いて言うなら、理由とまでは行かない小さな取っ掛かりが、細かく無数に心を占めたから、だろうか。

 あの空間に行けば、死んだ母親か、ひょっとしたら父親にも会える。
 思い描いたままの姿で、在りし日と変わらぬ彼らを目にすることが出来る。
 この世界に存在しなくなったものに、会えるのだ。
 その確実さが恐ろしい、と長瀬はそんな不確実なことを思う。矛盾していることは、分かっている。

 長瀬の思いを見透かしたかのように、太一が口を開いた。

「俺らの一族は、不確かなものは信じない」
「……うん」

 魔法という存在を嫌い、機械文明を重んじる一族らしい言葉である。

「あれはさ、たぶん本当に、死んだ人がそこに現れるんじゃなくて……見ている側の記憶とか想いとか……そういうものを、映し出してるだけなんだ」

 それを、機械的に証明しようと思えば、おそらく出来る。
 “異界”で会うことが出来る死人とは、コミュニケーションを取ることができないからだ。
 ただの立体的な遺影にしかすぎない、全て寺院のまやかしなのだ、と、そう証明しようとしている一族は、だからこそ、大陸全土の多数派から忌み嫌われている。
 だが、本当は、

「薄々、気付いてるはずなんだ」

 寺院を信じる全ての人間が、まやかしを100%信じきることは不可能なのに、認めるのすら躊躇われる、あまりにも儚い幻影だ。

「それでも、たとえ幻でも、死んだ人に会うことで生きている人が1歩でも前に進めるのなら。うん。やっぱり、オレはそれでも良いと思うんだ……ねぇ、太一くん」

 唐突に、長瀬は話を変えた。

「山口くんと仲直りしたら?」

 ここに、来たことがあるような気がする。

 と、太一がつぶやいた言葉に、誰しもが固まった。
 その場にいた誰もがまさしく、同じ事を考えていたからだ。

「うん。あのね、だからねぇ……来たことがある、んじゃなくてさぁ」

 まるで、この状況を楽しんでいるかのように、松岡がへらりと笑う。
 彼は全て知っていて、そして全てに気づいていた。
 やっと同じ位置に立てた、そう言わんばかりの松岡の表情は晴れやかだった。

「ここに、いたの。みんな」

 ぱちりと、最後のピースがはまる音がした。

 そこは、海辺の家だった。
 幼い年の似通った子供たちが、校長先生と一緒に共同で暮らしていた。
 夏には浜辺に出かけて、冬には雪だるまを作って、皆で遊んだ。
 決して忘れることの無い、楽しい思い出のはずだった。
 それなのに、確かに覚えているはずの海岸線の風景は、何故か記憶の中から綺麗さっぱりと消え去っている。
 かろうじて残された薄い輪郭が、松岡の一言でようやく線画を作り上げたのだ。

「え、待ち……もしかして、ひょっとすると……”マボ”、なんか?」

 城島が、慣れない標準語をいつのまにか放棄していた。
 それほど、浮かび上がる記憶の奔流は衝撃だったのだ。
 松岡が、安堵の笑みを溜め息と共に吐き出した。辿りついた答えだった。

「やあっと思い出した? もーオレなんて、皆に会ったとき嬉しくて仕方なかったのにさ! 気付いてくんないんだもん。寂しいよねぇ」
「はあ? ちょ……何で一言、言うてくれんかったん!?」
「だってみんな忘れてるんだもんよ。悔しくてさー」

 恨みがましい言葉だったが、それと裏腹な満面の笑顔では、説得力もあったものではない。

「そうだ、った。うん……そうだ。みんな、いたんだよな」
「え? みんなって……あ、あれ? そういえば……」

 既に思い出していたらしい太一を横に、長瀬は、慌てて白い家の中を一周ぐるりと見回す。
 モノクロの世界に見えたのは、5人の子供。
 一番年下だった長瀬は、それでも、記憶が薄れるほど幼くはなかったのだ。
 脳裏に確かに、小さな自分が部屋を走っていく姿があった。

「……そうだ! オレ、そうだ! いたんだ。そういえば!」
「長瀬は昔っからバカ元気でよく笑ってパワフルでさー。一番最初に貰われてったんだ。なのに最後にわんわん泣いてさぁ。太一くんが蹴り出したんだよねー、『とっとと行け!!』つって」
「だってみんなと別れるの嫌で……でも、迎えに来てくれた父さんも母さんも良い人で……」

 ふいに、長瀬は、そこで言葉を切ってしまった。

 埋もれていた一つの真実が、思いもよらぬ一つの事実を明かしてしまう。
 長瀬は、認めなくてはならなかったからだ。両親が、生みの親でないことを。
 叱ってくれて、褒めてくれて、学校に入れたことを何よりも喜んで、同時に心配してくれた。
 あの何にも代え難い両親が、里親だったなど考えもしなかった。
 後悔などはなかったが、それでも、この記憶は変えられない。
 長瀬にとって彼らは間違いなく両親であったし、そして、これからも両親であり続けるのだろう。

