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2009年度の山岳部のテーマは、「南へ北へ」。
日本列島の南へも北へも、日本アルプスの南へも北へも行って、
山に登ってしまおうという
創部40周年にふさわしい壮大なテーマなのだ。
そして、その山行プロジェクトには、深い人間ドラマが繰り広げられたのだった。
プロジェクトは、1年前から山岳部幹部の中でも極秘裏に進められた。
2008年のある日、会計M島は、部長N阪に翌年の夏合宿の候補地選定を迫った。
「西日本の百名山は、ほぼ制覇した。
来年の創部40周年は、九州の最高峰、宮之浦岳がふさわしい。」
しかし、部長N阪には躊躇する理由があった。
屋久島は1月間に35日雨が降るという名うての豪雨地帯だ。
しかも、夏には台風の通り道になる。
前回の屋久島合宿では、海が荒れて帰りの船が欠航して、
島に1日足止めされている。
部員を危険にさらすわけにはいかない。
しかも、部の財政はどん底だ。金がない。
部長N阪はたずねた。
「やれるのか。」
会計M島は、語気を強めて静かに言った。
「やれるとも。」
夏合宿は、事業計画の発表を4月の総会、山行を7月と決定した。
しかし、すぐさま問題に直面した。
やはり金がないのだ。
M島は会計だけに、来年の部の財政シュミレーションができていた。
会計M島は呟いた。
「合宿の参加負担金の割合を上げるしかない。」
交通手段、宿泊地、打上げ会場など幾通りもの組み合わせで費用を積算した。
それは、時として深夜にまで及んだ。
ある警備員は、こう証言した。
「薄暗い3階にぽつんと明かりが点いていて、
電卓のキーを打つ音だけがカタカタとフロアーに響いていた。
M島さんの姿には鬼気迫るものがあった。」と。
21年3月、会計M島は一つの結論に達していた。
「屋久島合宿は、やれるかもしれない。」
綿密な計算の割には、アバウトな結論だった。
4月の総会で屋久島合宿は承認された。
部長N阪と会計M島は、ホッと安堵の表情を浮かべた。
それからも屋久島の情報収集は続き、
宿、温泉、島内の交通手段、食事、道路状況と、ありとあらゆるデータや口コミを集めた。
だが、2人には、作った山行計画に不安があった。
部員は、この計画を「汚い、辛い」と思うだろうか。
参加者が少ないかもしれない。
予想がつかない。途方にくれた。
一月が過ぎて、会計M島にある考えが浮かんだ。
それは、部員T下に女子の勧誘をお願いすることだった。
女子が参加すれば、男も来るはず。
会計M島は、そう読んだ。
部員T下効果は、予想を超えていた。
会計M島は、いつものとおり風呂上りにリビングでアイスクリームを食べていた。
部屋に入ってきて、妻が言った。
「何かうれしいことでもあったの?」
「いや。」
そう言った会計M島の表情は満足そうだった。
「この参加者なら、やれる。」
7月、合宿1週間前、会計M島は、旅行社と航空券などの最終確認をしていた。
そこに、部長N阪が現れた。
表情が堅い。会計M島は、そう感じた。
何かあったのか。
「出発日に仕事が入って、一緒には行けない。
団長になって、部員を先導してくれ。」
そう言った部長N阪の顔に落胆の思いが滲んでいた。
会計M島は、一呼吸おいて、こう言った。
「わかった。俺がやる。」
迷いはなかった。
(事実に基づき、何十倍も脚色したフィクションです。)
2009/7/24
鹿児島→屋久島は、
車輪が出ないとかで事故が多いらしいボンバルディア機に乗りました。
まさか、この会社に会社更生法が適用されるとは・・・。
でも、JALが提供しているラジオ放送の「ジェットストリーム」は、
まだ続いていてよかったぁ。
屋久島空港です。曇りなので明日の天気が心配です。
みなさん、カメラ構えまくりですって。
1階建ての空港ビルって初めて見たぁ〜!
コテージせせらぎの里
バス・トイレ・キッチン・ロフト付できれいな部屋でした。
屋久島はトビウオが名物です。
だから、私たちはトビウオの唐揚げ定食
立派な胸ビレなんだけど、食べるときは邪魔だから、
始めにブチっと取っちゃう。
でも、取ってしまうと、ただの魚になっちゃう。
しかも、なんだか痛々しい姿・・・。
その頃、N阪は・・・。
終業のチャイムで、そのまま駅に向かい、大阪行きのサンダーバードの車内にいた。
それから、梅田から高速バスに乗り換え、鹿児島に向かうのだ。
鹿児島到着は明日の朝。
仕事を離れて異次元空間へ。
まずは儀式、儀式。プシュっと、ゴクゴク!