麻生津公民館

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猿田彦神社~気比神社コース

                 
ルート (約6.4Kコース)
福武線浅水駅~冬野町・猿田彦神社への登リ口まで(距離:1.8K)⇒登り口~猿田彦神社まで(距離:往復約1.0K)⇒猿田彦神社への登リ口~三尾野町・気比神社まで(距離:約3.6K)
猿田彦神社
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猿田彦神社への登り口
神社は冬野町城山(標高202M)の中腹にある。登リ口から山路を15分ほど登らねばならない。 登り口は冬野町のもともとの村の入り口にある民家の脇にある山道で、猿田彦神社と十一面観音の石柱が二本並んでたっているのが目印だ。 春は椿やウツギ、カタクリ、二リンソウの咲く中を、秋は紅葉を楽しみながら登りゆくと、やがて猿田彦神社の鳥居が見える。鳥居をくぐると石段が境内ににまで続いている。静寂の中に苔むした境内は1200年の歴史を静かに物語って、木々をとおして降りそそぐ光はひと時日常を忘れさせてくれる。 山路は緩やかなので足弱な子どもつれでも散策を楽しめる。
麻生津最古の神社
猿田彦神社は麻生津最古の神社である。 1200年前、泰澄大師建立の冬野寺があり、西行法師が滞在した時に詠んだ歌 「浅水の あかくむことは よもあらじ うしろは冬野 まえは河北」が残っている。 「あかくむ」小さい池が今も神社に残っている。苔が3種類ほど神社境内一面に生えている。人里から離れた静かな神社で、歴史を感じられる貴重な資源である。
猿田彦神社の春祭り
猿田彦神社の春祭りは毎年恒例4月15日に執り行われる。前日に冬野町城山の中腹にある猿田彦御神の宝物として安置してある天狗の面、獅子の頭、鉾が春祭りに神社より下りてきて宿の役割の家にお泊りになる。宿は二軒の家が一年おきにお世話し、一晩中灯火の光をつけ、数百年前の御膳には甘酒、赤飯、ぼたもちなどをお供えする。 翌日の午後には氏子民総出で、「お獅子、鼻長な亦来年ござれの」と声たからかに叫びながら、鉾、獅子頭、天狗の面の順にお帰えりになるという一連の儀式が今も続いている。 また、神社境内のコケは1200年の歴史を感じさせる美しさである。
十一面観音立像
本堂正面には大澄大師の十一面観音、右に猿田彦の命、左に白髭の命三対がお祭りされている。「十一面観音立像」は福井県福井市教委によって市文化財に指定されている。 同像は、高さ121.5.5センチで、頭上の冠に仏の化身である十一面の化仏(けぶつ)が並び、下半身に裳(も)をまとった姿は調和と変化に富む。股(また)下部分に垂れ下がる布片には、旋転文と呼ばれる文様が彫られるなど非凡な手法が取られている。平安時代の作品とみられる
気比神社
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継体天皇ゆかりの地「三尾野」
日本書紀によると、継体天皇(男大述)の妃は9人とされているが、この内、三尾角折妹稚子媛(みおのつのおりのきみの娘わかこひめ)と三尾君堅械娘倭媛(みおのきみかたひの娘やまとひめ)のお二人は、越前の有力な豪族であった三尾氏の出身といわれ、三尾氏は、この婚姻によって天皇の大きな後ろ盾になり、ご即位に当たっては力をつくしたものと考えらる。(妃は大和周辺から滋賀県、岐阜県、愛知県、さらに福井県と、大和から東国にかけての豪族の娘を妃にしている。このことにより、継体大王はこの連合勢力に支えられながら擁立されたと考えられる。) 三尾野の地は、日野川に望む水運の要衝であったと考えられ、古代の有力豪族の名を留めるのにふさわしい地といえる。 継体天皇のご即位1500年を記念し、古代から守られてきた由緒ある地名を、福井市が度顕影する運びとなり、三尾野町にある気比神宮の入口に「請われ書石碑」が設置されることになりました。