SPECIAL TITLE

(Behind the Fairy Tale)
 タツヤ・ヤマグチが、バルトの小さな鍛冶場の老工に弟子入りしたのは、今から五年ほど前のこと。
 そして、その老工から鍛冶場を正式に譲り受けたのが、つい一週間前のことである。
1st contact --- 2.
 不意に、工場の裏手から物音が聞こえた。ヤマグチは顔を上げた。

 今朝方持ち込まれたばかりのランプリィ鋼が気になって、鍛冶場に様子を見に来たところだった。
 リュセラナ大陸では滅多に手に入らないランプリィ鉱石から少量取り出せる金属と鉄との合金。
 常時ほのかに蛍光を発するという特殊な性質を持ち、耐火性にも耐水性にも優れているが、新月の夜にしか加工できないという、珍しく高価な鋼鉄の一種である。
 もうすぐ、その“新月の夜”がやって来る。
 鍛冶場を譲り受けてから、初めて任された特注の仕事だった。失敗はできない。

 ヤマグチは、溶鉱炉の隅に立てかけてあった木槌を、逆手に握り締める。
 盗人だろうか。ランプリィ鋼がこの鍛冶場に持ち込まれたことを知る人間は多くないが、その界隈で噂になっていてもおかしくはない。
 静かに、工場の勝手口に歩み寄ると、ゆっくりと扉を開ける。
 廃材置き場のすぐ横脇から、何かしらの動きから漏れる音が続いている。

 ――防具を知るものは、武具を知るべし。

 ヤマグチは、師であった老工の言葉を噛み締めつつ、『鍛冶屋のおにーさんを嘗めるなよ☆』の勢いで木槌を振りかぶった。すると、

「ちょ……ちょっと、待った! 待って!! おにーさん、その物騒な物、しまってくんない!?」

 慌てたような声が制止に入り、ヤマグチの木槌をあえなく空振りさせた。
 弱い月明かりの袂で目を凝らすと、廃材置き場に下げられた申し訳程度の軒下に這いつくばる、一人の男。
 見るからに怪しいが、どうやら足を怪我しているようで、思うように動けず傍目にも弱りきっている。

「お……大通りの、東の武具屋……“金竜の翼”、って鍛冶場ここでしょ?」

 救助を要請されるのかと思ったら、何と一言目は鍛冶場の話であった。
 呆気に取られたヤマグチであったが、鍛冶屋の槌<スミス・ハンマー>を下ろしながら答える。

「あ? あーいや……確かにその武具屋には卸してるんだけど。名前は“金竜の翼”じゃないよ」
「え……えぇ? だって、鍛冶場の番地、ここだって、手紙に書いてあって……」
「手紙? 武具屋の看板、見てないのか? 前の工場主が引退したんで、名前変えたんだよ。“黄竜の鱗”に」

 大通りに面した、この鍛冶場直営の武具屋“黄竜の鱗”。
 もっとも、名義を変更したのはほんの一週間ほど前のことなので、近場の住人には未だ“竜翼”と略された愛称で呼ばれている。
 三十数年の間、この王都で、老舗の武具屋として最高の地位を守り続けた経歴は、そう簡単に塗り替えられるものではない。
 だからこそ、ヤマグチは武具屋の名義を変更したのだが。

 ぺたりと這いつくばっていた男は、上半身だけ揺すり起こして、頭に疑問符を浮かべる。

「は……? あれ。前の……工場主、は?」
「だから。引退したって。西の農村に隠居したよ。職人仲間が同じように隠居して暮らしてるとかで……」
「隠居したぁ!?」

 素っ頓狂な声を上げて固まってしまった男を前にしては、やはり、こちらも固まって様子を見るしかない。
 ヤマグチは、次なる一手を完全に打ちあぐねていた。

 この鍛冶場に入って以来数年間、唯一人の弟子に対して厳しくも優しく指導してくれた、前の工場主。
 ようやく、ヤマグチが一から十までを一人で仕上げた量産型プレートメイルを納入したその日、老工から鍛冶場を譲りたい旨を明かされた。
 理由は実に単純で、『寄る年の波に勝てなかった』ためであった。
 引退後は、かつての職人仲間が住まう農村で、日がな一日、畑を耕しながら暮らすそうだ。
 齢八十を超える老工は、鍛冶屋の槌を農具に持ち替え、「耕すべー!」と言い残し、新天地へ旅立っていった。
 彼は、最後まで漢だった……ヤマグチは、彼の粋な後ろ姿を瞼の向こうに思い起こす。

