●膨張宇宙の発見
1917年ウィルソン山に大望遠鏡が建設され、エドウィン・ハッブルの銀河観測が本格的になる。彼は遠くの銀河の光から水素や炭素の波長を測定しその赤方偏移量を記録し、次にセファイド型変光星を使ってその銀河までの距離を測定していきました。
1929年、ハッブルは赤方偏移から割り出した後退速度Vと距離Rの関係をまとめ、「宇宙が膨張している」ことを観測データーから示しました。(V=HoXR:ハッブルの法則、Ho:ハッブル定数)
●ビッグバン宇宙論の誕生
ロシア生まれのガモフは宇宙がなぜ膨張をはじめたかを考え、宇宙はビックバン(大爆発)で始まり膨張し、超高温高密度の中性子の物質世界から水素・ヘリュウムなどの元素ができたと唱えた。膨張していくと宇宙の温度はどんどん下がっていくが、昔火の玉だったときの残照(背景放射)があると予言(およそ7度K)しました。
一方、英国のボンディ、ゴールドそれにホイルらは、宇宙の膨張で薄まる物質が常に補われるという・・・物質創世論で「定常宇宙論」を提唱し、もう一つの宇宙論として支持勢力を持っていました。
●火の玉宇宙の発見
ガモフのビッグバン宇宙論の提唱から20年、ベル研究所のペンジャスとウィルソンが3度K(-270度C)の背景放射を発見しました。彼らは衛星通信の障害になる雑音の観測をしていて、どうしても排除できない全天空からの雑音を見つけたのでした。
この発見で、ビッグバン宇宙論が多くの科学者の支持を得るようになりました。
ブラックホール
●方程式が導くブラックホール
1916年、ドイツの天文学者カール・シュバルツシルトはドイツ軍の技術将校としてロシアで従軍中、一般相対性理論「場の方程式」を研究していると、実に奇妙な空間が生じることに気が付きました。
非常に小さく重い星があったとすると、
その星の中心のある半径の球面内では曲率が無限大になり、光さへも脱出できなくなるほど曲がった時空領域が出現するのでした。(シュバルツシルト半径)
彼はこの数式解を求めた後、この特別な半径の内側にはいるほど小さな天体は存在しないだろうと付け加え、彼自身の当惑の様が伺いしれます。そして、これらを論文にまとめアインシュタイン宛に書き送ったのでした。不治のの病にかっていたシュバルツシルトは、戦場から帰国後2ヶ月で帰らぬ人となってしまいました。
アインシュタインは、シュバルツシルトの論文をロシア従軍中の彼にかわってプロシア・アカデミーで発表しましたが学会からほとんど注目されず、シュバルツシルトと共に長い眠りにつきます。(参考1/3巻p33)
●重力崩壊する星
1930年インドのマドラス大の学生スーブラマニアン・チャンドラセカールは、19歳でケンブリッジ大学院の入学を許された。半年後イギリスに渡る船旅で、彼は高密度の星シリウスB(白色わい星)の研究で、相対論と量子力学を使った画期的な結論を得る。論文にまとめを担当教授に渡すが理解されず、ようやく1年後米国天文雑誌に発表されました。
「白色わい星が太陽の1.4倍以上の質量を持っていたなら、その重力に耐えきれず星はさらに収縮する。」(チャンドラセカール限界)
しかし、同じ大学教授エディトンの反論にあい、やむなく他の研究分野に移ることになる。当時高名な天文学者エディトンでさえも、「ブラックホール」という概念は受け入れがたいものであった。後年の1983年、チャンドラセカールはノーベル賞を受ける。
1931年頃から、アメリカの物理学者フリッツ・ツビスキー(ドイツ出身)と天文学者ウォルター・バーディ(スイス出身)は、共同で超新星の研究をはじめました。やがて、「
超新星は普通の星が爆発する現象だ。」と考えはじめていました。
超新星と格闘している年、原子物理学で「中性子」が登場します。さっそくこの概念を取り入れ、1934年彼らは
「星がさらにつぶれると中性子星になる」と大胆な予測を学会で発表しました。
超新星の理論は支持されましたが、中性子星予測は理論的な緻密さが無く、懐疑的に見られました。(参考5/p157)
1937年、アメリカの物理学者オッペンハイマーはヴァルコフやシュナイダーと共に、相対性理論を使って中性子星の重力崩壊問題を研究しました。論文「連続的な重力収縮について」では、現在わかっているのブラックホールの性質のほとんどを予測していました。(参照1/3巻p34)
この頃から、現実にシュバルツシルト半径(ブラックホールの存在)を信じる学者が増えていきます。
●謎の天体クエーサー/パルサー
1963年、マーチン・シュミト(米)はクエーサーを発見する。クエーサーは宇宙の果てと思われるほど遠くにあって、非常に明るく輝く天体だ。放出されるエネルギーを計算すると、太陽系ぐらいの狭い領域から銀河のような莫大なエネルギーを出していることが判った。
そのような巨大なエネルギーは、ブラックホールにものが落ち込むときに生み出されという説が登場し、ブラックホールへの関心が高まった。
1967年、英国の天文学者アントニー・ヒューイッシュと大学院生ジョスリン・ベルは電波観測でパルサーを発見する。観測で中性子星の存在を突き止めた。後にヒューイッシュは天文学ではじめてのノーベル賞を受けた。
●ブラックホール誕生のシナリオ
「ブラックホール」という言葉を最初に使ったのはジョン・ホイラーで、1967年のこと。それ以前は、「凍結星」「崩壊星」という言葉が使われていました。
1970年代になるとX線観測衛星(ウルフ)が打ち上げられ、はじめて大気圏外での連続観測が実現し、つぎつぎにX線天体が発見されました。X線天文学の発展で、超新星〜中性子星〜ブラックホールの過程が徐々に解明されていった。
- 星は内部でエネルギーを燃やして輝く。
- 水素エネルギーが尽きてくると膨張し、赤色巨星になる。
- 太陽質量の8倍以上の星は、やがて内部で崩壊がはじまり、物質は猛烈な速度で中心に向かって落ち込んでいく。(重力崩壊)
- 星の中心部はすさまじい高温高圧になり、その反動で一気に大爆発する。(超新星爆発)
- おびただしい量のガスや物質が宇宙空間に拡散していき、やがて爆発中心に小さな星が残こる。これが中性子星である。
- 太陽質量の30倍以上の星の場合、中性子星はさらに重力で収縮を続け、ブラックホールになる。
ビッグバン宇宙論の発展史
★☆印は観測・実験による発見
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