SHORT TITLE

 薄い木の板だけ一枚隔てて、人の気配が部屋に篭る。

「……聞いてもらいたい話があるんですが」

 ごく小さな仮定真四角の部屋に、一人と一人が、お互いに詮索しない立場で向かい合っているはずだ。
 世間体には懺悔、とか言う億劫な名を与えられてはいたが、本質的には、耳を持つ人形を前にして、愚痴や恨み辛みを吐き捨てる場である。
 全ての叫びを吸収して終わる。その後に続く顛末はない。

 部屋の名前は、告解室。
 さて、本日、最後の仕事である。

「空いてますか?」
一期一会
 太一は、短く嘆息した。
 もう、陽は沈みきろうとしている黄昏。教会の戸を閉める時間だ。

 決して信心深くはない、というわけではない、あるいは、神を信じてはいないが、悪魔を信じているでもない。
 つまり太一は、ごく普通の感性を持った普通の人間だったわけだ。
 神学に対してひどく客観的な見方をする。
 それはもう、聖職者としては多少弊害がありそうな程に。
 まあ、今の彼が生きる上で何の問題もない論点ではあるが、一応、人と成りとして述べておかねばならない。

 親の跡目を継いだ、この仕事に夢と希望を抱いていた、ならばまだ言い訳が立ちそうなものを、彼は何と自分からこの世界に飛び込んできた。
 異端ではあったが、中央道を歩むことに迷いは無かった。
 三食一睡眠と、少しの娯楽さえ戴ければ、あとはどうでも良かったのだ。

 これは、職業だと認識している。

 好き嫌いの概念を持つものではない、それ以前の問題だ。
 だから、仕事をするときは一切の感情を消す。
 例えば禅の道で言う雑念諸々は、頭の隅っこに圧し留める。
 1と言われたら2と答えられる、ただそれだけの計算機であるべきだ。

 冷たい、と何度もなじってくれた温かい友人を思い出す。
 所詮、こんな性質の人間が行う仕事だ。ろくなものではないし、意味などない。
 それでも(あるいは、それ故に)、人は、彼を頼るのだ。
 皮肉なことである。

 ――仕事に、意味を求めるな。

 最後に上司の言葉を思い出し、眼を閉じて、ゆっくりと開ける。機械的な動作。
 こうして静かに思索の海から這い上がることで、太一は理性を保っている。
 隙間風の入るドアを閉め直した。

「あの……いいかな?」
「あ、はい。どうぞ」

 天井近くの小窓から、弱々しい声が漏れて来る。随分と遠慮がちだ。
 告解室に入るのは、初めてなのかもしれない。
 太一は、備え付けの椅子に深く腰掛けた。

「後悔は、していない。でも、とりあえず聞いて欲しい」

 板向こうの男は、かたかたと、小刻みに、何度も椅子に座り直している。
 申し訳ないと思いつつ、太一は苦笑してしまった。
 密室が醸し出す居心地の悪さは、どうも万人共通のようである。

「俺は、人を殺した」

 さらりと流れる、濃淡の無い声。
 部屋の温度が二度ほど下がった気がした。
 密室の風は、微動だにしない。

「一番最初は、大切な人を助けるための、人殺しだった」
「ちょ……ちょっと……待って。ちょ、あの、一番、最初って言うのは」
「もう結構、殺してるから。何て言うのかな……仕事になってしまって」
「はあ……仕事ですか……」

 一体、何の映画か、テレビドラマだか。

「まぁ信じないだろ、暗殺者、なんて」
「あのですね。信じる、信じないの問題じゃなくて……」

 太一は会話を続けながら、奇妙な幻滅感に捕らわれる。
 告解室にいる二人だけが共有する、まるで、サスペンスのワンシーンのような空間。
 映画ならば、これから起承転結の承に入る頃合だろう。
 けれど、現実は至ってシンプルに造られている。

「あの……教会が告解室をどう見てるのか、たぶん知ってますよね?」
「どうって? 赤の他人の、愚痴を聞いてやる場?」
「ええと、それもありますけど……いや、そう言うことじゃなくて! オレら牧師は、告解室で聞いた話を他言しないのが原則です。あくまで、原則なんです」

