SPECIAL TITLE

 不思議な侵入者。
 この鉄棒青年と、オレとは、しばらくベランダで2人、呆けていた。

 どうしたものかと、内心でつぶやく。
 この男さえ現れなければ、伝書鳩の手紙を元に戻す余裕も有ったのにと思うと、どうしても、相手に向ける視線も恨みがましい目つきになる。

 だが、どうして青年は平然としたものだった。
 そこまで堂々と居直られては、こっちとしては叱る気も失せる。

「なぁ、朝メシ食ったか?」

 何とも、酔狂なことを尋ねたものだ。
 こちらを見て、それから首を横に振った青年に、重ねて言う。

「何か食ってくか」
「いいんスか?」

 青年が顔を輝かせる。
 まぁ、良いか。朝飯を食わせるくらいなら。
 オレは小さく溜め息を吐いて、部屋に戻る。
 青年はぺたぺたと、後ろをついてくる。
 唐突に言ってしまったものの、何だか無駄なことをやっているなと、自分でも驚いていた。

 青年の様子を端に見やりながら、オレは小さな通信文を握り締めて、ポケットに仕舞い込む。
 小学生が、夏休みの宿題をランドセルの底に、押し込めるように。
3.
「あんま触るなよ」

 一応、無理だとは思うがそう付け足しておいて、冷蔵庫の中を物色する。

 鉄棒青年は、部屋の中をきょろきょろと、忙しそうに見入っている。
 もっとも、1DKの室内。じきに飽きるだろうから、そこは放っておいた。
 青年は、壁に吊るされた鏡と、その隣に並べて貼ってある絵葉書を、熱心に眺めている。
 ニューヨークの消印が押された、エアメール。見なくても口に出せるくらいに、もう何度も読んだ。
 差出人は、みんな、山口くんと太一くんだ。

 <Dearマボー。良いね、Dearって使いやすい。
  研究室はどうだ? 相変わらずみんな元気だろうな。
  ああ、オレ、そろそろダメだね。ホームシック気味。和食ほしい。>
 <親愛なる松岡さま。オレはあえて日本語で行くぞ。
  いや、ニューヨークは危険だぞ。マジで。
  この間なんて、近くで殺人事件があったしな。いや怖い。
  ↑ホームシックってのは嘘だぞ。あれ和食が食いたいだけ。>

 2人は、1枚の絵葉書に名前とメッセージを並べて送ってくる。
 文字の特徴の違う、ふたつのメッセージ。何とも楽しい。

 オレのことを“マボ”と呼ぶのは、いや、呼んでいいのは、研究室では、太一くんと山口くんだけだ。(リーダーは当然の如く除外として。)
 小さいころのあだ名なのだが、それを山口くんが教えるなり、太一くんは気に入ってしまったようで、それからはよく、オレのことを“マボ”と呼ぶようになった。
 ……山口くんなんて、もうほとんど使ってくれない流行遅れの呼び名なのにね。

 <Dearマボ。景気はどうですか? 今日のニューヨークは快晴。
  これ、自由の女神のバックみたいな空だ、ちょうど。
  あー、お部屋の住み心地とか、いかがですか?
  良いベランダでしょ? 良いでしょ、高くて。>
 <親愛なる松岡さま。……あーやっぱ止めた。お前に“さま”はいらねーな。
  松岡、研究は進んでるか? もう夏だぞ? 進んでないとダメだよな。
  秋の発表のころには1回、戻る予定。それまでには自主研究しとけよ。以上。>

 太一くんがニューヨークから帰ってくるまで、オレは彼の部屋で留守番をしている。
 『空けておくのも勿体無いし、研究室からも近いし。しばらく貸してやるよ』と、熱心に勧めてくれたのだ。  リーダーも大賛成してくれて(リーダーの方が引越ししたいと言うほどで)、家賃も安いからとすぐに移った。

 実際に住み始めて、半年近く経つ。
 テレビ、冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ……生活に必要なものは粗方、自前で揃えていて、おまけに留守番電話、CDコンポ、DVDプレイヤー、これは太一くんの置き土産だ。
 彼が使っていた他の家具類は、ほとんどそのまま、オレが引き継ぐこととなった。

