小幡町
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小幡町 - 小幡の三つの神社のいわれ
産土(うふすながみ)神「福富大明神」
小幡町の氏神様の中段に「福富王廼社(ふくとみのやしろ)」という祠があります。土地の人は「ふくとみさん」と親しみをこめて呼んでいます。
現在から約1500年前に実在したといわれる継体天皇(越前三国から迎えられたとされる天皇)は、この福富王の子孫にあたるといわれています。小幡(かつて居波田、木幡といわれていた)を開いた王は、大変情深く、いつも村民をいつくしみ、新たらしい田畑を開拓して農業発展に御心を注がれました。
また、この地の田んぼは沼地で水はけが良くないので、治水事業にも力を入れ、潟川(かたかわ)(片川)を掘って洪水を防ぎ排水の便をはかって立派な田んぼにして下さいました。
村人は、ご恩深い王を産土神と仰ぎ、王の尊像(そんぞう)をまつって「福富大明神」とあがめ、現在に至っています。
春日神社(氏神様)
小幡の西にこんもりした森があり、その頂上には、「春日神社」と「神明神社」の二つの神様が合祀されています。
春日神社は、平安時代の中ごろ、奈良の春日大社から、当時の四郷二七か村の郷社、五穀豊穣の祈願所として、勧請(神様の分霊をお迎えしてまつること)された神様といわれています。当時は七堂伽藍などもあってとても立派で賑やかでしたが、足利氏や織田氏の度重なる兵火によって焼失してしまいました。
二七か村の郷社として盛んなときにはお祭りには石橋の春日神社との間に御輿が渡り合い大変賑やかだったそうです。
神明神社
明治四十年の合祀された神明神社のご祭神は「大日霎貴命」(おおひるめのむちのみこと)といいます。言い伝えによると、小和田本流院(勝林寺)の御院守(いんじゅ)が除夜の鐘を鳴らし終えて床につくと白衣の神様が現れ、「予は太郎丸(春江町)に鎮(しず)まる神明なり。今よりこの地へ行き当時を守護せん」と述べられて消えました。驚いて目覚めると枕元に金色の木像の神様がいられたそうです。
翌朝今の藤田さんの先祖が、家の一段高い畑にお堂を建ててその神様を祀りました。
その家は今でも「太郎丸堂、タルマンド」と呼ばれ、この神様のお守りやお世話をしたとして「蔵堂(ぞうどう)・円堂」などという名の家が現存しています。