SHORT TITLE

「俺のは一番でかいヤツだからな。すぐに判る、絶対判る!」
「オレは技よ、芸術よ! ただうるさいだけで、芸の無いのと一緒にしないでよね」
「誰のことを言ってんだ!」
「アンタに決まってんでしょ! あ、一番、音のキレイなヤツだからね、ね。絶対判るから!」
「全部一緒だもんな、わかんねーよなぁ? 俺のヤツみたいに心臓に響くくらいのでないとなぁ」

 と、なじみの花火師二人が、例年の如くテンションの高い宣伝合戦を繰り広げて、慌しく帰っていったのが午前中のことである。
花火
 乾いた音の打ち上げ花火が、数発、間隔を置いては揚がっている。
 まだ暗やんでいない空、天気は雲一つ無い快晴。
 煙だけのそれは、幕開けの合図であろうか。
 こうして今年も、夕凪の時期がやってきたと実感する。

「今日は、花火大会だよね」

 人の気配の無い居間で独りつぶやくと、台所の物音が止み、足音が近づいてくる。
 手に氷の入ったグラスを二つ、畳みに足を擦るようにしてやって来た、城島である。

「ああ、そうやな」

 世間話の相槌で、城島はグラスを差し出した。
 否、グラスを近づけ、引き寄せたその手に持たせてやる。
 割合と迷いの無い手振りが、慣れと信頼の証でもあった。

「ビールと焼酎あるけど、どっちや?」
「え、もう入ってるのかと思った! オレ、今、ただの水飲んでるんだけど」
「……焼酎やな」

 おそらく苦笑しているらしい城島は、再び居間を出て行った。
 台所の冷蔵庫が開く音、閉まる音。
 その間、氷だけのグラスを少し揺らしてみると、幸いにも軽い金管楽器のような音色が響く。
 音が切れるのが、この上なく心細い。

 彼には、もはや盲目であることを話のネタにするほどの余裕すらあった。


 開け放たれた縁側の障子戸、向こうは居間から吹きぬける外庭。
 右には松の木、左には小さな池、砂利の敷かれた地面に……だが、結局、全ては想像の域を出ない。
 実家の庭に思いを馳せるのが日課となってしまって、早何十年では、よもや恋する乙女のようである。

「天気で良かったわ」

 居間の卓袱台を挟んで、城島がグラスを傾ける。
 湿気の少ないからりとした空気が肌に涼しい、夏の夕暮れ時。

「そうだね」

 部屋の隅に置かれたテレビは、夏の選抜野球を放送している。

「……太一は花火大会、嫌いか?」

 野球の実況中継が、何かしらのタイミングでぷつりと途絶えるように、矢庭、掛けられた問いで、太一は思わず大きく首を振った。

「嫌いじゃないよ。全然」

 嘘を吐いたつもりでは無かった。
 会話が途切れるはずでは無かった。

「そうか」

 事も無く寂しげに加えられた相槌に、太一は不安になってくる。
 盲目であることをハンデと思ったことは一度も無い。
 しかし、人と接するうちに、裂け目を感じる瞬間はある。
 花火、という夏の一大イベントが、まさにその境界のひとつであった。
 彼にとって、それは轟音と人々の歓声を聞く、騒がしい行事に過ぎなかったからだ。

 確かに、本当に、嫌いでは無かった。
 城島は、理由を聞かずにいてくれた。

「山口と松岡の花火も揚がるんやったな」

 颯爽と話題を切り上げた城島は、今度はぽつ、と内輪の話を出してやる。
 (これで声を落とさないよう、気を使っているのだろうけれど。)
 太一には、城島の不器用さが、ときどき無性にありがたい。

「毎年のことでしょ、それ」
「今年はとくに、えらい張りきってたからなぁ」

 それも、毎年のことだった。

「張り合っても、別に賞品とか、何も出ないのにねぇ」
「いや、出るやろ?」

 ど真剣な声色で、城島はグラスをことりと、卓袱台に休ませた。

「太一の笑顔」
「笑ってもいいの? それ笑うとこだよね?」
「……・・」

 即、返されたつっこみに、城島が次の文句を言いあぐねて、困っている様子が目に浮かぶ。
 太一はひとしきり笑ってから、面白そうに付け足した。

「じゃ、もう賞品出しちゃったじゃん」
「僕が優勝やなぁ……山口、松岡すまん」
「あなた優勝しすぎだっつの」

 ふと、玄関のガラス戸が滑る音が、二人のにわかに華やいだ空気を破いて切った。

「お客さんか」

 と、立ち上がろうとした城島は、高速でやって来る気配に諦めて、結果座り直したらしい。
 ばたばたと、庭の砂利を騒々しく蹴飛ばしては駆けてくる、聞きなれた靴音。
 二人はその姿が見とめられる前に、もう笑ってしまうしかない。