 造り付けのクローゼット、フローリングの床。
 黒革のソファーと、アルミ製の飾り棚に、泣く泣く置いていった洋楽のCD。
 どれも、ごく趣味が良い。まぁ、ときどき転がる、彼が収集していたレトロな玩具の数々なんかを除けば。

 もちろん、これは期限つきの契約だ。
 それが解ける日が、オレにとって、ちっとも苦で無いことにしても。

「“2件です”」

 不意に、合成された無機質な音声が、部屋に響く。

「あ、勝手に触んなって言っただろ」

 と、声をかけたが既に遅かった。
 留守番電話から、聞き慣れた声が流れ出す。

「“松岡ー、おいマボー、またいねーのか? 夜遊びもほどほどにしろよ。いっつもいないんだから……この間、リーダーんとこにもかけたんだけど。真夜中。はは。別に狙ってるわけじゃねーよ? 半日ずれてんだもん、時差。不思議ー。あ、じゃーなマボ。また電話するわ。元気でなー”」

 そこで、テープは終わっていた。
 振り向くと、青年はバツの悪そうな顔で、オレをうかがっている。

 太一くんは、今までに何度か国際電話をかけてきてくれたのだが、残念なことにタイミングが悪く、いつも受け損ねていた。
 (ここまで来ると、むしろ狙ってるようにも思えてくる。)
 こちらからかければ良いのだが、電話口にいきなり英語が出てくることを想像すると、情けないことにそんな勇気も無い。

 たとえ留守番電話でも、太一くんの声が聞けるのは嬉しかった。
 そして、留守録の消去ボタンを押すたびに、何か取り返しのつかないことをしているような気分になった。

 リーダーも、よく電話をくれた。
 必ず元気かどうか、生活はどうかを聞いてくれて、それから少しの間、また“とっておきの話”で盛り下がったりした。

 そういえば、山口くんがかけてくる国際電話は、割とよく受け取れるのだ。
 あちらの気候や、生活環境やらを話してくれて、オレが話すリーダーのグチも聞いてくれる。
 もっぱら彼からの電話の方が、少ないはずなのに。
 (……やっぱり、太一くんはオレの留守を狙ってるな。)

 そして最後に必ず、「元気でな」と言って、電話を切る。
 リーダーも、太一くんも、山口くんも。
 その言葉を聞いてしまってから、今までの会話を再生できたら良いのに、といつも思う。

「あの……」

 そろっと、青年が忍び寄ってくる。

「怒った?」

 デカイ図体のくせに、上目遣いでオレを見上げてくるのだ。
 苦笑してしまった。
 無神経で傍若無人な振る舞いをする青年でも、許されるような術を、知っている。

「……別に、怒ってねーよ?」

 冷蔵庫から、タマゴとハムを取り出しながら、わざとぶっきらぼうに言ってやった。
 フライパンを火にかける。
 すかさず、青年が声を挟む。

「あ、目玉焼きー。オレ、両面焼いたのが好き」
「へいへい」

 気の無い返事をして、冷凍庫から食パンを取り出す。

「パン、凍らせちゃうんスか?」
「ん? そーだよ。一人だと、あの1袋食べきれないからさ。買って来たらすぐに冷凍すんの」
「ふーん」
「見てないで焼け。そこにトースターあるから」

 凍った食パンを2枚渡すと、青年はいそいそと、トースターをセットした。
 勝手に上がってきた客人、その辺の良識はあるようだ。

「なぁ」

 熱したフライパンにマーガリンを落として、背中越しに声をかけてみる。

「お前、もしかして鉄棒の選手かなんかなワケ?」
「ちがうよ。遊んでたの」

 何のオチも無しかよ。
 笑おうと思ったが、寸でのところで、とどまった。
 焼き色の付いたハムを裏返していると、青年の言葉が飛んでくる。

「昔っから鉄棒好きでさぁ。よく公園で遊んでたから、懐かしくって」
「まーオレも昔は、兄ぃと、ばーちゃん家で川とか入って遊んでたな」
「おにーさん、“お兄さん”いるの?」

