|
|
東安居公民館 |
菅谷 お狩場 |
菅谷 白山神社 |
|
松平家のお鷹狩り場であった。神社の付近に東へ向いて水が流れ込む一反歩ぐらいの溜があった。松永家はその休憩所であった。綱で鴨を捕獲したと思われる。この溜を中心にこのあたり一帯は溜り水の多い湿地帯であったと推定される。 |
|
福井藩家老、重臣たちの別荘地 |
|
重臣たちが十石ぐらいの土地を所有していた。別荘地帯でもあったが屋舎が建っていたかは詳でない。その重臣に稲葉、荻野、山形、狛氏などの名が挙げられる。稲葉氏については地名に稲場というのがあるのと併せて考えると興味がある。とにかく重臣たちの別荘地帯の観を呈した特異の地域であった。 |
|
足羽郡誌抜粋 殿様の鴨猟 |
菅谷区は、もと今の西藤島村三郎丸の南方にあり、堤防を挾みて三郎丸に対せしが、この地昔は鴨が多く棲息せるにより、福井の殿様毎年家臣を伴いて鷹を使い鴨猟の遊あり。 |
白山権現 |
白山神社の祭神を権現様という。旧菅谷の地に五十嵐與左衛門の祖先あり、六月十八日河中より権現様を拾い上ぐ。それより毎年当時の夜は村人與左衛門の前庭に集りて踊るを例とす。 |
石観音 |
|
|
白山神社の境内石のカラトの中に、四角の石に観音像を刻めるあり。村の或人戯れに不浄物をかく。その人遂に病死す。家人怒りて観音を火葬場の地に移したりしかど、村の人々又神社を境内に移し、新しき石のカラトを造りて安置せり。彫刻の幼稚なると磨滅せる点より考うるに、年代古きものならん。 |
光明寺用水の由来(荒原用水) |
光明寺用水は芝原用水の分流なり。福井鍵町に錠あり。昔境・菅谷・大瀬三村の戸長は殿様に進言し、この錠の水を三村に下されんことを請う。もし江を掘ると雖も、土地高低のため上水の通ぜざる時は、三戸長は自ら首を捧げんと誓約す。因りて福と大瀬の両端に火を点じて硯きみるに、果して大瀬の地は低く見ゆ、これにて大丈夫なりと三村民力を合わせて水路を掘る。かくて水を通ぜんとするに、光明寺近くの堤に弱所ありて、意外にも水は田地に溢れ、あわや三戸長の首も風前の灯となり果てんとす。この時に際し、光明寺の住職人命を助くるはこの時なりと、手早く寺の疊を取出して水口を堰き止め、水をば荒川の水路に流したり。かかる大恩ありしにより三区の民は今尚毎年貢物を持ちて寺にお礼詣りすという。 |
|