「リーダー、太一くーん! 一緒に花火見ましょー!」

 ご近所の青年、長瀬であった。
「オレ、花火持ってきたんスよ」

 差し出したビニール袋は、お買い得パックと貼られたラベルの眩しい、夏の定番商品である。

「音の鳴るやつばっかだから、絶対太一くんも楽しいですよ」

 長瀬はにんまりと満足げな笑みで、縁側に陣取った。

 城島は今まで、あえて視覚を楽しませるものを避けてきた傾向にあった。
 正確には、自分自身が、目の見えない太一の立場に近づこうとして、均衡を保ちたいと考えていた。事実、それで共有できたものは、たくさんあった。

 そこを、この長瀬と言う男は知ってか知らずか、
 色を楽しむもの、かたち、光を楽しむもの、ひいては目で見て感じる全てのものを、明らかに口で説明するという方法に出たのだ。
 辞書の量はてんで足りない。時に決して伝わらないジェスチャーをしては、自己反省する毎日。
 けれど、長瀬は目に見えるものを、わずかでも太一に近づけてやれる。
 彼は、太一の立場を、自分たちと同じ目線に押し上げることで、均衡を保とうとしている。
 (遠ざけていた自分とは、まさしく正反対のやり取りで。)

 城島がにわかのお客さん用に、グラスと瓶ビールを手に戻ると、居間では、長瀬が花火の袋を破いていた。

「えーと、これ。“ボタン花火”!……だって」
「ぼたん?」
「あのねぇ、線香花火の、強化バージョン?……みたいなの」
「強化されんの? 大きさってこと?」

 現物をひとつ渡しては、説明書をめくる長瀬に、太一もつらつらと質問を重ねる。
 長瀬と知り合ったことは、太一にとって、きっと稀に見る幸運だったにちがいない。

「……長瀬にはかなわんなぁ」
「へ? 何か言いました?」
「いや。ビール持ってきた、って」

 長瀬が、皮肉や駆け引きなんかが不得意な青年だと知っていなかったら、城島は、こんなに微笑んだ顔でグラスを渡すことなんて出来やしないのだ。

「おー、ありがとうリーダー! もらってもいいの?」
「そのために持ってきたんやから」

 長瀬は目まぐるしく視線を変える。
 表情を変えるのとは、また少し違う。

「リーダーもあとで花火やりましょうね。あ、太一くん。それ“七変化”」

 ぺたぺたと花火を物色していた太一の指が触れたのを見るや、説明の鬼と化す長瀬が、その楽しげな声を途絶やすことはない。
 居間は音に溢れている。

 城島が卓袱台の定位置に落ちつくと、庭の低い垣根が、遠く川沿い辺りで弾ける火花で、明るんでいるのが見える。
 もうすぐか、と思ったまさに、次の1秒のことだった。

「お」
「あ!」

 唐突に重なった声の先に、開始一番の打ち上げ花火が盛大に空を照らしていた。
 花火は次から次へと、出し惜しみ無く揚がり続ける。

「始まったー」

 いそいそと、自分のグラスを手に持って縁側の観客席に座り直す背中は、何故か小さい。
 城島はランダムに込み上げる笑いを隠せない。
 長瀬との交友は自分にとっても幸運だったと、薄々、気が付き始めていた。
「あ、今の花火!」

 色とりどりの花火が揚がる中、
 長瀬が嬉々とした声を上げる。

「今の花火、紫色だっ! 絶対、松岡くんのですよ!」

 ちなみに長瀬の解説によると、紫という色は「明るい夜、おねーさんが着けてる香水、ナス」、らしい。(てんで意味不明だ。)
 夜に、夜色の花火が揚がっても、光として判るのだろうか?
 太一には、色と光が別のものであるという認識が無い。