 続けざまに言われては、何だか首の後ろがむず痒いような、変な気分になる。
 どうしてか、その呼びかけは癪に障ったが、こころもち平静を装って返す。

「いや、従兄。兄ぃって呼んでるだけ。山口くんって言って……」

 フライパンをこんと揺すると、ハムの切れ端に引っかかったタマゴの黄味が、くしゃりと潰れた。

「あ、つぶした! へたくそー」
「うるせーな。今日は調子が悪いんだよ」

 以降、知らんぷりを決め込んで、皿に無造作に目玉焼きを移す。
 調子が悪いのは、あながち嘘ではなかった。
 夏の終わりに、思い出せない夢を見る日は、いつもそうだった。

 ……大波、小波、風吹きゃまわせ……

 耳だけが覚えている、懐かしいワンフレーズ。何の歌だっただろうか。

「なに、その歌」

 青年にそう尋ねられ、はたと、我に返る。
 知らぬ間に口に出てしまっていたらしい。
 一人暮しをしていると、独り言も独り歌も、自然多くなってくる。

「あ? いや……何だっけかなぁ」
「何か昔の、遊び歌っぽいよ」

 うろうろと台所を廻っていた青年が、ようやくテーブルの席に落ち着く。

「……ねぇねぇ、そのおばあちゃん家で、何して遊んでたの? 川で泳いだり、とか」
「あー、田舎だったからな。何か……納屋にあるもの、なんでも使って玩具にしてたなー」
「へぇ、縄跳びとか?」
「ん? ああ、そう大縄跳びとかも。麻の縄だから、もう手がすんげェ痛いのよ。バカな子供だよ」

 トーストの方は、無事、美味しそうなキツネ色に焼き上がっていた。
 面目躍如。マーガリンと、イチゴジャムとを小さな食卓に一緒に並べる。
 これでやっと遅い朝食をいただける。

 青年は黙って用意された食卓を眺めていたが、とにかくでも客人。
 先に食えと手で合図すると、またも人懐っこい笑みを浮かべて、パンを頬張った。

「美味いッスね」
「パンだぞ」
「いや……冷凍のでも、味変わんないなぁって」
「そりゃ良かった」

 コップを持って来ようと立ち上がったとき、
 伸びきったポケットから1枚の紙切れがはらりと、落ちた。
 あの、伝書鳩の手紙だ。押し込めたはずだったのに。

 青年は、フローリングに落ちたそれを素早く拾ってくれてから、

「ねぇ、さっきの留守番電話、あの絵葉書の人から?」

 と、もぐもぐとした声で聞いてきた。
 勘が鋭いのか、はたまた不意打ちが上手いのか。
 オレは渡された紙切れを、さりげなく折り畳みながら、静かに怒った声を出してやる。

「……勝手に見るなよ」
「見えちゃったの。おにーさん、名前“マボ”って言うんだ?」

 青年は、一向に、こたえた様子など無い。
 演技がかる方が無駄だったか。2つのコップを食卓に並べて、肩を落とす。

「んなワケないでしょ。“松岡昌宏”。あだ名みたいなもんだよ。でも、“マボ”って呼ぶのは太一くんだけだけど」
「太一くんって、もしかして、公園で一緒にいた人?」

 オレはまた少し、虚を突かれた。
 そうだ、確かに春のあの日、公園で、リーダーと太一くんと、3人でこの青年に会っていたっけ。

「ん」

 短く、頷いた。

「オレの先輩で、今、ニューヨークに行ってんの……オレの従兄の、山口くんとね。この部屋、本当は太一くんのなんだけど。帰ってくるまで、オレが留守番してる、ってわけ」
「ふうん」

 しばらく、青年はもぐもぐと口を動かしていた。
 注ぎ終わったオレンジジュースを片付けに、冷蔵庫を開ける。

「ねぇ“マボ”」

 この話は、ここで終わったのかと思った矢先。
 “マボ”と何気なく呼びかけられたオレは呆気に取られる。
 食べ物を飲み終えた青年は、不用意にも真剣な目つきで、オレを見てきた。
 迂闊にも、しまい損ねた伝書鳩の手紙を、指差しながら。

「ねぇマボ、何で太一くんは、そんな手紙をマボのところに届けたんだろうね」
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