 告解室で懺悔されるのは、人としての罪というよりかは、信者としての罪なのだ。
 事実、プライベートで陳腐なものがほとんどなので、宗教的にも紳士協定的に、外部に漏らせないことになっている。
 だが、時と場合によっては、告解を外部に漏洩させる抜け道が存在するのも、また事実だった。

「何人も殺した強盗とか、これから殺人をしますって言う予告とか……聞いて黙ってるわけには行かないでしょ。告解室は、完全に閉ざされた空間じゃない。牧師だって、ちゃんと訴える場所に訴えます」

 神が天に存在するとしても、教会は人がゼロから作り上げた人工物だ。
 法社会が世に浸透しきって、人の罪が凶悪であればあるほど、同じ人である牧師は見過ごせなくなっていく。

「懺悔したことは、神様が許して下さるんだろう?」
「神様が許しても、人様は許しません」
「なかなか賢い牧師さんだね、アンタ」
「……牧師としては、失格ですけどね」

 どちらかが笑みを浮かべたのだろう。密室の雰囲気が柔いだ。

「だから、もしあなたが本当に殺人を犯していたとしても、これ以上語らずに、早々に立ち去って下さい」
「何故?」
「今なら、まだ間に合うはずです。僕は、今までの話は聞いていない」

 わずかに、奇妙な沈黙の時間が留まった。
 互いの真意を見極めようとしたのかもしれない。

「それは、見逃す、ということ?」
「あなたが、この部屋に入ってくれたのは、偶然ですけれど、偶然ではないと思ってます」
「何故?」
「僕、あの……今日で、この仕事を辞めるんです」

 今度こそ、どちらかが笑ったらしい声が漏れた。

「……牧師さんって、永久就職なのかと思ってた」
「最初は、そう思ってたんですけど。僕、あんまり向いてないみたいで……」
「どうして」
「どうして?」

 そう聞いたのは、果たしてどちらだったのだろう。
 これでは、立場が逆ではないか。太一は一瞬だけ笑う。

「牧師に、向き不向きなんてないでしょ」
「でも、神様とか、別に信じてないんです。何に祈ってるかも分かってない」
「じゃあ、何で牧師なんてしてるわけ?」
「……なんとなく」
「なんとなく、ね」

 どちらともなしに吐いた溜め息の幕間。
 告解室に、再び短い沈黙が滞る。
 一体、何処から会話の糸が捩れたのだろうか。

「……そんなの、最初から分かってたくせにな」
「え?」
「いや。独り言。それで結局、どうすんの、これから」
「田舎に引っ越そうかと思ってます。故郷は戦争で焼けちゃったんですけど。雰囲気の似てる村で、畑仕事でもしながら暮らそうかな、って……」

 太一は、生まれ故郷のことを思い浮かべる。
 決して真新しくも都会でもない、肥沃な草原に恵まれた田舎村だった。
 何かもかも捨て置いて来た今となっては、きっと荒れ果ててしまっているだろう。

「ふぅん、田舎暮らし。いいね。俺の実家も田舎だったなぁ」
「え? あなたも、故郷に……戻るんでしょ?」

 自分の言動に驚いた。
 顔の見えない相手の懺悔から会話に始まって、まさか今更、十数年来のホームシックにかかるとは。
 太一の口元の笑みは、苦笑いではなかった。
 懐古の情から来る安堵、のようなものだ。

「だから、オレに……っていうか、理由があって告解室に来たんじゃないんですか?」
「いや。本当は特に理由あったわけじゃない。仕事は、仕事だしな」
「楽しいですか、そのお仕事」

 暗殺者に向ける質問ではない。
 不思議なことに、太一の心は落ち着いている。

「今、ちょっと……つまんないなと思ってる」
「あなたが仕事の話をしてくれたのは、きっと、あなたも迷っているから、なんですよね?」

 そこで、太一は気がついたのだ。
 今の仕事をこなすことに意味を求めないのと同じように、
 今の仕事を辞めることにだって、多分、意味など求めなかったのだ。

「僕とあなたの“仕事”は、ちょっと違うとは思いますけど……」
「まぁ、だいぶ違うね」
「あなたの答えも、もうすぐ見つかるように、お祈りしておきますから」
「何か……アンタみたいな牧師さんのお祈り、効果あるかどうか怪しいな」

