石橋町
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石橋町 - 「いのちの水」清水
水は私達の生活のうえでなくてはならないものです。昔はたいていの村に清水(しょうず)という湧水(わきみず)がありましたが、現在棗地区で清水を使っているのは、石橋・石新保・浜島など一部の集落のみとなってしまいました。
石橋という地名の由来は、村内を流れる出川に石の橋がかかっていたからともいわれ、水や水辺を大切にしていた当時の人々の暮らしが想像されます。
石橋では清水を活かした「共同洗い場」が、村の中央と北東の二ヶ所にあり、昔から飲み水のほか、洗濯や野菜洗いに使われています。享保3年(1803)の夏、北陸の日本海沿岸測量のため、村の浄光寺に宿泊した伊能忠敬は、、この清水でのどの渇きをいやしたのかもしれません。清水は、家事にはげむ談笑の場でもあり、清水の周辺は子供たちの遊び場のひとつでもありました。いつつくられたものかわかりませんが、水の恵みへの感謝の念と、時として荒々しさをみせる水への恐れの気持ちのあらわれでしょう。清水から流れる水は、出川の水となって村の田をうるおしています。清水は石橋にとって「いのちの水」です。
昭和に入ってから、村内ではきれいな地下水を原料としてサイダーもつくられていました。第二次世界大戦中の砂糖不足で生産は中止され、現在はつくっていません。
石橋町では、昭和25年に簡易水道が引かれ、昭和55年からは福井市上水道の供給が始まったことで清水はだんだん使われなくなってきました。しかし、水を大切にした先人たちの心は受け継いでいきたいものです。