海外トレッキング日記  パプアニューギニア(ウィルヘルム山)  2011年

7月9日(土)

 福井は36度という猛暑日。しかも平年より10日以上早い梅雨明けである。午前中買い物などの用を足し、12時半に娘に福井駅の東口まで送ってもらう。小松空港行きのバスに初めて乗ったが乗客は5人ほど。成田行きの飛行機は小さな双発機。上空から福井県や滋賀県の山々、琵琶湖などがよく見えた。飛行機は広大な成田国際空港に申し訳なさそうに着陸。バスに乗り換えて第1ターミナルまで延々と走る。
 第2ターミナルまでバスで移動して出発カウンターに着いたのが5時。本を読んで時間をつぶす。2時間前に集合場所へ行ったが、僕が最後だった。ニューギニア航空は珍しく時間通りに出発した。

7月10日(日)
晴れ 

ポートモレスビー

マウントハーゲン

現地時間の4時半にポートモレスビーに到着。あんなにたくさんいた日本人は、パプアニューギニアでダイビングでもするのかと思ったら、ほとんどがオーストラリアに行くトランジット客だった。
 クオリティ・インに6時頃到着。機内食が出たので余りお腹は空いていなかったが、おいしくてちょっと食べすぎる。
 8時半、マイクロバスで市内観光に出かける。現地では有名人である成田さんの案内で、まずは大学で行われていたマーケットを見学する。きれいな大学の敷地に食料品を中心に市が開かれていた。後でわかったことだが、ここの市は清潔でとても庶民のためのものとは思えなかった。
 次に国立植物園を訪れる。植物園と言いながら、いろいろな鳥も見ることができた。世界中のランの70パーセント以上がパプアニューギニア原産というだけあって、色彩豊かなランはなかなか見ごたえがあった。
 次にポートモレスビー市内を一望できるパガヒルに向かう。パプアニューギニアの治安の悪さは聞いていたが、丘までの未舗装道路には現地の人がたむろしていて、ちょっと怖かった。丘の上からはエメラルドグリーンの海を望むことができた。
 1984年に造られた国会議事堂は変わった外観をしており、正面には「精霊の家」をイメージした巨大な壁画が彫られている。前の池に映る国会議事堂は素晴らしい写真の被写体となる。
 中華の昼食をゆっくり食べて、15時20分発の国内線でハイランド地方の中心地マウントハーゲンに向かう。小さな飛行場を囲む金網を通して、現地の人が降りてくる人々をじっと見ている。飛行場からホテルの新しいマイクロバスでホテルに向かう。大勢の人が歩いている。裸足の人も多い。

 5時半ごろ「ハイランダーホテル」に到着。この辺り一番のホテルも平屋建てのモーテルのような作りだった。入口の方は増築の最中で、あわただしい雰囲気だった。でも、すでに標高が1500メートル以上あるので涼しくてすごしやすい。

7月11日(月) 晴れ 

マウントハーゲン 

クンディアワ

ケグルスグル

 6時半起床だったが、ぐっすり寝ていてリーダーのノックで起きる。8時、トヨタのランドクルーザーで出発。縦の席だったので座り心地が悪い。今日泊まる宿の持ち主であるベティさんも乗り込んできて、途中で野菜や果物を仕入れる。
 クンディアワでコーヒータイム。ここからはいよいよ未舗装道路。部族の抗争があるとかで、警官も乗り込む。これまで経験したことのない悪路で、両手で座席にしがみついていても座席から振り落とされそうになる。ぬかるみで動かなくなり、皆に押してもらっているトラックもある。また、道が崩れていて通過するのにひやひやさせられる所もあった。途中、なぜか関所のように村人が金を取る所があったり、道路を直している地元の人が金を取ったりと、よくわけがわからなかった。
 3時にベティさんのロッジに着く。村の人がシンシンショー(伝統舞踊)で歓迎してくれたのは予想外だった。棒を回転させて火を起こしたが、これも歓迎の意を表していたのだろうか。
 一休みしてベティさんにランやニジマスの養殖を見せてもらった。長野県の松本で3カ月養殖の研修を受けたそうだ。ここは高度が2750メートルあり、夜になると冷える。夕食の後まきストーブの周りに集まりベティさんから話を聞く。ストーブの温かさが何ともいえずありがたかった。昨年はほとんど客がなかったのに、NHKで紹介された今年はたくさんの人が訪れてくれたと言って喜ん
でいた。NHKのクルーも6日間このロッジに滞在したそうだ。

7月12日(火)
 晴れ  

ベティさんのロッジ

ピュンデ湖ベースキャンプ



 
  ベティさんのロッジ(8:05)→第1ストップ(8:35)→第2ストップ
  (9:10)→第3ストップ(9:55)→展望台(10:25)→滝
  (11:45)→ピュンデ湖ベースキャンプ(12:20)

  ピュンデ湖ベースキャンプ(14:05)→アウンデ湖(14:45〜
  15:05)→ピュンデ湖ベースキャンプ(15:35)