「音じゃわかんなかったね」
「……それ、松岡くんが聞いたら泣きますよ、たぶん」
「ウソでも分かった、って言ってあげよな」

 からかい混じりの二人の言葉に、太一は同じ意図を読みとる。

「……二人とも松岡に甘い」
「だって大変だったんスよ、去年!」
「太一が、紫てよくわからんとか言い出すから、お中元がナスになって……」

 と、不自然に城島の話が途切れた。
 沈黙の向こう側に、ひゅう、と虎落笛が夜空を過ぎる。

 長い長い箒星が笛を伴って小さく消えていく。
 一瞬の静寂、居間全体が、真昼のように明るんだ。
 視界の全て、それでもまだ足りない。
 黄金の傘を目一杯に埋め広げる、大きな大きな、花火。

 直後、強く、空間を叩きつけたような轟音が響き渡る。
 一際大きく、床を伝って身体にまで伝わる細かな振動。
 長瀬と城島が、寸刻言葉を失って、天上を仰いでいるような気がした。

「……山口の花火、やな」

 それから、花火はしばらく揚がらなかった。
 しんと静まる庭の一角、目のやり場が暇になった。
 長瀬は、無造作に投げ置かれたままの花火のお買い得パックを眺める。

 たいていのものは、手で触って、耳で聞いて、匂いを嗅いで教えられるのだが、花火という娯楽は、割と目立たない難物だ。
 煙を吸い込めばむせるし、触ると火の粉がかかって熱い。
 音を楽しむ、なんて聞えは良いけれど、本当に知って欲しいのは音なんかでは無い。

 人によって好きなものが違うように、思う心を、皆が同時には動かせない。
 通じ合っていると思い込んでいるだけで、所詮は幻想に過ぎないのだろうか。
 そう認めてしまうのは悔しいし、悲しい。

 花火はしばらく揚がらなかった。
 縁側に寝転んで、夜空を水平線上に見通すと、そこはいつもより少しだけ騒がしく、つと気がつかなかった幾つもの星が瞬いていた。

 この美しさを、どう共有したら良いのだろう?


 居間に静けさが舞い落ちる。
 毎年、夏が来るたびに城島は自問する。

 長年世話を焼きながら、自分に教えてやれることは、ものの距離やかたち、どうして存在するのか、といったくらいのものだ。
 自身が見えないもの、例えば細かな体調変化や感情の動きなんてものは、太一の方が余程上手く分析する。
 だからこそ、花火を、どう教えたら良いだろうと悩むのだ。

 地上を包み込むように広がる光の雨、誰もが一度目にすれば、足を止めて見入るほどの空。
 はるか遠い夜を上る無数の星、人の手で造り上げた星。
 ありきたりな語句を並べてしまえば、それは確かにそうであって、素晴らしい。
 けれど、本当に教えたいのは、視覚で感じる美しさでは無い。

 大きな打ち上げ花火と、色とりどりの連弾花火と、お買い得パックの花火セット。
 あの花火に詰め込まれた真っ直ぐな想いを、言葉で伝えるにはお節介すぎる。

 この美しさを、どう共有したら良いのだろう?


 庭の八重桜に、ひぐらしの鳴き声が停まっている。
 透明な空気が降りた居間では、誰も声を出そうとは思えなかった。

 太一にとって、見えるものは全て排他な存在だ。
 世界は、ただそれだけの理屈で成り立つ。不便は無い、と思い込んでいた。
 でも、結局は詭弁だった。

 周りの大半の人間には光があって、生活の重要な一点を占めている。
 同じように物事を捉えるなんて、出来るはずが無い。
 否めない空虚感を、少しずつ埋めようとしてくれる仲間がいることが、何より嬉しかった。
 単なる哀れみや興味でなく、まるで押し売りのように、世界を近づけてくれる大切な友人だ。

 ……と、まぁ、そんな恥ずかしいセリフなんて、まず絶対に言えない。
 一番に伝えたい言葉はたったひとつ、相手の顔を、反応を目に見てやりたいから、たぶんこれからもずっと心の隅っこに残しておくまま、喉を上がっては来ないだろう。

 縁側で、長瀬が寝転んだようだ。
 大柄な一人の空いたスペースから、温い風が流れ込んでくる。

 交わることは決して無くとも、近づきたい、出来るだけ同じ位置まで。
 花火はしばらく揚がらなかった。
 太一は、この無音の空間より美しいものを、見たことがない。

end.
笹沢氏の散文は浅く見えてどこまでも深いような。