「そういえば……みんなは、あのあと、どうなったんスか?」

 恐る恐ると声を続けた長瀬に頷きを返し、城島は視線を太一へと譲る。

「太一は?」
「俺は、そうだなぁ……里親とあんま上手くいかなくて。すぐに学校入っちゃったんだよね。あー、でも今思い出してみると、それ勧めてくれたのって、校長だ」
「僕も似たようなもんやわ。入った学校が違たんやな」

 つい数分前まで、ものの見事に忘れていたとは思えないほどに、記憶は鮮明になっていた。
 先ほどから気になっていることがある。
 色の増え始めた世界を駆け回る、子供は5人いる。

「ね、“皆”って言った? ってことはさー、当然……」

 それに気がついた太一が、笑いをこらえながら視線を移した。松岡も頷く。

「うん」
「ああ……そうゆうこと。せやから、5人なんやね」

 先ほどから一番居辛そうにしていた山口が苦笑する。
 見覚えのある子供の姿を、記憶の目で追っていた。

「……そうだ。俺も、ここに居た。これで5人だ」
 都内某所某局某会議室。
 配役、と書かれたホワイトボードに一喜一憂する某農作業系バンドグループがいた。

「うおおお!! やった! オレ『主人公』ー!!」

 そのガッツポーズは、まさしく心の最深奥から放たれた渾身の一撃であった。
 見事『主人公』を勝ち取ったセンター、ならぬボーカル。
 完徹明けたばかりの朝日に向かって、春晴れのごとく爽やかに微笑んでいる。
 事務会議室の殺風景な窓から、本当に後光を呼び込んだかのようなアイドルスマイル。
 別に新作ドラマが決まったわけではない。

「オレ、クールな二枚目『剣士』だって。しかもモテるって。へへ。なに。これオレでいいわけ?」

 しきりに頷いて設定を確認しつつ、何だかんだで満更でもなさそうな猫背。ドラム担当である。
 二枚目、クールな、モテ剣士、と三度リピート。
 どうやら最近、いじられ係が回ってくることに妙な危機感を抱いていたらしい。贅沢な悩みだ。
 しかし今回、背景的にもキャラクタ的にも美味しい役どころ満載の『剣士』。
 メインパーティ加入の時期は最も遅いが、微々たる問題である。
 嬉しさを隠し切れず、猫背が120°反り返ってパイプ椅子でブリッジ運動している。

「…………あのー。あのー。あの。あのすみませんー……ボク、人間外なんですけどー?」

 マスコミ向けサービス全快スマイルで、一部分をえらく強調したギタリストである。
 会心の笑みでプルプルと顔面が引きつっているのは、配役のイラストを見た直後だからだ。
 およそ人間ではない。と言うか、本当に人間ではないので、まあ仕方ない。
 全てのオチというオチを一手に引き受ける、重要な立場であることには変わりない。
 でも、人間外とは言え、彼は一応正真正銘『王様』だ。しかもEDではめさ強いのだ。

「斧……棍棒……ふっ、やっぱ男は斧だろ」

 配役はともかくとして既に武器の選別にかかっている、
 大工仕事の似合うランキングぶっちぎり1位のベース担当である。
 キャラクタ的には(スピンオフ作品で主人公に一気に格上げされる将来性を含めても)、割かし出番の少ない元極悪の『山賊』なのだ。
 文句の一つ二つあっても良いところなのだが、当の本人は、悩んだ挙句の斧を選択した時点で結構ノリノリだ。
 彼なら、大魔神斬りも8割の確率で成功させてくれるやもしれない。いや、9割は堅い。

 はたと、ベース担当が違和感に気付き、辺りを見渡す。

「ん? あれ? え? ちょ……ちょっと待て、俺がオチか!?」

 普段、あまりオチの回ってこないベース担当、狼狽えた。
 こういうときに絶妙の間で落としてくれる、肝心のキーボード担当の姿が見えないのだ。
 配役表、と書かれたホワイトボードを前にした4人の反応。そう、会議室には4人しかいなかった。

「おい太一! 太一はどこだー!?」
「エスケープしました!!」
「何か人生を見つめ直したいってさ」

 ボーカル、最大級のアイドルスマイル変わらぬままに言い放つと、ドラム担当が興味なさげに、だが堪えきれずにんまりと口角上げて、ホワイトボードを指した。
 ふとギター担当がデスクに目を向けると、そこには『自分探しの旅に出ます云々』と、『探さないで下さい云々』と言った、14才夏の家出少年のような置手紙が残されていた。

 ベース担当は、稲光を背に小道具の斧を取り落とす。
 気付いてしまった。
 キーボード担当、例のメインキャラクタの残り一枠が、閃光と共に脳裏を過ぎったからだ。
 そして祈った。

 戻って来い。
 確かに逃げる気持ちも解らないでもないが、いなくては始まらないし。
 美味しいシーンも目白押しのはずだ。違う意味で。

「お前の配役は『紅一点』だろうが……!」