 そんな淡い懐古心を知る由も無く、男はボロボロの風体で愕然とする。

「うっそでしょ!? だって手紙……オレ、もらったのよ!? やっと探し出して、ニーテナから出てきたってのに!」

 手の平で縦に潰されて巻物のようになってしまった手紙を突き出される。
 ヤマグチが開いてみると、確かに差出人は前工場主であり、『鍛冶場で雇うから、バルトに出て来るように』といった風の内容が力強い文字で書かれていた。
 どうやら、前工場主の老工に、弟子志願に来た男だったようだ。
 消印は、一ヶ月ほど前の日付である。“ニーテナ”とは、東大陸にある街の名。船便での手紙ならば一、二週間ほど掛かるはずだ。

「行き違いになったのか……?」

 もしや、ヤマグチがプレートメイルを納入するのを見届けてから、老工は鍛冶場を譲るかどうかの判断を下したのだろうか。
 この手紙を書いた時点では、隠居を決めていなかったのかもしれない。
 すると、ニーテナからやって来たというこの弟子志願の男、何とも、タイミングの悪い。

「やっと……伝説の鍛冶師に、師事できると思ったのに」

 がっくりと、這々の体で器用に項垂れる男に、ヤマグチも、何と声を掛けたら良いのか分からない。
 そもそも“伝説の鍛冶師”とは、大きく見積もりすぎである。確かに前工場主は腕の良い鍛冶職人ではあったが、ヤマグチにとっては至って普通の師であった。果たして伝説に価するかどうか。

 しかし、それよりも今更気になるのは、男の酷い有り様である。
 衣服の一部が裂かれたように繊維が絡まり、おまけに足やら背中に爪のある動物に引っかかれたような傷がある。
 傷の具合から見て深くは無さそうだが、かなり痛々しい。

「おい……? つーか大丈夫か? お前、背中とかひでぇぞ」
「あー、ここまで来る途中……でっかい魔物に、襲われて」
「はあ!?」
「全力で逃げてきたんだけど……いやーさすがに、死ぬかと思ったね……」
「お前、手紙の話よりも先に、そっちの話をしろよ!」

 男の状態を見るからに魔物から全力で逃げて来た話はどうやら本当のようだが、それなら、この鍛冶場まで辿り着く前に助けを呼べたのではないか、というヤマグチの疑問はすぐに打ち消された。
 考えてみれば職人通り自体が街外れにあるのだ。街の外で魔物に襲われて、真っ先に逃げ入る建物と言えば近隣の作業場になるだろう。
 ただし、職人通りの朝は早く、夜は早いため、夕刻の太陽が落ちるまでには、ほとんどの職人たちは帰ってしまう。
 ひょっとすると、この男、倒れたまま、朝まで気付かれなかったかもしれない。

 今晩、鍛冶場にヤマグチがいたのは、全くの偶然であり、ある意味で幸運だったのだ。

「あのさ……それで悪いんだけど、お水一杯もらえない? こっちの事情は、すごーく気になってるとは思うけど、後で、詳しく話しますんで……」
「すごーくは気にならねぇけど、水は持ってくるよ。ちょっと……工場の中で待っとけ。ここで死ぬなよ」
「そこまでじゃない……」

 男は弱々しく反論しながらも、匍匐前進で裏口から工場の中に入り込んだ。
 男の話した通りなら、街のすぐ近くに凶暴な魔物が徘徊していることになる。
 多少気にはなったが、ヤマグチは、とりあえずは、早急に飲み水の確保と、医者を呼びに走ることとなった。
 夜半過ぎ、ヤマグチは、治療院“緑の風”の裏手空き地を横切っていた。
 わざわざ大通り側の表玄関に回るより、空き地を突っ切る裏玄関の方が、鍛冶場のある職人通りから距離が近いからだ。
 夜も更けた時間帯であり、さすがに声を張り上げるわけにはいかない。勝手口の扉を遠慮がちに叩く。
 室内灯は、煌々と照っていた。当直の誰かが気付いてくれれば良いのだが。

