2001/11/19製作
2006/11/ 5更新 マゼラン星雲
大小マゼラン星雲は南半球の代表的な星雲で、大マゼランは肉眼でもよく見えます。16世紀スペインから世界一周の旅に出たマゼランらが、南アメリカ南端に達したとき、見つけた星雲(現在は銀河に分類)だと言われています。
インド航路を発見したポルトガルは、その後東洋貿易を独占し富める強国になった。このころからスペインも海外に権益を広げようと積極的に探検隊を送りだすようになった。 マゼラン銀河の発見フェルディナンド・マゼランは1480年、ポルトガルの裕福な家庭に生まれ、女王の従者になり地図作成や航海術を学ぶ。1496年王直属の海運省で働いたのち、隣国スペインの援助で世界1周の探検に挑むことになる。1519年マゼランは、280人の部下を5艘の船に乗せてスペインから世界周航の旅に出発した。大西洋を横切りながら南アメリカ大陸の海岸線をひたすら南に進み、翌1520年遂にマゼラン海峡を発見して太平洋にでた。このときヨーロッパ人としてはじめて大小のマゼラン銀河を見つけ、航海日誌に書き残した。(この記録からこの2つの銀河に名前がついたとされる。) マゼランは1521年フィリピンで原住民に殺されてしまったが、ビクトリア号は新船長カノ(スペイン人)によって1522年スペインに戻り、世界1周を成し遂げた。 ちなみにポルトガル人がはじめて日本に来たのは、1543年の種子島漂着の時で、マゼランの世界1周からわずか20年後であった。 この難問解決の糸口は、写真の技術が発達して天文観測に利用できる20世紀、脈動変光星の研究から生まれました。 アメリカの女性天文学者リービィットは大学卒業直後病気のため聴覚を失うとうい不幸を克服し、ハーバード天文台で変光星の研究に従事していました。毎日大量の写真乾板を調べ変光星を見分ける専門家になっていました。1912年、南半球の天文台から送られてきた写真乾板を調べるなかで、小マゼラン雲の中に25個のセファイド(脈動変光星)を見つけ、「周期が長いほど、明るい」という規則性を発見します。 遠くの銀河で、もしセファイドを見つけることができれば、その周期から明るさが推定できます。「明るさは距離の2乗に反比例」しますから、その明るさの比較から銀河までの距離が計算出来るのです。 <詳しくは銀河地図を参照> |