 軽い準備体操をしていると、村人がなにか珍しいものを見るように我々を凝視している。最初は、隙間のないほど木が生えている密林の中を歩く。アフリカのキリマンジャロを登るときの風景ととてもよく似ている。第1ストップで休憩していると、我々の荷物を持ったポーターが追い越していく。まだ子供といってもいいくらいの男の子もいる。
 2時間ほど歩くと見晴らしの良い、展望台といわれる所に着いた。ベティさんのロッジが足元に小さく見えている。山また山がその先に続いている。背丈の2倍以上もあろうかという大きなシダが大地のような平原に生えている。休んでいる時Kさんが小鳥の音を出す笛を吹くと、ポーターたちの大喝さいを受けた。やがて、前方小さな滝が見えてきた。ピュンデ湖から流れ出ている滝だ。ま横を通ると、轟音と水の勢いはなかなかの迫力であった。そこからすぐピュンデ湖の湖畔のベースキャンプに着いた。目の前にエメラルドグリーンに輝く静かな湖、それを囲む岩山、そしてアウンデ湖から流れでる滝と抜群のロケーションの中にその小屋は立っていた。
 2時ごろ希望者でアウンデ湖に行った。明日の早朝通る道だが、明日は暗くて何も見えないだろう。結構ぬかるみがあり、アウンデ湖直下ではかなりの急登だった。ピュンデ湖ではすでに標高3550mあるので呼吸も苦しい。アウンデ湖畔でしばらく休憩。この湖は人を寄せ付けない神秘的な雰囲気を漂わせていた。

 

7月13日(水)
 晴れ 

ウィルヘルム山

  ピュンデ湖ベースキャンプ(3:00)→ピュンデ湖の端(3:45)
  →稜線(5:10)→二つの湖が臨めるところ(6:45)→遭難者碑
  (8:05)→ウィルヘルム山(9:40〜10:10)→遭難者碑
  (11:05)→二つの湖が臨めるところ(12:15)→稜線(13:55)
  →ピュンデ湖の端(14:35)→ピュンデ湖ベースキャンプ(15:15)

午前2時起床。ダイナモックスを飲んだためか、4回もトイレに起きた。午前3時、真っ暗な中を、ヘッドライトを付けて出発。星は出ているし、月光で明るい。
 昨日歩いたピュンデ湖畔の道を歩いて行く。湖を離れるとジグザグの急登になる。稜線に出ると一息つけるが、厳しい道のりはこれからだ。この道は今まで歩いた中で一番きついかも知れない。ぬかるみが多く、岩が出てくると滑りやすい。霜柱が立っていたり、氷が張っている所もある。当然のことながら、高度が上がるに連れてだんだん呼吸が苦しくなる。
 太陽は雲の間から顔を見せただけで、あっと言う間に出てしまった。だから、余り感動的なものではなかった。ただ赤い光線が足下の山に反射して湖を赤く照らしている光景はとても幻想的だった。
 行程の3分の2を過ぎたあたりから心臓が苦しくなってきた。ポーターの「リュックを持ってあげる」という申し出に一度は断ったが、結局持ってもらうことにした。空身で登ることのなんて楽なこと。
 2回ほどそれらしき山に惑わされて、ついに本物のピークが姿を現す。最後は岩登り。岩の陰にリュックやステッキなどを置いて登り始める。ポーターがぴたりとついてくれて、足場や手がかりを適切に指示してくれる。途中に、胎内くぐりのような岩のトンネルがあった。ここをくぐると幸運が訪れるらしい。
 9時40分、ついに感動のウィルヘルム山山頂に立つ。ほとんど風のない快晴の頂上だ。雲に覆われることが多いと聞いていたので、われわれは本当に運に恵まれていた。頂上からは延々と連なる山脈、その先に続くジャングルと、壮大な景色が広がっていた。
 帰路は長い長い下りが待っている。転びそうなところではポーターが横で支えてくれる。相当足が弱っていて、変なところでつまずいて尻餅をつきそうになる。登るときは周りが暗くてよく見えなかったが、片側が切れ落ちて相当危険な個所もある。

