浜島町
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浜島町 - 縄文時代の浜島町遺跡
浜島町は、明治4年(1871)に「戸籍御改長」(こせきおあらためちょう)ができるまでは「島村」と呼ばれていました。島村の名が示すように、現在の沖田とか千町が沖と呼ばれる水田地帯は昔は低湿地で、島村は丘陵(きゅうりょう)にありました。
昭和37年(1962)浜島地区の耕地整理の工事中に三里浜砂丘に接する台地のあたりから、たくさんの土器類が発見されました。
試掘調査をしてみると、竪穴(たてあな)住居跡が確認され、縄文時代の前・中・後期の土器の破片や、古墳時代前期の土師器類(はじきるい)が採集されました。これらの資料は福井大学に約300点所蔵され、棗公民館の資料室にも一部保管されています。
私たちの先祖は、5000年も昔から、この地方の竪穴住居に住み、狩猟採集の生活をしていました。想像するだけでも、楽しくすばらしいことですね。
この遺跡は「浜島遺跡」と名づけられています。これらの遺跡のもう少し前には、「深坂小縄遺跡」があり、縄文時代前期の土器を中心に、中期の土器片や有孔円板(ゆうこうえんばん)・石鏃(せきぞく)(やじり)・石匙(いしさじ)・磨製石斧等(ませいせきふとう)の遺物が出土しています。これらも、昭和56年の土地改良工事中に発見されてました。
また、小幡町から木下町にまたがる「木下小幡遺跡」からは縄文時代の土器片・打製(だせい)石斧など出土しています。
石新保町や浜別所町の周辺でも、明治23年には磨製石斧や、石包丁が発見されており古くから稲作がおこなわれていたことがうかがえます。
今後、発掘調査・研究が進めば、私たちの先祖が、どんなくらしをしていたかが明らかになるでしょう。