SHORT TITLE

「ね、あれ。縁日じゃないかなぁ」

 移動車の窓から、目ざとく見つけたぽつぽつと連なるオレンジ色の灯火。
 つられて一同がその光景を見やってから、小沈黙。
 誰とも無しに、顔を見合う。

「うっわ、懐かしいー」
「もう何年食べてないかなぁ、りんご飴」
「あーゆーとこのヤキソバって、何でか美味いんだよな」
「ちょっと……あんたら食い物ばっか」

 一通り世間話を交わしてから、ふとした奇妙な間の後に、再び覗い合った顔。
 ぽろぽろと堪らず漏れ出した笑みに、一様に同じ気配を感じ取ったらしい。

「行ってきますか、ね?」

 待ち侘びた鶴の一声に、長瀬が真っ先に移動車を降りた。
縁日
 静かな住宅街を抜けた。
 数人の子供たちが、駆け足で五人を追い抜いた。

 灯篭が等間隔で続く舗道の先、一際明るい、縁日の会場である。
 地元住民たちだけが楽しむのだろう、小さく、けれども活気があふれている。
 浴衣姿の若い夫婦とすれ違った。

「浴衣だ、浴衣。いいね、若い」
「わー老けた感想」

 先を走って行った子供たちは、隣接する公園の柵を、軽い身のこなしで乗り越えている。
 近道。
 となれば、五人が試さないはずは無い。
 挟み飛ぶ人、飛び越える人、登る人に、しがみつく約一名。

「お、越えんの?」
「おお!」
「無理しすぎでしょ。あっちに入り口あるんだからさ」
「あ、落ちた」

 ペンキの剥げた柵を、大袈裟に越えたのは三人で、残り二人は遠回りして(一人は、一人の付き添いとして)歩くことにしたようだ。
 合流するまで二分間、三人はきちんと待っていた。

 人込みで賑わう縁日の100m。
 出店が所狭しと軒を連ねている横を、五人はつかず離れず歩いている。
 固まって歩くのはアイドルとしてのマナーに反する、なんてことは誰も言わなかったが、固まる男衆もそれはそれで気持ち悪い、という点で確実に一致している。

 もっとも、周りは誰も気にしていない。
 期間限定の娯楽を目に焼きつけるので、皆、手一杯なのだ。
 久しぶりの解放感を、存分に味わっていることだろう五人である。

「とりあえずは食料」

 誰が言い出したかは不明だが、誰も反対しなかった。
 担当はてきぱきと、暗黙の了解でもって決められて、五人はそれでも同じ方向に歩く。
 それぞれ頭が見える位置に、各々がくっつかずに歩いている。
 輪投げの屋台を横目に過ぎた。

「ヤキソバあるぞ」

 指差した方角には、人だかりが出来上がっている。
 本日はヤキソバの売れ行きが好調なようである。

「大人気やね」
「並ぶの俺?」
「お好み焼き、あっちだよ」

 今度は、別方向が指差される。
 それほど入り組んだ並びではない(むしろ直列である)ような気がするのだが、屋台は碁盤のように、あちらこちらに軒を連ねては、方向感覚を麻痺させる。
 ヒトゴミ魔力の成せる技だろうか。

「射的見てこよ」
「ちゃんとお好み焼き買ってよー」
「隣なんだよ」

 ジャンルの区分けもてんでばらばらに屋台が並んでいるのも、小さな縁日ならではの善い意味での無粋さ、と言ったところか。
 ホットドッグの屋台の横は、金魚すくいの屋台である。
 綿飴の屋台の横は、何故か一店舗分の空きがある。

「長瀬、りんご飴あっち」

 さてどうしようかな、と頭で考えたのが災いしたのか。
 誰かが指示した方向を、見逃してしまったのがいけなかったのか。
 ほんの一歩分、足を休めたその刹那。

 長瀬の視力良好の眼は、四人を見失ってしまったのだ。
「太一くん?」

 目の前に置いてあったはずの、黒い頭が消えた。
 一際高い位置にあるこの視界でも、その姿を捉えられない。

「松岡、くん?」

 手を伸ばそうとした肩の持ち主は、別の人間だった。
 気付いた瞬間にぱっと引っ込めた、やり場の無い指が、ただ虚空を揺れていた。

 ……はぐれた。

 長瀬は、呆然と指の先を見つめていた。
 四人がはぐれた、のではなく、自分が四人とはぐれた。何故か、そうとしか思えなかった。
 目を夜店の並びへと、忙しなく走らせる。
 けれども見当たらない。

「太一くん?」

 大声を出せば、気付いてもらえるかもしれないが、長瀬はそこまで割りきった子供では無い。
 見知らぬ顔たちが、彼一人を置き去りにして、横切っていく。

「マボ?」

 当ての無いまま、長瀬は歩を速める。
 賑やかな方だろうか、静かな方だろうか。彼らだったら、どっちに行くのだろうか?