 数分後、表玄関に回るべきだったかとヤマグチが思い始めた時、扉の向こうに人の気配が篭る。
 勝手口の鍵が開けられ、現れたのは当直の職員のようである。

「……えーと。院長は?」
「あ、急用が入ったそうで……今日はもう帰りましたけど」
「急用〜!? つーか、ほぼ自宅ここじゃねーかよ!」
「はぁ。何でも、友達の家で焼肉パーティーするとかで」

 そういえば、とヤマグチは唐突に思い出す。
 遡ること二日程前、「アグインパラが討伐されて、すね肉が市場に出たんだよ!」と嬉々として力説していた院長を。

 バルトの『緑の風』にほぼ常駐している院長――ヒロシ・ナガノは、ヤマグチとは旧知の仲であった。
 ちょうど、ヤマグチが鍛冶見習いとして入った時期と、ナガノが治療院で働き始めた時期が同じだったため、何かと懇意にしている。
 常駐院長とは言え、一応、自宅もあるのだが、施設内に院長専用の個室と宿泊設備が用意されているせいか、滅多に家に帰らない。
 基本的には仕事熱心で腕の良い、優しい院長先生である。
 しかし、このナガノ院長、こと食に関しては並々ならぬこだわりと情熱を持っており、どこぞで稀少部位の食材が手に入ったという一報を聞きつけると、脱兎のごとく帰宅してしまうのだ。
 運悪く、今晩がその情熱の吐かれた日に当たったらしい。
 当直の職員もかなりバツの悪そうな表情で、ヤマグチを窺っている。
 知らない顔だった。幾度か治療院の世話になっているヤマグチだったが、心当たりが微塵も無い。

「……見ない顔だけど、お前、治癒師?」
「いえ……治癒<ヒール>は使えないので……一昨日から、こちらで働かせてもらってますけど」

 稀少部位食したさに勤めて二日の新人を当直に回したのか、あのグルメ院長は。
 心の中で盛大に愚痴るヤマグチに、当直職員の男は申し訳なさそうに少しだけ目を伏せた。
 “治癒師”ではないことを咎められた、とでも思ったのだろうか。
 ヤマグチ自身は、そう思ったことはないが、限られた者にしか扱えない治癒能力――“ギフト”を与えられた“治癒師”と、そうではない“医師”とでは、“治癒師”の方が重んじられる傾向がある。
 特に、王都バルトでは顕著だった。やはり、魔物やレイスなどと戦う機会の多いアサシンギルドを要する街だからか、あるいは、“ギフト使い”と言われる能力者の母数が多いためかもしれないが、実際に、ほとんど全ての地方において、“緑の風”では“治癒師”の方が高い地位に就いていることが多い。

「じゃあ“医師”だな。そりゃ助かった」

 医師の男の不安げな顔に、ヤマグチは心の底からの安堵で答えた。
 “治癒師”とて、万能ではないことを知っている。
 割合と田舎育ちのヤマグチにとっては、“医師”の方がより身近な存在であった。

「俺、職人通りで鍛冶師やってるヤマグチって言う者なんだけど。ちょっと今、工場の中に怪我人がいて……」

 ヤマグチは、状況を掻い摘んで説明する。
 怪我をしている男は這いつくばってしか動けない状態で、一人では背負って治療院まで移動させるのも難しい。
 助けを頼みたいが、この時間帯では職人通り近辺に人気が無く、怪我人を運べないという旨を伝える。

 医師の男は、ヤマグチの要請に二つ返事で頷くと、一旦、治療院の中へ戻った。
 もう一人の当直に留守を頼んだらしく、勝手口へ再度現れた時には、すでに外出用の外套を羽織った姿で、両手に応急処置用の器材と薬品の入った救急箱を抱えていた。
 場慣れしていた。一昨日から働き始めたと言っていたが、本当の意味での新人ではなさそうだ。

 ヤマグチが先導する形で、小走りで後ろをついて来る。
 医師の男は、タイチ・コクブンと名乗った。
1. PREV ← → NEXT 3.