7月14日(木)
 晴れ 

ピュンデ湖ベースキャンプ

ケグルスグル


マウントハーゲン
  ピュンデ湖ベースキャンプ(7:00)→第2ストップ(8:25)→
  ベティさんのロッジ(9:05)
 5時半起床。今日もいい天気だ。荷物をバラバラにしたまま寝たので、整理に手間取る。
 7時出発。皆の歩みが妙に早い。このグループはお年を召した人が多いが、なかなか侮れない。油断すると離されてしまう。
 ベースキャンプ下の平原を見下ろすとなかなか広い。樹木の背が高くなり、ジャングルに入るとどこからともなく子供の元気な声が聞こえてくる。姿は見えないが楽しそうだ。僕らから見ると薄気味悪いジャングルが彼らの遊び場になっているのだ。
 約2時間でベティさんのロッジに到着。登るときの半分の時間だから、やはりかなり早いペースだったのだろう。ベティさんは大歓迎。全員の登頂を知って大変喜んでくれた。おいしいコーヒーをいただき一休み。標高が高いので涼しい風がはいってくる。
 しばらく休んで4輪駆動車で出発。しばらく雨が降っていないのか、赤土の未舗装道路はすごい土ぼこりが舞い上がる。2台目だったので前が見えないほどだ。途中で車がストップしてしまったので、事故か故障かと心配したが、水道管を埋める工事のためだった。みんな車から降りてのんびりしている。確かに焦ってもしょうがない。
 思ったより早く通れるようになり1時ごろクンディアワに着きチキンとフライドポテトの昼食。これはおいしかったが、量が多く残してしまう。4時ごろマウントハーゲンに戻ってくる。来た時とは違い、やけに大きな町に見えた。
 この町一番の一流ホテルにも、洗面所には何やら小さな虫が走っている。でももう少々のことでは驚かない。食堂にはいろいろな国の顔があり(日本人は我々だけ)、シーフードがいっぱいの料理はまぎれもなく一流だった。
7月15日(金)
 晴れ 

マウントハーゲン

ポートモレスビー

ロロアタ島

 「ハイランダーホテル」を8時に出発。チェックインの手続きをしてもらっている間、空港近くの「エアポート・カフェ」で一休み。ここもベティさんの経営だ。空港にはコーヒーを飲んで休める所がないので、特に外国人から重宝されているようだ。Kさんがカメラを失くしたといってさえない顔をしている。ベティさんがホテルに連絡をとってくれて無事見つかった時は天にも昇るような喜び方だった。思い出だけは買い戻すことはできないので無理もないことである。
 たった一部屋の待合室は現地の人たちであふれていた。飛行機は1時間遅れたが、誰もあわてている様子ではない。飛行機に乗り込むのが遅かったためか、すでに僕の席は他の人に座られていた。乗務員に伝えるとしばらく待っていろという。もう誰も乗ってこないとみると席を案内された。トータルで数が合っていればどこに座るかはそれほど問題ではないのかもしれない。
 隣が「エアポート・カフェ」で見かけた人だったので声をかけると、オーストラリアのケアンズからバードウォッチングに来ているとのことだった。日本にも北海道や長野県を訪れており、すでに70ヶ国以上を訪問しているらしい。ポートモレスビーからケアンズには1時間20分で着いてしまうらしい。
 シャトルバスとボートに乗ってロロアタ島に2時近くに到着。3時ごろ、さっそく近くの島にシュノーケリングに出かける。コタ・キナバルで体験した程のきれいな水ではなかったが、クマノミなど何種類かの熱帯魚を見ることができたので、一応満足だった。浅い岩場だったので、気がつくと足のあちこちに小さな傷ができていて、血がにじんでいる所もあった。風が強くなり寒くなってきたので早々に引き揚げることにした。帰りのボートは濡れた体にまともに風が当たり寒くてがたがた震えていた。
 シャワーに入ってすっきりした後、Kさんらと島の大部分を占める丘に登った。黄色い花が満開で、その下をワラビーが飛び跳ねていた。おりしも沈みゆく夕日が雲を赤く染めていた。
 7時夕食。そのあと若者と子供たちによるシンシンショーが行われた。小さな男の子や女の子がかわいかった。パプアニューギニアには200以上の部族があり、それぞれが独特の民族舞踊を持っているらしい。
7月16日(土)
 晴れ 

ロロアタ島

ポートモレスビー

成田

 早朝、島を巡る道を歩いた。左回りに歩いたが、コンクリートの道は途中で途切れ、その先は進めそうにもなかったので引き返した。想像していた以上に大きな島だ。
 9時半に島を離れ、ポートもレスビーに戻り、民芸品の店と高級スーパーに寄る。民芸品のほとんどがほこりをかぶって真っ白なのには驚いた。スーパーは富裕層を対象にしたもので、無いものはなかったが、値段も高かった。何かお土産をと探したが、パプアニューギニア産のものはコーヒーと塩ぐらいのものだった。ほとんどはオーストラリアや東南アジア産のものだった。
 空港のただひとつの免税店でコーヒー、紅茶、ビールなどをお土産として購入した。飛行機は1時間遅れて離陸し、しかも飛行時間は7時間半と案内があったので2時間の遅れとなる。予約していた夜行バスには間に合いそうもなく青くなる。
 成田に着いてからリーダーのAさんが掛け合ってくれて、近くのホテルに泊めてもらえることになった。女性軍2人とホテルの部屋で遅い夕食を食べた。これがグループの仲間と食べる最後の食事となると思うとちょっとしんみりとする。

7月17日(日)
 晴れ 
 7時のバスで成田の国際空港に戻り、成田エキスプレスで東京駅発、9:33の新幹線に乗り、米原経由で福井には1時ごろ着く。家内と娘が駅まで迎えに来てくれていた。