「リーダー」

 自分の考え一つで動けないもどかしさが、歩みを止める。
 立ち止まったのはほんの一足分時程度で、すぐに再び歩き出さねばならなかった。
 止まってはならない、見えない空気が押してくる。強迫観念のようだ。

「グっさん」

 心配してくれているだろうか。探してくれているだろうか?
 かすかな期待を、目の前を過ぎる無数の笑顔たちが持ち去っていく。

「ねぇ……」

 誰でも良いのに、誰がいてくれても良いのに、今、長瀬はひとりだ。
 ひとりになってしまった。

 焦っている。
 鬼気迫るような状況でもないはずなのに、何故か焦っている自分がいる。
 笑いが込み上げては、すぐに汐引く。
 慌てる理由など無い。
 子供じゃあるまいし。

 単直な考えを、少しでも落ち着かせようと、長瀬は深呼吸した。
 二度目の呼吸で、真上を覗った。濃紺のドームが波打つ。
 夜だ。そういえば、夜だった。
 また、焦燥感が込み上げてくる。
 月は空の何処かにあるのだろうが、見つからない。
 出店の柔らかい暖光にかすむことなく、星がちらちらと揺れ動いている。
 三度目の深呼吸で、肺一杯に吸い込む、縁日の埃っぽい空気。

 夜空が遠い。
 離れて初めてわかる星の恐ろしさに、気持ちだけが急いていく。

 出店の賑わいが途切れるところで、長瀬はついに立ち止まった。
 ぼんやりと灯篭が仄照らす、石畳。
 小さな神社だった。
 祭りの中心となるべき古い社は、縁日の華やかさに取り残されたように、ひっそりと佇んでいる。

 疲れがどっと押し寄せてくる。
 泣き疲れて眠くなる赤ん坊の気持ちが、今なら十二分に分かる気がした。
 神社に背を向けると、出店の空気がちょうど、長瀬の目前で滞っている。
 この温度差。
 まるで今の状況を映し出しているようだ。

 どうしようか、
 と、これからの行動を考えるために、長瀬は独り言で落ち着こうとする。

「……どうすんだよ」
「楽しんできたかぁ?」

 無造作に背中を打った声に、長瀬は幽霊でも見たかと言わんばかりの形相で振り向いた。
 屋台から洩れる暖色のオレンジが、古びた木造の建物を夜闇に浮かび上がらせる。

 神社の境内に腰掛けた城島が、ぷかり、煙草をふかしていた。
 しばし無言のまま立ち尽くす長瀬に、城島がいよいよ訝しみ出す。

「……どした?」
「……」

 依然、サスペンスドラマの役者さながら険しい表情では、声もかけ辛い。
 城島は笑ってくれることを期待して、手をひらひらとかざしてみる。
 反応は薄い。

「……な、がせー?」

 突然、長瀬は焦点の合わない呆け目のまま、城島の両肩をがっしと、悪魔祓い師か何かの動作のように掴み上げた。

「……リーダー!」
「おぅわ! ど、どしたんや!? 幽霊でも見たんか!?」
「うん、リーダーだ! リーダーっスよね! あー、リーダーだあ、良かったあ!」
「……あ? ん、ああ。良かったなぁ……」

 本当に、幽霊でも見たのだろうか。
 その崩れた表情と言ったら、とっくに成人した男のものとは思えぬほどの、泣き笑いであった。
 ぺたりと石畳に座り込んだ長瀬に、城島は、綿飴でも食べるか、という一声すらもかけられない。

