奈良時代泰澄大師が開山したといわれる越前五山(文殊山、白山、日野山、越知山、吉野ヶ岳)のひとつである。福井市南部のらくだのコブのような山容をしている。3峰からなり、小文殊は阿弥陀如来、大文殊は文殊菩薩、奥の院は聖観世音菩薩がそれそれ祀られている。標高は365メートル(大文殊)ある。春のカタクリや秋の紅葉が見物であるが年間を通して参拝者や登山者が絶えない。最近になって山頂から縄文土器片や戦国時代の山城跡なども発見されている。
市内の道守荘等と並んで奈良時代の東大寺荘園のひとつで、正倉院の開田絵図に描かれていることから広く知られている。跡地は帆谷町から二上町にまたがっている。付近に大田山(帆谷町)墳丘墓があることなども考えれば、当時水田稲作を中心とした経済先進地を形成していたことが窺える。
北山町にあり、上古より藩政時代を通して地区最大の豪族である諏訪神九郎の氏神が祀られている。神社境内に天正年間の石塔が残されている。
京都から戦国大名朝倉氏の本拠・一乗谷への主要道として朝倉街道は広く知られている。当地区の榎坂から生部、東大味を経て一乗谷へと通じているが、朝倉氏全盛時には街道沿いの生部、東大味は茶屋が軒を並べ賑わったといわれている。東大味から一乗谷に抜ける坂「初坂」は現在もその一部が残されている。
平成15年に福井市都市景観重要建築物に指定されている祠である。地元の言い伝えによれば、朝倉義景支配の戦国時代の一時期、明智光秀は東大味に居住したといわれ、信長の越前一向一揆攻めには東大味を戦禍から守るよう取り計らったという。そのため地元民は光秀を「あけっつぁま〈明智様〉」と慕い、祠に祀り崇めてきたという。その祠が明智神社である。
東大味町にあり、天台真盛派。真盛上人によって再建された寺である。同寺を保護した戦国武将の柴田勝家の木像が所蔵されている。また、福井市指定文化財の勝家制札、柴田勝定の安堵状、蜂須賀正吉寄進状の所在でも知られている。
足羽川から取水、地区水田の大半をカバーする用水で、良質の文殊米を育む大きな原動力となっている。足羽川から取水する用水路では最大のものであり、江戸時代に大改修工事で、現在の用水路の基礎ができあがった。
なお、当時の藩用水奉行が戸田弥次兵衛である。氏は東大味町のため池造成にも大きな足跡を残しており、その遺徳を称えて池の畔に祠が建てられている。
昔ながらの自然と歴史に育まれた当地には伝説も数多くあります。 特集ページはこちら