足羽山の由来


足羽山は悠久の昔より、郷土の人々と密接な繋がりを持ってきた。この山の各所に点在する大小多数の古墳は、五世紀頃、山麓に生活した人々が、父祖の遺骸を葬ったものであるし、東北端の足羽神社は、千年以上も前の史籍に登場する古社である。中世末、朝倉氏や一向一揆を討滅した織田信長や、柴田勝家の北庄城を攻囲した豊臣秀吉は、この山に本陣を置き、軍平を指揮したと伝えられる。近世以降、名石「笏谷石」の採掘がこの山で本格化し、幕府への重要な献上物となり、また、点在する古社寺を中心に、山中随所に名物を商う茶屋が出現し、城下士民の遊息の場となった。
足羽山が、今日のごとく公園化されたのは、明治四十二年九月のことで、皇太子殿下(後の大正天皇)の本市行啓を記念し、多数の市民児童の労役奉仕を得て、整備されたものである。
足羽山内 福井市掲示板より

足羽山について





































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