「シゲ」

 山口が出店の方から歩いてくる。

「はい、お土産ーって……長瀬? どうしたんだ?」
「んー、どぉやろねー」

 代わって城島が適当に答えておいた。
 当の長瀬は座り込んだまま、ゆるーりと山口の顔を見上げてくる。

「ん? まさか泣いてんのか?」
「……グっさーん」
「ヤキソバ食うか?」
「うん」

 出来たてほかほかの食料を前に差し出されて、飼い犬のごとく長瀬は即頷いた。
 城島は少なからず安堵する。
 泣いているかと思ったのだが、単なる思い過ごしのようだった。
 よく見れば、ごく普通にヤキソバを食べ始めている、ごく普通の男である。

「お待たせー」
「あ、長瀬いるじゃん」

 いくつかの袋を提げた太一と松岡が、連れ立って歩いて来る。
 長瀬はいつのまにやら、神社の境内に座り直していた。
 二人の姿を目にして、ヤキソバでいっぱいの口を何事か動かそうとしている。

「食ってから言え」
「……太一くん、松岡くん! おかえりなさーい」
「色々、おかしくねぇか?」

 太一は苦笑して、ビニール袋の一つを渡してやった。
 中身は、遊戯の景品のようである。

「お前のことだから、フラーとどっかの出店に釣られて、はぐれちゃったのかと思ってさ」
「……そんなわけないでしょー」

 拗ねたようで、はたまた見破られたようでもある複雑な笑いを浮かべる口元に、どうやら近い線を突いたかな、と城島は考えた。
 長瀬は誤魔化そうとしているのか、ビニール袋を漁り出す。

「何スか、この不気味な人形」
「コケシ。射的で当たった」
「コケシって……今時、コケシ……」

 ツッコミの良い文句を探しつつ、紙袋から取り出した飴を山口に渡してやっているのは松岡。
 果たして彼の担当は、カステラだったはずであるが。

「あ、りんごあめ……」
「忘れたんだろ?」

 松岡のにべも無いセリフ、それも、図星だったらしい。
 今しがた思い出したらしい長瀬は、もごもごと言い訳を探すように、目線を逃がす。

「買っといたよ」

 あっさりと紙袋を押しつけた松岡は、チョコいちごを頬張っている。

「嘘」
「絶対忘れてると思ったから、代わりに買っといた」

 長瀬は、半ば唖然としながら手渡された袋を開いた。
 城島も横から覗き見る。
 中には、確かに大小ビニール包装のりんご飴。
 加えて一回り小さな棒付き飴やら、アルミカップに入った小さな飴がゴロゴロと転がっている。

「……これ、なにあめ?」
「ああ、それね! 最近ってりんご飴も進化してんだよ。そのちっちゃいのブドウ飴」
「俺なんてマンゴー飴だぞ」
「マンゴー!? グっさん、マンゴーあめ? あーいいな、それ!」

 途端に目を丸くして、次には楽しげに騒ぎ出す。
 あるいは、寂しげに仲間を探す。
 どこに本心があるとも思えないので、城島は飽かずに観察し続けていられるのだ。

「食べる? お好み焼き」
「いただくわ」
「何で笑ってんの?」

 すいと、お好み焼きのパックを差し出した太一に小突かれ、
 城島は自分が笑っていたことに気がついた。

「いや……今度は、五人でまわろうな、って」

 今度と言わず、何度でも。
 と、長瀬本人はきっと、そう言い返してくることだろう。
 縁日の灯りが、移動車の窓を遠ざかっていく。
 出店の味を思い浮かべながら、長瀬はゆっくりと目を閉じる。

「疲れたか?」

 誰かが話しかけてきたようだったが、夢に片足突っ込んだ左脳は、声の主を認識できなかった。
 眠気が勝った。
 言葉を返せなくてゴメンナサイ、と一人謝りつつ、結局、流れる景色に意識を手放していた。

 美しい空が見える。
 人を惑わす闇夜が見える。
 黒いキャンバスに映える、白い道標が浮かんでいる。
 縁日で見た、遥か遠くに在る夜空と、それを気付かせるための星だ。

 何があろうと、やっぱり一人は、寂しい。
 これは長瀬の、夢の中での結論である。

 いつか必ず別たれる路であっても――
 まだまだ、この鮮やかな星たちからは遠ざかれない。
Don't lose sight of it.
こんな話が書きたかったがためにFanficコンテンツなんて作った、と言っても過言ではありません。