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福井県福井市に柔道整復師が開設しています。

電話でのお問い合わせはTEL.0776-35-4850

プロフィールprofile

あいさつ

整骨院

当院は、柔道整復師として、骨・筋肉・腱・靭帯・関節などの運動器に対して非観血的施術を行っております。
また、機能訓練指導員の資格も有していますので、運動器の機能の維持および増進のための施術も行っております。

口が悪いのが玉に瑕(欠点は多々あるとは思ってますが、とりあえず・・・)ですが、健康な生活を送っていただくためのお手伝いが出来ればと考えております。

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当院の歴史

1970年代初めに先代が開設し、1979年に現在地に移転。
1980年
中部柔整を卒業し公的資格試験に合格後、 愛知県にて柔道整復師免許取得。
同校付属病院勤務
1983年
帰福して病院に勤務。
1984年
先代から経営を引き継ぐ。

2004年7月の福井豪雨で、近くの足羽川の堤防決壊で水害に遭うなど、いろいろなことがありましたが、現在は子供たちも独立し、のんびりと仕事をしています。

現在、(公社)福井県柔道整復師会・福井県柔道整復師協同組合・福井地区柔道整復師会や日本柔道整復師協同組合の運営に携わり活動しています。

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整骨院とは?

柔道整復師法に基づき、柔道整復師となった人が柔道整復術を行う施設で、「接骨院」ならびに「ほねつぎ」の名称が認められていますが、福井の地域的慣習から、「整骨院」や「整復院」も認められています。

この名称は、医師を除く柔道整復師以外は使うことができませんが、医師がわざわざこの名称を使うことはないでしょうから、これらの施設は柔道整復師以外が管理者となっていることはありません。

「整体」などの民間資格者(資格の法的根拠なし)が業を行う施設と混同されることもありますが、まったく違うものです。

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柔道整復師とは?

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厚生労働省あるいは文部科学省が指定した柔道整復師養成施設における3年の修業後、資格試験の実施者および免許権者を厚生労働大臣としており、柔道整復師が国家資格となっています。
また、柔道整復師業は厚生労働大臣認可による業務独占資格で、柔道整復師業を行う施設の名称の独占が法律で認められ、独立開業権が与えられています。

1966年(昭和40年)
理学療法士作業療法士の学校養成施設指定規則が定められ、1975年(昭和50年)に学校での修業者だけを対象とした国家試験がスタートするまでは、病院などの医療機関に勤務する柔道整復師も多数いましたが、現在では西洋医学の中での地位的格差が生じてきたことから減少傾向にあります。

一方では、機能訓練指導員の資格も有することから、介護施設やスポーツトレーナーとして、様々な現場に活躍の場を広げています。

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柔道整復師術とは?

柔道整復学に基づき、「骨・筋肉・腱・靭帯・関節などの運動器」に対して「非観血的施術」を行う「我が国の伝統医療」の一つです。

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柔道整復師学とは?

柔道整復学は、これまでに蓄積されてきた柔道整復術の知見に東洋医学と西洋医学双方の叡智を取り入れて体系づけたものです。

柔道整復学では、外からの力を「一撃で運動器が耐えることができないであろう強い力」と「反復的に加わることで運動器が耐えることができないであろう弱い力」の2種に分けています。

たとえば、1回の強い力で骨折(急性)するだけでなく、弱い力が反復して加わる事でも骨折(亜急性)を引き起こすのもこのためですが、このようなことは、すべての運動器に起こり得ることです。

急性・亜急性の「ケガ」に対する施術は、健康保険の取扱いが認められています。
それ以外の運動器に対する施術は、健康を害していれば(病気)、専門医を紹介しますが、その必要のないものについては自費で負担をしていただくことになります。
なお当院での自費は、健康保険で定められている料金を目安にしております。

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柔道整復師の歴史

<源流>
柔術を教えていた道場では、練習などでケガををした弟子を素早く回復させるため、道場主が、患部に手を当て(手当の語源)、視診、触診で状態を把握し、必要な術(接骨術など)を施し、完治へ向かわせました。
また、近所の住民たちも道場を訪れ、弟子同様に利用しました。
これが、現在の整骨院・接骨院(道場)、柔道整復師(道場主)、柔道整復術(術)の源流と言われています。

<柔道>
嘉納治五郎が、柔術家八木貞之助の紹介で、同じ柔術家の福田八之助の道場に入門し、福田八之助が他界したあと、福田道場の責任者となって指導を行ない、様々な柔術の流派の長所を研究し、改善を行ない、新しい柔術の技術体系や指導体系を確立させ、「道」(原理)があって「術」(技芸)が生まれるとの考えから「柔道」と名づけました。
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<柔道整復術および柔道整復師の変遷>
明治維新後の西洋文化が万能であるかのごとく急速に取り入れられる中、日本古来の漢方医学廃止によってそれまでの接骨術が顧みられなくなりました。
1881年(明治14年)
漢方医学廃止(西洋文化万能思想)
1912年(明治45年)
柔道家を中心に歴史に基づく自らの職業として接骨術を認めるよう運動。
1913年(大正2年)
「柔道接骨技術公認期成会」が発足。
1920年(大正9年)
内務省令によって「柔道整復術」という名称として公認。 その技術をもつ者は柔道整復師として認定。
1921年(大正10年)
第一回の柔道整復術試験が施行。
1946年(昭和21年)
柔道整復術営業取締規則が制定。
1947年(昭和22年)
あん摩、はり、きゅう、柔道整復師等営業法が制定。
1951年(昭和26年)
学校教育による柔道整復師の養成が始まり、免許制度が制定。
1953年(昭和28年)
修業年限の変更および整備。
1970年(昭和45年)
単独法として柔道整復師法が制定。
1988年(平成元年)
柔道整復師法の大改正により、国家資格となる。

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健康保険と柔道整復師による取扱いの変遷

初期の柔道整復師は、他の漢方医などと同様に、盆暮の謝礼をもって、報酬とすることが多かった。 一方の西洋医は、各地で定められた医師定謝規則により、現金で報酬を受けていた。
1922年(大正11年)
健康保険法が制定され、1927年から社会保障制度が発足。 創設当初は、業界団体の請求により療養費の現金給付し、給付に要する費用は人頭式請負によって支払われた。
1936年(昭和11年)
各都道府県ごとに所在の柔道整復師会と協定を結び、料金(療養費)を定めて委任払いの方式を取るようになり、現在に至る。

1938年(昭和13年)
国民健康保険制度を実施。
1943年(昭和19年)
これまで各都道府県ごとに定めていた料金を統一するため、特別な事由のある場合を除き、国において料金(点数制)を定めた。
1951年には、特別な事由を国と協議することし、全国統一の給付体制を期した。

家族 1957年(昭和32年)
戦後、財政事情の悪化に伴って多くの市町村で国民健康保険制度が休廃止され、国民の約3分の1が無保険者だったため、4ヶ年計画により全市町村への普及に努める。
1958年(昭和33年)
点数制であった料金を金額表示式に改める。

1961年(昭和36年) 国民皆保険が達成。


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