祭礼は、大山咋命である。祭礼は、毎年元旦祭に始まり5月5日春祭、9月1日の風祭、10月8日秋祭である。慶長3年建立の神社である。明治2年(1765年)2月14日火災にあい再建した。更に大正7年5月改装、本殿は間口一間、奥行五尺二寸という小さな祠であった。昭和23年震災のため倒壊したため、翌年5月、当時の金額で五万円余で復旧した。拝殿は、大正13年(1924年)6月30日新築、間口三間、奥行二間一尺四寸であったが、これも福井震災で倒壊、経費十八万円余で昭和24年8月復旧した。

 祭神は、市杵島姫命である。祭礼は、4月15日と9月15日である。創立は古いと伝えられているが火災をうけて記録は残っていない。明治38年(1905年)頃迄、淵上第十二号番戸田にあったものを現在の八幡神社境内に移した。本殿は、間口四尺、奥行五尺五寸で、昭和25年9月3日のジェーン台風で倒壊したため、位置を少し北に譲って再建した。当時の金額で復旧費は千円であった。拝殿は、昭和27年造営である。

 千四十有余年の歴史の古い和田八幡宮に合祀された多数の仏像が明治維新の際、神仏混淆を禁じられ、一時境内中に一宇を建立し、安置されたが、その後淵上の信徒相計り、八幡宮境内北隣、現在地に移築する計画をし、増田喜三次が色付け等に至るまで大修理を施し、堂宇を建立された。昭和23年6月の震災で倒壊、多数の仏体が破損された。現在の堂宇は、淵上町の厚意により、淵上町作業場を改築して寄進された。本尊は、、釈迦如来で不動明王(伝教大師御作)をはじめ、大日如来(文化10年頃、円山丸山の一本松を用いて八幡宮宮司七代宮城治香八代宮司治照の合作の傑作)、阿弥陀如来(恵心僧都の作)外多数の仏像が安置されている。和田地区にこのようにかくれたる秘仏が現存されていることは、極めて重要で今後永久保存、管理を切望する。広大な和田八幡宮境内には、十六院があったが、その中で、円持院養仙寺が本坊である。住職は宮司が兼務されてきた。現在地に移転後は近隣信徒により護持されてきた。以後住職として、2〜3入れかわり入られたが続かず、尼僧、中村智順が久しく堂守としてつとめられた。死後現住職、岩村圭海によって守られて今日に至っている。

 祭神は、天照皇太神、毘沙門天である。祭礼は、毎年4月15日と9月15日である。この神社は、山州鞍馬山より勧請したもので往古は、村の中央部、旧称磐持場にあったが境内は狭く祠も小さかった。文政元年(1818年)祝融氏のため村の大部分が鳥有に帰した折、神社もまた厄を共にしたため、現在の地に奉還したものである。その後社殿、神殿の破損が相ついだが、昭和7年の耕地整理事業を契機に神域も広げ、昭和10年には、当時の金額で壱千余円の経費で再建移築した。昭和20年の空襲により境内の神樹は焼かれたが、社殿の被害は全く無かった。  昭和23年の福井震災で倒壊したが、その後間もなく町民有志の寄付金六万余円により復興された。