それは久方ぶりの既成台本だった。
初めての斜め舞台だった・・・。
やはり・・・腰に来た。

そもそも「熱海」を上演しようと言い出したのは第二回公演前でした。
その時に顧問神原くみ子女史が
「どの劇団が(熱海を)上演しても失敗してるから、これ(森へ向かう小道)を演りなさい。
結婚祝いで上演料は無料でいいよ。」と言ってくれたもので、企画が流れてました。
しかし、どうしても上演したくて、・・・そうこうしているうちに
劇団本体が演劇連盟の合同公演で忙しい時に、M本が別ユニットで
別バージョン上演しちゃったりして、(かなり羨ましかったです)
ああ、もう上演出来ないんだなぁ〜なんて思ってました。

ところが、
何だかんだとモメにモメて(結局、情報源の自作自演だった>12行後に細記)男4人、女3人という所帯になり、
急遽「熱海」が急浮上したのです。何だかんだと文句言ってた連中も、
本読みした後は「面白い」とか「こんなのだと思わなかった」とか
おおむね良好な感触。 じゃ、やろうかって事で、上演決定したのです。

がっ!これからが大変でした。この公演が自立独立闘争(今から勝手にそう呼びます)の
幕明けになるとは、この時誰もが予測だにしていませんでした。
ある劇団員が、客演先からチケットを売りさばきに幻臓の稽古場へ顔を出し、悪びれずに差し出したチラシで
僕の胸は張り裂けました。同時に激しい怒りがこみ上げ、それは懐かしい凶暴性を呼び覚ましました。
「実力排除」と過ぎった瞬間、K林がブチ切れました。「Y文を殴ってきます!!」
この言葉で我に返る事が出来た(ありがとうK林)僕は、事の真意を整理しようとしました。

「顧問は幻臓団が顧問以外の作家の作品を上演する事を宣戦布告とし、先制攻撃を仕掛けてきた。」のだと、
口では「どうしてもと頼まれたから」と言いながら、上からモノを言う態度は「お前は私の飼い犬だ」と言わんばかりで、
「気が付いたら乗っ取られてた」と話すY川の話と整合性は無く、「お前が私の悪口言ってた。とM本とO川が教えてくれたよ」
との言葉と「そんな事は言った記憶が無い」と話すM本の話との整合性も無く、結論として「マッチポンプ認定」
誰が何と言おうと認定です、おめでとう!ノークレーム・ノーリターンでヨロシクね♪


さて、芝居自体は田中の占めるウェイトが大きく、彼にはかなりの負担を強いました。厳しいダメ出しに
自信をなくし、うなだれながらも稽古場へ足を運ぶ姿に心が痛みました。が、彼は頑張りました。

結果は演劇連盟から銀賞受賞。出来不出来という要素より、この時期の受賞という要素が大きかったため、
受賞を辞退しようとしたら「決定したのだから逆らえない」と説得され、「劇団を運営するという苦労が受賞したのだ」と言われ、
「お前は自立の時期に来たんだ」と理事長に肩をたたかれた時は崩れそうでした。

そうそう、忘れちゃいけないのが「BFHバンド」の存在です。
劇中歌「熱海で殺して」のアレンジ・演奏をお願いしたBFHの有志からなるバンドの力は絶大でした。
演歌ロックという注文どおりの出来栄えに、稽古場は興奮のるつぼに・・・
改めてありがとう、感謝してます。