 自分の意識とは無関係に廻り続ける世界を、
 ほんの少しだけ、自分の手で変えてみたかったのかもしれない。

 牧師と暗殺者、奇妙な取り合わせであった。
 二人の会話はいつまでも続くかと思われたが、勿論、時間がそれを中断させた。
 教会の鐘の音が響く。
 戸締りと日暮れの時間を知らせる、鐘の音。

「そろそろ、帰らないとな……仲間に怒られる」
「今度は、出来ればもう少し早い時間帯に来て下さい」

 お互い、今度という機会は無いだろうことは分かっている。
 会ったとしても、気付かないかもしれない。
 名残惜しいわけではない。
 部屋に残そうとしているのは、未練や万感といった想いとは、少し違う気がする。

 かたん、と、片付けられる椅子の足が床板に引っかかる。
 どちらからでもなく、立ち上がっていた。

「……今日は、ありがとうございました」

 入ったときとは正反対に、落ち着いて後片付けを済ませて、のんびりと踵を返した。
 告解室の出入り戸に手を掛けた太一の背中に、声が届く。

「話、聞いてくれてありがとうございます」
「田舎に帰っても、元気でな」
「はい。あなたも、どうかお元気で」
「……そりゃどうも」

 ほとんど同時に閉じられる木製の扉、乾いた音ふたつ。
 邂逅という確かな収穫を持って、もう誰も居ない告解室を離れる。
 教会の多くの関係者に紛れてしまう、唯一人の牧師と、街の多くの雑踏に紛れてしまう、唯一人の暗殺者。

 密室からの開放感からか、太一は、ついに声に出して笑った。

「普通、逆だろ」
 裏通りには、肌寒い空気が滞っている。
 黄昏時は都合が良いのだ。
 こちらの顔も背格好も薄闇に隠れ、通行人も疎らとなる。

 殺し損なった。

 太一には、その重大なミスが何故か面白い。
 任務失敗は、最悪の事態である。なのに、些細なミスのように誤魔化そうとしている。

 告解室の薄い板壁で遮られた、一つの部屋。
 同じ時空間を共有した、相手の男。
 太一は、上着の内ポケットから写真を一枚取り出す。
 背景は居酒屋か何処かだろうか。
 黒丸で囲んで印が付いているのは、友人たちと屈託無く笑う一人の男。

 記憶しておいた声を、一致させる。暗殺のターゲットだ。
 顔は、直前まで知らなかった。否、知らされなかった、と言った方が正しいか。
 これから殺される人間の情報など、当然、最低限で然るべきだ。

 だが、殺されて身に覚えのあるような男ではなかった。
 人が良すぎるあまり、自分から厄介事に首つっこんで命を狙われる羽目になったに違いない。

 アルバイト感覚で今の仕事を齧ったり、腹八分目程度に満足していたり、今更になってちょっと後悔したり、自信を無くしたりしている。
 殺し損なったのは、自分と似ているとことがあったから、なのだろうか。
 そんな感傷的な理由付で、自分は納得するだろうか。
 意味を求めない仕事だと認識出来ていたはずなのに、最後の最後で、この失態だ。

 それも、良いだろう。

「……田舎に引っ込もうかなぁ」

 先ほどから失敗の理由付けを考えているが、どうも子供の言い訳のような言葉しか思い浮かばないのだ。
 築いてきた全てのものを放り出しての、大脱走も考え得る。
 報復か、消されるか、などと深刻な選択肢さえも楽観しながら、太一は、脱走成功後の身の振りを思い描く。

 田舎も、やはり悪くない。
 次に、彼と別々の立場で会うことがあったなら、きっと良い話相手になれるにちがいない。
Made a mistake.
ED2種類ありました。junk2の放置物が片割れです。